エリック・ドルフィー/ウラジミール・シモスコ、バリー・テッパーマン
味わい深い活版印刷本
時おり手にとって再読を重ねているのが晶文社の『エリック・ドルフィー』だ。
初版の発行年が1975年だから、かなり古い本ではある。
しかし、さすが良心的かつ丁寧な作りの書籍を発行してきている晶文社のこと、その充実した内容と、何度でも再読に耐えうる編集内容は、手に取ってページをめくるだけでも、プロの「本作り人」たちの意気込みを感じる。
加えて、活版印刷ゆえの独特の味わい。
ページの表面を優しく指で撫でるたびに味わえるインクの凸凹や、時折見かけるインクの掠れ。そして、ところどころ微妙にズレた活字の配列。
今どきのDTPでツルッと作られた書籍には感じられない温もりがある。
このヒューマンな感触も本読みにとっては大切な要素。
この触感が懐かしくなり、折に触れて『エリック・ドルフィー』を手に取り、ランダムにページをめくることが愉しいのだ。
グレープフルーツのキャンディ
私は、この本を手に取りページをめくるたびに、口の中がグレープフルーツの香りに満たされる。
なぜかというと、この本を買った学生の頃の私は、主に電車の中で読んでいたのだが、そのとき、なぜかこの本を読んでいるときの私はグレープフルーツのキャンディばかりを舐めていたからだ。
この本を読んでいたのは、たぶん学生時代の春休みだったと思う。
出版社でアルバイトをし、編集プロダクション的なお使い仕事を主にしていたのだが、とても楽しかった。
なぜなら、一日中オフィスにいないで済むから。
今日はあそこ、明日はあそことあそこ、と遠出をする日が多く、ゆく先々で書類を提出したり受け取っていたりしたのだが、昼間のガラガラに空いた電車に乗り、この本を鞄から取り出し、グレープフルーツ味のキャンディを口の中で転がしながらページをめくるのが楽しかったのだ。
ドルフィーに熱中していた学生時代
もちろん楽しかっただけではない。
この本で、かなりドルフィーのことを勉強させてもらった。
当時の私はドルフィーが好きで、ドルフィーのリーダー作のみならず、コルトレーンやミンガスなどのサイドマンとして参加しているアルバムも、バイト代が入るごとに「ディスクユニオン」などのショップを訪問し、中古CDを買いあさっていた。
大学を卒業する頃は、ドルフィーが参加していた音源のすべてではないが、8~9割は購入したり耳にしていたと思う。
それほど学生時代の私はドルフィーに夢中だったのだ。
いや、今考えれば、ドルフィーがものすごく好きだったというのではなく、一生懸命ドルフィーを好きになろうとしていたのかもしれない。
だから、ドルフィー参加の音源を聴いてはこの本のページをめくり、の繰り返しだったのだと思う。
間章と清水俊彦
この本の内容が充実しているところは、巻末に、この本を翻訳した間章と、評論家の清水俊彦によるドルフィー論も掲載されていることだった。
この2人は、既に当時から伝説というか気鋭の評論家というイメージが強く、難解な文体の向こうには何かものすごく本質的なことが隠されているのではないかと思わせる(錯覚させる?)に十分なスタイルは、その内容の成否や論点はさておいて、「難解チック」なものに憧れがちだった学生の私を魅了するに十分なカリスマ的な文体を持った評論家2人だった。
もっとも、本書に掲載されているお二人の文章は難解ではなく、いやむしろ読みやすい内容であったし、この2人がドルフィーをさまざまな修辞で絶賛すればするほど、ああ、ドルフィーが好きな俺って凄いんだ、みたいな勘違いした満足感を覚えたものだ。
ミンガスのヨーロッパツアー
この本の内容に書かれていることで、印象的なことは2つ。
1つは、ミンガスのヨーロッパツアーのことだ。
それほど長い記述ではないのだが、私のイメージとは裏腹に、ドルフィーが参加していたミンガスのヨーロッパツアーは、当時はかなり評判が悪かったのだそうだ。
そんな馬鹿な、『ミンガス・イン・ヨーロッパ』のような充実したアルバムをたくさん残しているではないかと思ったものだが、どうも評判の悪さの理由は音楽的な内容ではなく、演奏時間に遅刻をしたり(演奏すべき時間にメンバーは食堂で食事をしていた等)、ミンガスがカメラマンに暴力を振るったり、プロモーターの悪口を延々と観客に演説したりといった「素行の悪さ」が悪い評判の原因だったのだそうだ。
さすが怒れるベーシスト、ミンガスのことだけはあるが、ただ単に彼は怒りまくっていたわけではないようだ。
それは、許可なく無断に録音をして音源化しようとする連中に対しての怒りや、実際にカメラマンをつかまえてフィルムを抜き取ったりの行動につながっていたようだ。
ファンとしては、さまざまな場所でのさまざまな演奏を聴きたいと思うのだが、日々場所を移動しては演奏を繰り返しているミンガス一行からしてみれば、たまったものではなかったのだろう。
『アウト・トゥ・ランチ』の秘密
それともうひとつ。
『アウト・トゥ・ランチ』に関しての解説だ。
じつは私が最初に聞いたドルフィーのアルバムはブルーノートの『アウト・トゥ・ランチ』だったのだが、最初に聞いたときのインパクトと気持ち良さは忘れられないものだった。
奇妙にねじれたサウンドなのに、なぜ気持ちよい? その理由は?
べつに理由を解明したところで、どうなるというわけではないのだが、この本に解説によると、ピアノではなく、ヴァイブ奏者であるボビー・ハッチャーソンの起用が大きな鍵になっているという記述には、なるほどと(個人的には)腑に落ちた記憶がある。
いわく、楽器は、その性質と機能から4種類に分類されるという。
イデアホーン:直接叩くことによって音を発する楽器群 シンバル、鐘、ヴァイブ等
メンブラノホーン:薄膜を叩いたり、こすったりすることによって音を発する楽器群 バス・ドラム、ボンゴ、ティンパニーなど
コードホーン:弦を振動させることによって音を発する楽器群 チェロ、ベースなど
エアロホーン:空気を振動させることによって直接的に、あるいは空気のかたまりを振動させることによって音を生み出す楽器群 ピアノ、フルート、竹笛、サックスなどのすべての吹奏楽器
『アウト・トゥ・ランチ』の楽器編成は、上記4つの特性を持つ楽器をバランス良く配しており、「非常にエレガントに各楽器間の音的なバランスを保つことになる」と記載されている。
なるほど、変わった変拍子のリズムや、怪しく鳴り響くヴァイブ、力強く、しかしながら力強くなればなるほど、どこか空虚さも帯びてくるトランペットなどなども、このアルバムならではの味わいだが、それ以前に、自分が感じた心地よさは楽曲の構造や各人のアドリブよりも、もっと素朴な音色の部分だったのだということが分かっただけでも発見だった。
もちろん、ほかにも多くのな学びと発見を得ることが出来た本だが、たまたま今回は思い出した2つについてを書いてみた。
良い本です。
本当に。
もう少しで、買ってから30年近く経とうとしているけれども、いまだに新陳代謝の激しい我が家の本棚の中で、ひっそりと確実なポジションを得ている本の一冊が、シモスコ・テッパーマンの『エリック・ドルフィー』なのだ。
こういう良書は、時代関係なく読み続けられるだろうし、これから30年経っても、その内容は色褪せることはないだろう。
記:2018/01/15
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