ドナ・ノストラ/ドン・チェリー
音による思索空間
“トランペット自由人”ドン・チェリーが、エド・ブラックウェルとのデュオ作品『エル・コラソン』以来11年ぶりにECMに吹き込んだ本作は(93年録音)、一言で言えば、音による深い哲学的思索空間ともいえる。
ECMのドン・チェリー
正直、私はチェリーを誤解していた部分もあったかもしれない。
冒頭に“トランペット自由人”と記した気持ちに嘘偽りはないし、実際そのとおりだと感じてはいるが、この言葉を使う背景には、“天然な人”という先入観があることも確か。
もちろん、チェリーほど“天然なピュアさ”を感じさせるトランペッターもいないが、「天然な人」という言葉の裏には、“あまり考えていないで自由気ままに吹いている”というニュアンスも含まれている。
しかし、それは違う。
正直、このアルバムでの思索的音空間で、だいぶチェリーに対する認識が改まった気がするが、要は、ドン・チェリーという人、天然でいながらも、じつに思索的な人なんだな、ということ。
もちろん、それは、共演者がヨーロッパのミュージシャンということもあるかもしれないし、ECMレーベルがミュージシャンに求める音の佇まいも無関係ではないだろうとは思う。
しかし、ヨーロッパ、ECMというと、ともすれば緊張感のはらんだ硬質なサウンドを連想しがちだが、その点はさすが、チェリー。脱力とまではいかないが、緊張感と、やわらかさがほどよいバランスで共存している音世界を描き出している。
さすがにECMのなせる業か、楽器同士の音の距離感、バランスが非常に空間的で気持ち良い。
アルバム全体に貫かれている静謐感も、落ち着いて観賞できる一要因だが、これはチェリーのトランペットプレイ以上にアンサンブル全体への目配りの賜物だろう。
もっとも、サックスのレンナート・オーベリと、ピアノのボボ・ステンソンもリーダーとしてジャケットにチェリーと同じ大きさでクレジットされていることからも、このアルバム全体を貫く静謐感と知的な空間は、彼らの音楽的美意識も取り込んだ成果であることは間違いない。
心地よく知的な即興空間
しかし、やはり音はチェリーの世界そのものなんだよね。
やはり、力が抜けているようでいて、そのじつ非常に考えに考えぬかれたタイミングと絶妙なバランスでトランペットの音が鳴っている。
リラックスした音色と同時に、不思議なほど枯れた存在感を放つ。
少ない音数で、ストレートで素朴なフレーズは、聴くたびに心洗われる。
レンナート・オーベリのサックス(テナー、アルト)のプレイも伸びやかで気持ちよく、冒頭の《イン・メモリアル》では、彼のプレイが大きくフィーチャーされていると同時に、この静謐なアルバムのイメージを印象づけている。
アンデルス・ヨルミンの重すぎず、軽すぎずの反射神経の良いベースプレイも、このアルバムの格調を高めることに貢献しているし、間を大事にしたアンデルス・ケルゲルグのドラミングと、オーケイ・テミズのパーカッションプレイも、知的で瑞々しい空間を形成するのに一役も二役も買っている。
オーネット作曲の《レイス・フェイス》を除けば、いわゆる4ビート的な演奏はないが、相手の音に耳を澄ませ、自由に自分の音を重ね合わせてゆく行為は、まぎれもなくジャズの匂いを濃厚に感じる。
アルバム中、もっともフリージャズ的テイストの《ヴィエナ》などがその典型で、肌触りはフリージャズそのものかもしれないが、いわゆるドシャメシャな騒音に近い内容とはほど遠い。
メンバーは本当によく相手と自分の音の距離感を測りながら音を発しており、中近東を彷彿とさせるリズムと、チェリーのデュオから始まる《アハユ・ダ》も同様で、少しずつ慎重に音を重ねてゆく各々のプレイヤーのセンスは大したもの。
控えめながらも、音の重ね合わせ方に知的なセンスを感じさせる即興演奏だ。
決して勢いにまかせて音を発しない、情動をコントロールする術を身につけたミュージシャンたちによる、知的な即興演奏は、脳を心地よく刺激し、全身の細胞が心地よく目覚めてゆく。
緊張感は高いが、透明度も高い心地よい音の思索空間が構築されている。
記:2007/10/01
album data
DONA NOSTRA (ECM)
- Don Cherry
1.In Memoriam
2.Fort Cherry
3.Arrows
4.M'bizo
5.Race Face
6.Prayer
7.What Reason Could I Give
8.Vienna
9.Ahayu-Da
Don Cherry (tp)
Lennart Aberg (sax,fl)
Bobo Stenson (p)
Anders Jormin (b)
Anders Kjellberg (ds)
Okay Temiz (per)
1993/03/22-24