ミントンズ・ハウスとセロニアス・モンクの難曲・エピストロフィ

      2018/09/11

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ミントンズ・プレイ・ハウス

かつて、ニューヨークはハーレムの118丁目西210番地、7番街と8番街の間に位置する所に、「ミントンズ・プレイハウス」というライブハウスがあった。

数ブロック先には多くの黒人ミュージシャンがデビューを飾ったアポロ劇場があるというロケーションだ。

この店のオーナーの名は、ヘンリ-・ミントン。

彼はこの店で様々なイベントを催した。

その一つが、水曜の晩に行われる「アマチュア・ジャズナイト」。

セロニアス・モンクは、このコンテストで優勝を何度も勝ち取り、ついには参加を禁止されてしまった。

モンクはこのことがキッカケとなり、プロとしてやってゆくべき時が来たと後年述懐している。

また、店主のミントンは、この店で近所のアポロ劇場に出演したミュージシャンたち全員に対して、週に一回夕食をタダで提供することにした。

そのため、カウント・ベイシー楽団やデューク・エリントン楽団など、アポロ劇場で定期的に演奏している第一級のジャズメンがこの店に訪れるようになった。

そのうち夕食がタダな日以外にも彼らはショーが終わるとこの店を訪れるようになり、一流のミュージシャンの集う店として名をあげた。

また、ミントンは、集まってきたジャズマンに自由にジャムセッションもさせた。

タダ飯に釣られてやってきたジャズマンは、結局無料で客相手に演奏をしてしまうことになる。

しかも一流揃いのジャムセッション。高い水準の演奏ゆえに、客も自然に集まるという寸法。

仕事を終えたミュージシャンたちは、職を失う危機感を持たずに自由奔放に演奏することが出来た。

職を失う危機感とは、どういうことなのかというと、ふだんは人前では演奏しないような内容を自由に演奏出来るということだ。

彼らは、ミュージシャンならではの音楽的実験を繰り返し、夜な夜な、誰も聴いたことのないような新しい音楽の創造に探究し、没頭した。

この出来事が、後の「ビ・バップ」発祥の礎となったことは間違いない。

このジャムセッションの司会は、サックス奏者で楽団のリーダーでもあるテディ・ヒル。

そして、このライブハウスの常駐バンド(ハウスバンド)の人選は、ドラマーのケニ-・クラークに一任された。

クラークが声をかけたジャズメンは、トランペッターにジョ-・ガイ、ベーシストにニック・フェントン、そしてピアニストがセロニアス・モンクだった。

セッション荒らしを防ぐ複雑な音楽的ルール

「ミントンズ・プレイハウス」では夜な夜な仕事を終えたジャズメンが集い、深夜から朝までにかけて自由奔放に実験的なジャムセッションに興じ、それが後に新しいビ・バップの温床の一つとなった。

当時のジャムセッションの模様が記録された貴重な音源、『ミントンハウスのチャーリークリスチャン』を聴けば、スウィングジャズのテイストがベースにありつつも、なにか、そこに新しい勢いのようなものが付加されていく過程の新鮮さを感じられることだろう。

もっとも、さきほど「新しいビ・バップの温床の一つ」と書いたが、その理由は、このような出来事はミントンズだけで起きていたわけではなく、近所の「モンローズ・アップタウン・ハウス」などでも夜な夜な実験的なジャムセッションが繰り広げられていたので、当時のニューヨークでは同時多発的におこっていた現象だといえる。

とはいえ、モンクはミントンズのハウス・ピアニスト。とりあえず、ミントンズ中心に話を進めていきたい。

夜な夜な繰り広げられるジャムセッション。

中には、自分を売り込もうと、あるいは腕試しの格好の場として、多くの楽器奏者がセッションに参加しようと手ぐすね引いて飛び入りのタイミングを待ち構えていたことは想像に難くない。

そんなイキのいい彼らの鼻を空かしてやろうと、モンクやクラークらは、彼らに対してのイジワル、そしてセッションの場が荒らされないための防波堤を施した。

まず、演奏のテンポを滅茶苦茶に速くした。

これで大抵の者はたじろぐ。

さらに、ハーモニーを複雑にした。

5度や9度をフラットさせたコードを多用したこと。

また、コードの移り変わりにパッシング・コードを挿入することによってコード進行を複雑にもした。

そして、代理和音も多用するようになる。

悪魔的なテンポに、複雑怪奇なコード進行……。

慣れていないミュージシャンたちは、モンクらの格好の餌食とされた。

エピストロフィー

《エピストロフィー》という曲がある。

この曲のクレジットを見ると、モンク&クラークとなっている。

まさにこの曲は厄介者を外に追い払おうと、二人によって編み出された曲だったのだ。

私も以前、この曲に魅せられ、ライブでベースを弾いたことがあるが、はっきりいって難しい。

2拍のペースでコードが半音上がったり下がったりの繰り返し。

このコード進行の中でアドリブを取るのも至難の技だが、ウカウカしていると、自分が演奏をしている場所を見失ってしまうような迷路のような構造なのだ。

ワンコーラスが、

A→A'→A'→A→B→A'→A

という32小節の進行となっているが、AとA'の音型は相似形で、旋律の上下はまったく同じ。

違うのは音程が1度異なるだけとなる。

似て非なる、まるで幾何学模様のようなメロディパターンなのだ。

幾何学的な反復パターンだと演奏上何が難しいのかというと、メロディラインの流れにストーリー性を帯びにくいため、演奏中に、今自分がどの部分を演奏しているのかの座標軸を見失いやすいことと、気持ちが原曲のメロディラインに寄り添いにくいので、原曲を機軸にアドリブを展開しようとすると、アドリブの内容も無味乾燥なものに陥りやすく、なかなか演奏者の個性や持ち味を発揮することが出来ないことだ。

上記「B」における8小節がいわゆるサビで、この曲の「ヘソ」のようなものだが、たとえば、2コーラスのアドリブを取るとすると、ワンコーラス目のBの部分の演奏を終えたあと、ワンコーラスまたがって次のBに行き着くまでには、

A'→A→A→A'→A'→A→B

という道筋を辿らねばならず、今自分が演奏しているのは、Aの箇所なのか、それともA'の箇所なのか、よっぽど注意をしていないと演奏中に迷子になってしまうこと請け合い。

加えて、複雑怪奇に音程が上下するコード進行なのでアドリブにも頭を使わなくてはならない。

さらに、テンポもかなり速かったらしい。

《エピストロフィ》というと、『ラスト・デイト』に収録されているエリック・ドルフィーの名演を思い浮かべる人も多いと思うが、あのテンポよりもずっとずっと速いテンポの《エピストロフィ》が夜な夜なミントンズ・プレイ・ハウスで繰り広げられていたのだ!

1、コード進行が複雑怪奇でアドリブするのにひと苦労。

2、迷路のような曲構造で、演奏している位置を見失いやすい。

3、鬼のようなハイテンポ。

この3つを克服しなければならないソロ奏者は、相当面喰らったに違いない。

しかし、この曲に封じ込められた考え、構造こそ、まさにビ・バップの発想に他ならなかった。

上記「2」はともかくとして、ビ・バップのチューンを強引に定義づけるとすると、ハイテンポに乗った目まぐるしいコードチェンジと細分化された複雑なコード進行、そして高低の激しいウネウネとしたメロディラインだと思うのだが、この《エピストロフィ》もまさにそう。

メロディラインが不気味気持ち良く、ウネウネしている。

もっとも《エピストロフィ》のコード進行は、細分化されてはいるものの、規則的だが……。

モンクの代表的なレパートリーの一つ《エピストロフィ》。聴いて楽しいこの曲も、演奏する側にとってみれば鬼のようにイジワルな発想で作られた曲なのでした……。

しかし、後年のモンクのライブ音源を聴くと、《エピストロフィ》は、ある種、モンク・バンドのテーマ曲のような使い方をされるようになっている。

曲の演奏が終わった直後に《エピストロフィ》のテーマだけを演奏し、「はい、第一部のセットはこれでおしまいですよ」といった、ステージのクロージングテーマとして使われるケースが増えてきている。

たしかに、エンディングっぽい“締めくくり感”の強いメロディにも聴こえるが、これらの演奏はやはり、あくまでも“締めくくり”のテーマで、この曲特有の不気味さや複雑怪奇さはどうしても薄れてしまう。

これは、演奏の目的が違うゆえに、仕方の無いことなのかもしれない。

モンクス・ミュージック

ちなみに、私は『モンクス・ミュージック』に入っている《エピストロフィ》の混沌した感じが好きだ。

まだ、ライブで演奏される“バンドのテーマ”的な、いかにも演奏しなれた雰囲気とは違った、ハラハラする緊張感に満ち満ちているのだ。

演奏者の戸惑いも含めて、奇妙な緊張感と喧騒感に満ち満ちている。管楽器の重厚なアンサンブル、そして漂うシリアスなテイスト。

演奏全体が、一体全体、どっちの方向に突き進んでしまうのだろう?というハラハラ感が常に漂っている。

そして、この“ハラハラ感”こそが、モンクが「エピストロフィ《エピストロフィ》」という曲を触媒として表現したかった空気なのかもしれない。

だとしたら、『モンクス・ミュージック』における《エピストロフィ》は、まさに彼の狙いどおりの混沌とテンションが実現されたのだといえる。

肝心のモンク自身も小節を数え間違えたりで混乱しているような気もするし……。

そして、限りなく無機質な曲が、かえって、演奏者の戸惑いや混沌など、人間くささが前面に出る結果となっているところが興味深い。

果たしてモンクは、そこまで意図して作曲したのかどうかは定かではないのだが……。

記:2002/12/06

 - ジャズ