ザ・フォール/ノラ・ジョーンズ

      2021/02/19

“静かなるジャニス・ジョップリン”ノラ・ジョーンズの新作『ザ・フォール』は、従来のノラ・ジョーンズのイメージで聴くと、かなり肩すかしをくらうかもしれない。

一聴したサウンドテイストは、いわゆる“フツーの洋楽”に近く、ロック色の強いアレンジの楽曲もあることからも、“癒しサウンドとしてのノラ”を期待してCDを再生すると、期待を裏切られる可能性が高い。

従来の作品とは違い、バックの演奏はノラのバンドメンバーではない。

ノラが共演を希望するミュージシャンや、プロデューサーがコーディネイトしたミュージシャンがレコーディングメンバーに変わったことも大きいだろう。

また、ノラ自身も、鍵盤よりもギターの演奏率が高くなり、前作の『ノット・トゥ・レイト』以来、ギターでの作曲比率も増えたこともあるだろう。

もちろん、これらの要素も無視は出来ないが、従来のアルバムとのテイストの違いは、ノラ自身の「変わりたい」という意思が全体に通底していることが大きな理由だと思う。

聴き手を選ぶヘヴィなアルバムと感じる。

ヘヴィと書くと誤解を招く可能性があるが、サウンドが重たいわけではない。
全体のアレンジは、むしろ、あっさりし過ぎなほどで、楽器同士の音の密集感も希薄だ。むしろ、スカスカなほどに軽いといっても良いぐらいだ。

“聴き手を選ぶ重さ”というのは、アルバム全体を覆う空気感のようなものだ。

従来からのファンは、最初に聴いた段階では、まずは一新された空気感に追いつくことで精いっぱいかもしれない。

たとえば、冒頭を飾る《チェイシング・パイレーツ》。

歪んだエレピとエレキギターの音色。おそらく打ち込みドラムも織り交ぜたトレブリーな破裂音が均等なビートを刻む。

従来のサウンドとの、あまりの肌触りの違いに戸惑うリスナーもいるだろう。

そんなときは、この曲は飛ばして、9曲目の《バック・トゥ・マンハッタン》に緊急退避してみよう。

おっ、いつものノラ・ジョーンズだね。

この切ない曲調と甘いヴォイスは、映画やドラマの1シーンに使えそうなぐらい、ドラマティックでしんみりとしていて、そして、きっとデビューアルバムの『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』以来、我々が漠然と抱く、“癒しなスモーキー・ヴォイスとしてのノラ・ジョーンズ”という責務を正しくまっとうしているかのような曲調だ。

《バック・トゥ・マンハッタン》は、張りつめた気持ちが一気に緩み、ほんわりと切ない気分にさせてくる名曲には違いない。

しかし、このテイストは、今までの彼女の作風の延長線上に過ぎない。せっかく新しい路線を踏み出した彼女の意気込みをもっと積極的に浴びに行こうではないか。

というわけで、《バック・トゥ・マンハッタン》を3回ほど聴いて気持ちを落ち着かせた後は、7曲目の《イッツ・ゴナ・ビー》にジャンプしてみよう。

うーん、昔ながらのロックなリズムですな。

ハイハットやシンバルなどの“金物”を基本ビートの中には織り交ぜず、かわりにフロア・タムを刻みの基本にそえる、ソリッドなリズムが基調のナンバーだ。

ヘヴィメタル好きには「アイアン・メイデンの『鋼鉄の処女』の名曲《ランニング・フリー》のリズムに近いドラミング」といえば、話が通じると思うのだが……。

軽くエフェクトをかけたノラの声が、かえってこの手のリズムがバックになると生々しく映える。

曲の基調をなす歪んだリフは、おそらくはギターではなく、キーボード(ウーリッツァ?)によるものだろう。

本当になんでもないロック調の曲ではあるが、普通のロック系のヴォーカルだったらシャウト系の歌唱を繰り広げるであろうこの曲調に、ノラ・ジョーンズは、まったく気負いのない肩の力を抜いた“いつものノラ・ジョーンズ声”で歌い、それが見事にサウンドに溶け込むどころか、バックのリズムに勝ってしまっているところが面白い。

もちろん、ヴォーカルが持ち上げられたミックス・バランスの功績もあるのだろうが、それにしても、この手のリズムですら平然とフィットさせてしまうノラの歌声は、やはり強力な磁力を帯びているとしかいいようがない。

お次は、2曲目の《イーヴン・ゾウ(せつなさの予感)》に飛んで、少し気分をリフレッシュさせてみよう。

うーん、80年代の洋楽ですな。

ただし、音数を極力抑えたアレンジにセンスを感じて欲しい。音数少なく、控えめな演奏に感じるかもしれないが、決して勢いやパワーが不足したポップスではないことが分かるはず。

しっとりとした4曲目の《ヤング・ブラッド》。

このテイストは、きっと従来のノラファンよりも、ノラを初めて聴く海外のポップス好きにとってはツボなのかもしれない。

歪みを控えめに、そのかわりにデプスを深めにかけたエフェクトが効いたギターのバッキングの音色が魅力の曲でもある。

このように、何曲か巡回した後に再び1曲目の《チェイシング・パイレーツ》に戻ると、あら不思議、最初に聴いたときの違和感が不思議なほどに消え失せていることに気付くはずだ。

むしろ、タイトなドラムの音色と、モゴモゴしたキーボードのリフに心地よさを覚えるのでは? 次いで、淡々としたトーンでありながらも印象的なメロディを持つ曲だということにも気付くはず。

ブーン!とスライドを多用したウネる電気ベースと、歪みのかかったエレピのソロにも心地よさを覚えると思う。

あっという間に終わる短いナンバーではあるが、『ザ・フォール』の音世界に慣れてくると、このアルバムの冒頭を飾るのは、《チェイシング・パイレーツ》以外ありえないという気持ちになってくるから不思議だ。

このアルバムは、従来のノラのイメージとは大きく異なるがゆえ、「ノラは一般受け路線を狙ったのではないか?」と指摘する声もあるようだ。

しかし、私はそうは思わない。

だって、よく聴けば分かるとおり、このアルバム中の楽曲のほとんどのアレンジは、かなり“ギリギリ”ですよ。

ヴォーカルがノラ・ジョーンズだからこそ成立しうる世界であって、おそらくはプロデューサーもエンジニアも、ノラのヴォーカルを基軸に据えた引き算をしながら、全体のバランスを整えていったのではないかと思われる。

スカスカの1歩手前といっても過言ではないほど、楽器の数や、楽器が発する音の数も絞り込まれているし、ミックスもかなり控えめ。

ゆえにオケだけでは、パワー感の不足したおとなしい内容に聴こえるかもしれない。

ノラ以外の歌手が、このオケに合わせて歌ったら恐らくは惨憺たる結果に終わるに違いない。

しかし、ノラだからいいのだ。

あっさり目なアレンジとミックスのオケに、ノラのヴォーカルが乗るからこそ、はじめて絶妙な重さと奥行きが獲得されるのだ。

ありきたりの洋楽のようでいて、じつはかなり周到な計算によって成立している『ザ・フォール』の音世界は、ノラにしか出せないテイストだということは数回聴けば気付かれることだろう。

そして、これに気付けば、このアルバムに格別な愛着が湧いてくるのではないかと思う。

一聴、聴きやすい従来のポップステイストを踏襲しているかのような楽曲の多さからも、「売れ線を意識した作品」と受け取られるのも分からないでもないが、間違ってもノラは「売れ線ポップス」に路線変更したわけではない。
だって、ノラは最初から「売れ線な人」だったわけですから(笑)。

それは、彼女のキャリアを見ても分かるとおりで、デビューアルバムの『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』は、2003年の第45回グラミー賞で、
「最優秀アルバム賞」
「最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバム賞」
「最優秀録音賞ノン・クラシカル」
「最優秀新人賞」
「最優秀レコード賞」
「最優秀楽曲賞」
「最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞」
「最優秀プロデューサー賞」
の全8部門を受賞して話題をさらい、発売1年で米国内だけでも270万枚以上の売り上げを叩きだしているのだから。

この数字は、マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』が50年かけて達成した100万枚の約3倍にあたる。

これだけのヒットメーカー、ヒットシンガーの彼女にとって、「売れ線狙い」などという言葉は最初から当てはまらない。仮に「売れ線歌手が売れ線狙い」ということならば、『ザ・フォール』は、さらなる一攫千金狙いのアルバムということに位置づけられるのだろうが、果たしてそうだろうか?。

私はむしろ逆の見方(聴き方)をしていて、しいて言うなら「売れ線外し」な気がしてならない。

それは、さきほども記したように、一聴「フツーのポップスっぽさ」を装いつつも、かなりきわどいバランスで成立しているアレンジとミックスが、ツカミが良いようでいて、これはかなり聴く人を選ぶ内容ではないかと感じるからだ。

聴きやすいようでいて、その実、そのサウンドの軽さとは裏腹にかなり低く静かに重くうねるアルバムが『ザ・フォール』だと私は感じる。

耳触りのよいサウンドとキャッチーなメロディばかりゆえ、「聴きやすいけど、どこかで聴いたことのあるような、ありきたりなポップス路線の曲が多いよね」と、数回聴いて放り出すか。

「万人受けしそうな掴みの良さと、分かる人にしか分からないツボをバランス良く両立させたスタジオワークの勝利」と感じ、今後の愛聴盤候補として位置付けるか。

これは、あなたの音楽的センスとキャパの広さを無言に問う「踏み絵」のようなアルバムでもあるのだ。

余談になるが、この記事をアップした数時間後に、TOWER RECORDSのジャズバイヤーの方と番組の打ち合わせの際、このアルバムの話になった。

彼と私は、ノラ・ジョーンズの『ザ・フォール』のことを、ジャストなタイミングで声をそろえて「引き算の美学」と言った。このタイミングの一致と、考えの一致が面白かった。

記:2009/12/08

album data

THE FALL (Blue Note)
- Norah Jones

1.Chasing Pirates
2.Even Though
3.Light as a Feather
4.Young Blood
5.I Wouldn't Need You
6.Waiting
7.It's Gonna Be
8.You've Ruined Me
9.Back to Manhattan
10.Stuck
11.December
12.Tell Your Mama
13.Man of the Hour
14.Her Red Shoes (Japan Bonus Track)

Norah Jones(vo,p,el-p,g)
Marc Ribot (el-g,banjo)
Smokey Hormel (el-g)
Sam Cohen (el-g)
Peter Atanasoff(el-g)
Jesse Harris (g)
John Kirby (p,syn)
James Poyser (key)
Zac Rae (org)
Frank Swart (b)
Dave Wilder (b)
Joey Waronker (ds)
Robert DiPietro (ds)
Joey Waronker (ds)
Pete McNeal(ds)
James Gadson (ds)
Marco Giovino (ds,per)
Matt Stanfield(prog,syn)

2009年

 - ジャズ