フォーク・アート/ジョー・ロヴァーノ

   

地味にユニークな要素が盛りだくさん

このアルバムの「売り」の部分は、まずは、期待の大型新人ベーシスト、エスぺランサが参加していること。

そしてもう一つは、アウロクロームという新型サックスを使用しているということだろう。

アウロクローム(aulochrome)は、“新しいサックスの改良楽器”とのことだが、新しい楽器というよりは、ソプラノサックスを単純に2本くっつけただけのようなものにも思える。

この楽器での演奏は、7曲目で楽しむことが出来る。

ロヴァーノのアウロクロームの演奏は、ローランド・カークというよりは、ジョージ・ブレイスを彷彿とさせる、ちょっと不安定で頼りなさげだが、ユーモラスさを感じさせる音色は、それなりに楽しい。

では、肝心なこのアルバム『フォーク・アート』はどのような内容なのかというと、いささかキャッチーな要素には欠けるかもしれないが、聴きやすいアルバムだと感じる。

もっとも、1回や2回聴いた程度では、このアルバムの良さはなかなか分かりにくいのではないかとも思う。

取り立てて難解なことをやっているわけではない。

しかし、ジョー・ロヴァーノのテナーを追いかける“耳のコツ”のようなものを身につけておかないと、なかなかこのアルバムの良さが体感できないまま、結局は「中古CD店に直行」という事態を招きかねないのではないかという懸念はある。

ジョー・ロヴァーノというテナーサックス奏者は、「日本よりもアメリカよりも評価が高い」という枕詞が常についてまわるテナーサックス奏者だが、このアルバムを聴くと、「ふむふむ、なるほど。この空気は日本じゃないよな」としみじみ感じることも確か。

もちろん、ロヴァーノ以外の多くのジャズの名盤だって、海外で吹きこまれているわけだが、たとえばソニー・クラークのピアノのちょっとした粘り具合や、静かなるケニー的な佇まいなど、我々日本人は、自分たちの近似する要素を無意識に引き寄せ、その箇所を取っ掛かりにして鑑賞を深めているケースが多い。

しかし、ロヴァーノのテナーには、見事なほどに、掴みとなる要素がない。

優れた演奏者であることには変わりがないにもかかわらず、日本的情感との紐付けできる要素があまりに少ないこと、これが日本とアメリカでの評価、受け入れられ方の違いなのだと思う。

ロヴァーノのテナーは、特にこのアルバムに言えることなのだが、ひどくアメリカ的な匂いがするんだよね。

この匂いを日本的文脈で手繰り寄せて、我々独自の文化的コードに照会→合致→理解&親しみという受け入れのプロセスを踏む余地がほとんどないのだ。

「アメリカ的」という表現は、ひどく曖昧かつ主観的だということは承知しつつ、私が感じたことをそのまま書いてみる。

このアルバムに漂うユーモラス、かつ乾いた空気感が、懐かしい記憶となって蘇ってくるのは、学生の頃、短いながらも典型的なアメリカの中流家庭にお世話になったときの記憶がベースになっているからだと思う。

以前、テネシー州のメンフィスという町で、現地の白人の家庭にお世話になったことがある。

いわゆるショート・ホームステイってやつだ。

この家庭の食堂やリビングでロヴァーノの『フォーク・アート』が流れると、すごく似合うんじゃないかと思う。

その家庭のご主人は銀行員。

たび重なるヘッドハンティングにより、その都度職場を変え、少しずつキャリアアップを繰り返し、いくつもの銀行を渡り歩いている方で、生活レベルは「中の上」の家庭と感じた。

ま、とりあえず、家は広い(笑)。

広い間取りのリビングとキッチン。

大型犬を何匹か飼っていて、ガレージも広く、数台の車が収納されている。その中の1台がキャンピングカーなことからもわかるとおり、ガレージには釣りやバーベキューなどのアウトドア用のグッズも充実している。

また、ガレージの片隅には卓球台やスポーツジムにあるようなトレーニングマシンも置いてあるのだが、でも漂う雰囲気は、どこまでも田舎の大きな家って感じ(笑)。

広いキッチンには(子供が2人いるので)ケロッグのようなシリアル食品や、オレンジジュースが常に置いてあって、晩飯がチキンのローストとかマッシュポテトのような「肉+野菜」のデカ盛り。

広いリヴィングには大きなテレビ。当時はまだDVDはなく、ビデオテープの時代だったのだが、ビデオデッキの脇には、スターウォーズにスーパーマン、それにトム・クルーズやスタローン主演の映画のビデオが何本か積んである。

そんなアメリカ中流家庭の風景に、ジョー・ロヴァーノの音楽は、とてもよく似合う(笑)。 というか、「溶け込む」という言ったほうが近い。

ロヴァーノは、フガフガ系テナーだと思う。

しかし、同じフガフガ系のテナーでも、ジョー・ヘンダーソンのフガフガとはえらく肌ざわりが違う。

ジョーヘンの場合はへヴィで、攻めるところは攻めるアグレッシヴさがある。
ギラリとした重たさが「うーん、黒人! ニューヨーク!」と感じさせる。
共演するリズムセクションの影響も大きいが、一言、重い。

だから、コルトレーンや、ブルーノートのサウンドをたんまり浴びて育った日本のジャズ喫茶育ちには、何ら抵抗なく受け入れられる触感だ。

しかし、逆に、そのハードなところが、根底にはカントリーのが血流れ、パーティや食事中に「あーはっはっは!」な白人にとっては、ちょっヘヴィなのかもしれないし、熱狂的にウケるということはあまりないのではないかと思う。

同じフガフガでも、ロヴァーノのフガフガは軽やかで、どこかユーモラスさすら漂う。
このアルバムでも、いたるところで、後期コルトレーンが多用したフラジオ(倍音)奏法が登場するが、コルトレーンのフラジオほどギラギラもしていないし、攻撃的なエッジも立っていない。

あくまで、スムースにフレーズの中の効果として感じられるだけだ。

この差は大きい。

基本は肉厚でエッジが立ち過ぎないロヴァーノのサウンド。フレージングのほうは、ほんの少し前のめりな性急さが感じられるものの、逆にそこがユーモラスに感じさせることもある。

そう、まさに、このアルバムのジャケット通りのイメージですね。

もちろん、演奏的にはかなりテクニカルで難解さすらも感じさせる瞬間も随所に散りばめられてはいるのだが、全体に漂う乾いた雰囲気はアッケラカンとしていて、妙に風通しが良い。

真夜中よりも、休日の午後。

陽光を浴びながら気軽にコーラでも飲みながら聴くような感じ。

このアメリカ人が好みそうな、乾いた空気感と、心地よい緩みの按配が「グー!」なのだと思う。

あくまで印象批評なんだけど、こういう要素って、深刻な要素や、湿り気や潤いを求めがちなジャズ喫茶育ちのジャズファンには、かなり異質な肌触りに感じられることも確か。

なので、これは、アメリカ家庭のリヴィングの「ステレオ」や、車の中で聴くと良い感じに空気に馴染むのだと思う。

少なくとも、暗くて、コーヒーと煙草の紫煙が似合うジャズ喫茶には向いてない。いや、ジャズ喫茶では同じ「ジョー」が付くテナーだったら、ジョー・ヘンダーソンのほうを聴きたいし(笑)。

私のアメリカ感なんて、かくも貧困なものなんだけど、とにもかくにも、アメリカ家庭の記憶とロヴァーノの音が妙にリンクした、バドワイザーなテイストのアルバムではある。

バドワイザーは、夜よりも昼に飲むビールってイメージだよね。ついでにホットドッグも食いたくなってくるかもしれないというオマケ付き(笑)。

このアルバム、色々なところでレビューがアップされているが、それらを読むと、「アヴァンギャルド」、「ロフトシーン」、「フリージャズ」、「ラテン的グルーヴ」といったキーワードが目にとまる。

決して間違いではない。

にもかかわらず、これらのキーワードが重なれば重なるほど、ますますこのアルバムのイメージが掴みづらくなる不思議さもある。

空気の違いで、感じる旨みも違うことって多い。

たとえば煙草がそうだ。

日本で吸うマルボロやキャメルよりも、アメリカで吸うマルボロやキャメルのほうが数段旨い。逆にマイルドセブン系の煙って、海外では異常にマズく感じる。

それと同様、このアルバムもアメリカで聴く、もしくは、アメリカの空気感を思い浮かべながら聴くと、シックリとくるんじゃないかと思う。

若くしてバークリーの教師にもなった女性ベーシスト、エスぺランサがベーシストをつとめているこのアルバムでは、彼女をメンバーに入れたクインテット名を「アス・ファイヴ」と名乗り、レコーディングをしている。

「アス・ファイヴ」のリズムは、重量級ではないが、堅実かつ融通の効いたサポートっぷりといえる。
そして、これが重要なのだが、リズムが重過ぎないところがミソ。

たしかに、ドラム(あるいはパーカッション)を2人入れて、リズムの強化を図っているようも見えるが、この2名の打楽器に求められている役割は、エルヴィンやトニー的な「メトリック・モジュレーション」、すなわちポリリズムが生み出すグルーヴや重さではない。

むしろその逆。

密集したグルーヴよりも、スカスカした空気感、スペース感を組み立てるための人員配置なのではないかと私は推察する。

そして、このスカスカ感と、それによる身軽さは、このアルバムのアンサンブルの軽妙感には必要不可欠な要素なのだ。

ハードバップや、ブルーノートの新主流派ジャズに馴染んだ耳からすれば、異質な軽やかさかもしれない。

しかし、それゆえのフォーメーションチェンジの身軽さが、ロヴァーノの吹奏を独自に彩っているのだ。

そして、このリズムセクション、ふわっとした身軽さのなかにも、油断していると、いつのまにか置き去りにされてしまいそうな強かさも兼ね備えている。

だから、飽きないのだ。

曲はすべてジョー・ロヴァーノのオリジナル。

ブルー・ノートへの吹き込み第22作目となる。

ジョー・ロヴァーノの『フォーク・アート』は、心を揺さぶる大名盤とは言えないかもしれないが、私は日常感覚でこれをよく聴いている。

半年ほど前からiPodに入れっぱなし。今、再生回数を調べてみたら、各曲30回を超えていた。

「気付けばたくさん聴いていたんだな。思い起こせば、それなりに聴ける演奏も多いし、悪くない。いや、良いから、こんなに聴いていたんだろうな」

直感的に理解できる素晴らしさは襲いかかってこないかもしれない。

しかし、「気がつくと手が伸びていた」「気がつくと、また聴いていた」という状態に後で気が付き、そんな自分に苦笑させてくれるアルバムではある。

記:2009/10/18

album data

FOLK ART (Blue Note)
- Joe Lovano

1.Power House
2.Folk Art
3.Wild Beauty
4.Us Five
5.Song For Judi
6.Drum Song
7.Dibango
8.Page 4
9.Ettenro

Joe Lovano (ts,straight as,taragato,cl,aulochrome,gongs)
James Weidman (p)
Esperanza Spalding (b)
Otis Brown,III (ds,ankle bells,ascending opera gong,descending opera gong)
Francisco Mela (ds,pandero,dumbek,eithiopian drumus,ankle bells)

2008/11/18-19

 - ジャズ