フォー・アルト/アンソニー・ブラクストン

   

明確な表現の方向性

まるごと1枚、アルトサックスによるフリー・インプロビゼーションのアルバムだ。

第一印象は「阿部薫に似ているな」だった。

いや、阿部薫がアンソニー・ブラクストンに似ているというべきか。

とにもかくにも、1曲目の咆哮は『彗星パルティータ』的でもあり、『騒』的でもある。

しかし、よく聴くと、似ているのは音色とフォーマットだけで、音を放つ考え方、表現の方向性はまるで違うということが分かる。

「激情のための激情」が阿部薫のアルトサックスの即興演奏だとすると、ブラクストンの激情は「結果的に辿り着いた激情」だ。

まずは、曲によって違う表現の切り口。

あきらかにブラクストンの即興には明確な設計図があり、即興演奏に臨むにあたっての強固なコンセプトがある。

阿部薫のように気分の赴くまま、空から降ってきた音を出来るだけ忠実にサックスを通して中空に放つというようなスタイルではない。

もちろん、阿部薫のそのようなスタイルは、悪くいえば行き当たりばったりの気まぐれかもしれないが、純粋な即興詩人的ともいえる。

それに対してブラクストンの即興演奏のスタイルは、1曲ごとにアプローチが明確だ。
演奏の方向性が見えやすいぶん、最初は音色のインパクトに驚くかもしれないが、慣れてしまえば、「やりたいこと」が見えてくるぶん、安心して彼のアルトに身をゆだねることが出来る。

そこには、現代音楽が広く横たわっていることかが多いのだが、時折ブルースが聴こえることもある。

とにかく引き出しの広さには驚かされる。

そして、そのアイデアを具現化できる類まれなるテクニックにも舌を巻く。

特に、低ボリュームで音程を維持させたままロングトーンの中にも微妙な陰影をほどこす長尺演奏もあるが、聴き手の集中力を損なわせることなく聴かせてしまう技量は並大抵のものではない。

方向性が掴めば難解ではない

演奏に臨む際のモチーフが明確であるという点においては、セシル・テイラーの即興演奏にも通じるところがある。

要するに「猛烈に頭の良い人による、猛烈なテクニックの集積」。

だからこそ、彼らの表現スタイルに馴染んでいない人からしてみれば、理解の範囲を超えているがために「騒音」「滅茶苦茶」に聴こえてしまいがちなのかもしれないが、じつは建築家が描く図面のごとく、彼らの頭にはかなり緻密な設計図が存在しているはずだ。

だから、即興演奏のようであり、じつは、即興演奏に近いコンセプチュアル・パフォーマンスなのだともいえる。

彼のこのスタイル、アプローチは、けっこうジョン・ゾーンに影響を与えているのではないだろうか。

スタイルのみならず、アルトサックスが醸し出すムードも共通点が認められ、特に意識のアクセルをめいっぱい踏んだ時のスピード感は、両者ともにそっくりなのだ。

いっけんとっつきにくそうでいて、慣れるとかなり気持ちが良いというところも両者共通。

手ごわそうで、なかなかフレンドリーなアルバムです。
『フォー・アルト』は。

album data

FOR ALTO (Delmark)
- Anthony Braxton

1. Dedicated To Multi-Instrumentalist Jack Gell
2. To Composer John Cage
3. To Artist Murray De Pillars
4. To Pianist Cecil Taylor
5. Dedicated To Ann And Peter Allen
6. Dedicated To Susan Axelrod
7. To My Friend Kenny McKenny
8. Dedicated To Multi-Instrumentalist Leroy Jenkins

Anthony Braxton (as)

1969年

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