グレン・グールドとバッハは宇宙

   

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text:高良俊礼(Sounds Pal)

グレン・グールド ゴールドベルグ変奏曲

1955年にリリースされた『J.S.バッハ/ゴールドベルグ変奏曲』でデビューした時から没後20年以上経つ今も「天才、奇才」の名を欲しいままにしているグレン・グールド。

何はさておき「原曲のニュアンスを忠実に再現すること」が至上命題のクラシック演奏の世界においては、グールドの斬新な解釈と型破りな演奏法は波紋を呼び、「奇才」の部分は、彼の作品やドキュメンタリー映像、数々の逸話を記した雑誌や書籍等の記述を通して、広くクラシックファン以外にも知るところとなっている。

しかし、グールド未聴の人にとっては、何よりもまずは演奏家としてのカッコ良さと、彼が好んで演奏したバッハの凄さをこそ感じて頂きたいというのが、私の偽らざる本音だ。

グレン・グールド 革新者

彼の演奏が、いかに独創性に富んでいたかは、他の演奏者たちによる(俗に言う)“正しい演奏”と聴き比べてみるのが楽しい。

特にクラシック専門で愛好しているわけでもない私にとって、グレン・グールドというアーティストは、クラシック界のパンクスであり、ジミ・ヘンドリックスやチャーリー・パーカー、ボブ・マーリーと同じような「革新者」である。

ロックやブルースを好んで聴いていた頃に、短大の図書館で偶然グールドについて記述のある雑誌を見付け、その記事を小説でも読むかのような勢いで夢中になって読んだ。そして、勢いでCDも買った。

オリジナリティ

最初に購入したのは、デビュー作の再演として有名な『J.S.バッハ/ゴールドベルグ変奏曲』の1981年盤。

だってCD屋さんのポップに「名盤!グールド聴くならまずはコレから!!」と、デカデカと書いてあったから(笑)。
クラシックなんてよく分からない、バッハについての知識も「音楽室に写真飾ってある人」ぐらいの知識しか持ち合わせていなかった当時の私(頭の悪いパンク少年)だったが、グールドのCDは不思議と愛聴盤になった。

具体的に何がどう素晴らしかったのか、それは何年聴いても上手に説明できないが、演奏家の、純粋な音に対するある種狂気に近いほどの執念を、彼が奏でるピアノの音から、そして音と音の隙間の余韻から、私は途方もなく感じている。

この作品を通じて私はバッハが好きになり、他の演奏者による《ゴールドベルグ変奏曲》も色々聴いて、改めてグールドのオリジナリティとバッハの楽曲の凄さを感じている。

バッハ グールド

バッハの曲それ自体は、古典として位置付けられ、クラシックの世界ではそれはそれは崇高なものとして崇められているが、現実に存命し、曲を作っていた頃のバッハの音楽は、当時の「最先端」だった訳で、バッハ自身それを意識していたに違いない。

グールドの、一見型破りな演奏は、彼自身の表現者としての鋭い感覚が、存命時のバッハの「新しいものを作るのだ!」という切実な感情をも捉え、それを忠実に再現しただけのものかも知れない。

それは私が単純にグールドのファン、というだけではなく、バッハを聴いて、彼の音楽が持つその完璧な構築美に、永遠というよりもどこか未来の時空軸からやってきたものなのかもしれないという不思議な感覚に襲われることがあるからだ。

バンド仲間でテクノが好きな子がいて、彼とバッハの話になったときに、彼が即座に「バッハは宇宙!」と言い放ったことがあったが、それはもしかしたら、グールドが表現したかった「バッハ」を、最も的確に言い表す一言であるかも知れない。

記:2014/10/02

text by

●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル

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