ガンヘッドが好きなんです。

      2021/12/31

少し前に「大盛りラーメンの喰ひ方」をこのページにアップしたが(⇒こちら)、最後に『ガンヘッド』を少し引き合いに出した。

そうしたら、猛烈に『ガンヘッド』を観たくなってしまった。

だから『ガンヘッド』を観た。

恐らくこれで7回目だ。

7回ともレンタル屋で借りて観た。

仕事の得意先に、学生時代にレンタル・ビデオ屋でアルバイトをしていたという人がいる。

彼が、店によく来たヘンな客の話をしてくれた。

デブ、メガネ、トレーナー、紙袋、猫背といった、「いかにもオタク」な雰囲気の客だ。

それだけだったら、秋葉原へ行けばたくさんいそうな人種なので、さりとて珍しくもないのだが、面白いことに、彼は毎月『ハカイダー』のビデオを借りていくので、とても印象に残っているのだそうだ。

エロアニメの『くりぃむレモン』などを数巻と、実写のエロビデオ、そして、それらのビデオの一番下に恥ずかしそうに『ハカイダー』を忍ばせて、頻繁に借りてゆくのだそうで。

そんなに好きならダビングしちまえばいいのに、とも思うのだが、ダビングの機械が無いのか、ただ単に面倒くさいだけなのか。あるいは、観たいときに観れれば、それで良いと考えているのかもしれない。

だとしたら、その気持はよく分かる。

私にとっての『ガンヘッド』もまさにそうなのだから。

正直、『ガンヘッド』という映画、そんなに面白い映画とも思えないし、好きな映画とも言い難い。

ただ、私はジャズを聴いたり、演奏したりしているうちに、自然と培われてきたのだろうか、作品と接するときは、妙なところに寛容になっているようで、必ずしも作品には完成度を求めない性質なのだ。

全体はクズでも「光る一瞬」が一つでもあれば、それでいいじゃないか、と思ってしまうのだ。その一瞬すら無い作品だって多いんだから。

作品を作る人間が完璧主義になることは大いに結構だが、作品すら作れない人間が、鑑賞態度に完璧主義になってもしょうがないだろう、とも思っている。

特に個人芸色の強いジャズの場合は、全体のまとまりが悪かったり、作品全体のバランスを欠いていたとしても、一人のプレイヤーによる光る数音があれば、それはそれで面白さを感じられるものなのだ。

ジャズのCDには多くの「オルタネイト・テイク」が収録されているのも、その考えからなのだろうし、チャーリー・パーカーのダイアル盤の「チュニジアの夜」における「フェイマス・アルト・ブレイク」などは、その最たるものだろう。

あるいは、私が好きなオーネト・コールマン。

彼の書く、奇妙なメロディの曲、そして即興演奏のほとんどが、いわゆる「一筆書き」のような味わいがある。

一瞬のキラメキや美しさはあるが、これを補強したり強調したりする構造的な「装置」が無いのだ。というよりも、最初からそんなことは彼は考えてもいないのだと思う。

とりとめもなく空中に拡散され、消えていってしまう。この「あてどもなさ」が彼の書いた曲、そしてアドリブの持ち味なのだ。全体の中から見れば奇形かもしれない、一瞬で消えてしまう美しさを、瞬間瞬間に味わうのがオーネットを聴く上での極意なのだと私は思っている。

だから、起承転結を求めるだけヤボ。構成美を求めるなら、他で求めてくれってな感じだ。

そんなわけで、私は映画やテレビ、あるいは読書でもそうなのだが、「一つでもタメになればいいや」、「一個でも面白い瞬間があればいいや」という態度で鑑賞することにしている。

だから「ガンヘッド」にしたって、通しでは一回しか観ていないので細かいストーリーはよく知らんし、漂う雰囲気はB級以外のなにものでもないと思う。

しかし、それがどうした。

ガンヘッドがカッコイイから、ガンヘッドのバトル・シーンだけ観れれば私は満足なのだ。

主人公のブルックリン(高島政宏)が、無人ロボットのガンヘッドを有人機に改造する。

動きだす。

戦闘。

戦車モードに変形する。

機械に支配された「八丈島」の塔の中を移動する。

戦闘。

ボスロボット相手に苦戦する。

これだけ観れれば私は満足。

戦闘シーンと交互に出てくる、人間しか出てこない場面は容赦なく早送りだ。

とにかく、暗くてよく輪郭がつかめないけど、なんだか不格好でリアルなガンヘッドの勇姿が観れればそれでいいのだ。

ガンヘッドは、戦車を歩行形態にしたらこうなりましたよ、とでも言うべき戦闘ロボットだ。

雰囲気的には、『戦闘メカザブングル』の作業用の、たとえばギャロップ・タイプのようなウォーカーマシン、あるいは『装甲騎兵ボトムズ』のアーマード・トルーパーに近いものがあるが、無愛想に全身が兵器で固められているところは、『超時空要塞マクロス』のデストロイド、ことに、デストロイド・ディフェンダーに似ている。

しかし、モニターに映し出されたCGで見るシルエットは、マクロスがトランスフォーメーションによって人型になった形に似ている。ちょっとスリムな体型のマクロスを、ズングリムックリと短く縮めたようなシルエットだ。そこが妙にリアルで、不格好ゆえにカッコイイ。

ま、マクロスやデストロイドに似ているのは、ガンヘッドのメカニックデザイナーが、バルキリーをデザインした河森正治だから、当然といえば当然か。

ガンダムのように、ロボットが、まるで人間のように自由自在に動き回ってチャンバラをやりそうな雰囲気は微塵も感じられないシルエットが素晴らしい。

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あと、サウンド・トラックが個人的には大好きだ。

サックス奏者の本多俊之がサントラを担当しているが、ここではサックスは一切吹かず、打ち込み音楽に徹しているところが良い。

バックに流れる単調な打ち込みサウンド。

デジタル音源のシンセサイザー、そうヤマハのDX-7が登場した頃に、「アナログシンセの音とは違って、この音は、いかにもデジタルな音でしょう!!」と言わんばかりの音が、「どうだ!」と言わんばかりに、当時発売されたデジタルシンセの中にたくさんプリセットされていたが、これらの音に加工を加えず、ほとんど剥き出しのまま使ってしまったような「生デジタル」な音ばかりを大胆に使っているサウンドは、チープを通りこして、逆にクールだ。

本多氏の、ポップで分かりやすいんだけれども、ちょっとどこかが屈折しているメロディ感覚が私はすごく好きなのだが(『マルサの女』のテーマもそうだ)、「ガンヘッド」の打ち込みサウンドにも、それが生き生きと脈打っている。

特にメインとなるテーマ、イキそうでイカない、盛り上がりそうで盛り上がらない、メロディには山場のようなところはあるのだが、バックのリズムと伴奏が山場として盛り上がることを拒否しているように淡々としているところがニクイ。

ベタで緊迫感のあるサウンド、手抜きなようで、よく聴くと意外と手の込んでいそうなサウンドは、確信犯の高級なお遊びとすら言えよう。

結局、「くー、かっこいいなぁ」と、「ガンヘッド」のシルエットと音楽を拝めれば、あとは持っていても置き場所を取るだけなので、一週間経てば、当然のことながら、レンタル屋に返す。

しかし、また数ヶ月して突発的な「ガンヘッド」発作が始まったら、また借りてしまうのだろう。

ビデオ屋の店員に、「あ、またガンヘッド好きなオタクが来たよ」と思われていたりして……。

記:2001/11/06

追記

12/27に放映された、フジTVの『とくダネ!』。

元オウム真理教幹部・新実智光被告の論告求刑公判において、検察側から極刑を求刑した報道のBGMが『ガンヘッド』のメインテーマだった。

こういう使われ方もあるのね。

記:2001/12/28

追記2

と、ここまで書いて、10年以上が経過してしまった。

ガンヘッド好きにはたまらない本が、なんと2013年になって発売された。

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なんでいまさら?という思い以上に、これは素晴らしい!

ガンヘッドの興奮が頭の隅っこに1ミリでもある人は、ページをめくってみるべきでしょうね。

記:2013/06/11

 

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