ベースの練習は、反復、反復、反復!!これに尽きる!

      2018/09/14

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何回練習した?

自分にベースの才能が無いと嘆く前に、そして、いくら練習しても中々曲を覚えられないと落胆する前に、課題としている曲にどれぐらい自分は真剣に取り組んだのかを振り返ってみること。

何度も何度も繰り返し練習した。でもウマくいかない。

そうですか。

では、あなたは、その曲を何回練習しましたか?

30回?
50回?
それとも100回?

甘い甘い。

100回程度でモノになるだろうという考えは、捨てたぐらいが、ちょうど良い。

プロでも1000回

私の間接的な知り合いのプロ・ドラマー、ある新しいオカズのパターンを研究中だった。

試しに叩いてもらった。

ほんの一瞬のさり気ない8ビートのフィル・インだ。

ドラムに関しては素人の私でも、一聴、難しそうなパターンだというぐらいは分かった。

すごく練習したんだなぁということぐらいは分かった。

しかし氏曰く、このフィル、人前ではまだ叩かないという。

え!?こんなにスラスラと軽やかに叩いているのに?

しかし、まだまだ叩いて人様からお金を貰えるレベルではないという。

なぜかというと、まだ600回ぐらいしか練習していないからだそうだ。少なくとも1,000回ぐらい、いや、そこまではいかないにしても、あと200回ぐらいの練習は必要なのだという。

自分の血肉にしてから人前で披露しないと、とてもとても人様からお金を取るのが忍びないという。

プロでさえそうなのだ。

ましてやシロートの我々をや?

回数をこなすからこそ上達する

人間の感覚は訓練すればするほど、極端なぐらいに鋭敏に研ぎ澄まされる。

ベテランの寿司職人に、シャリを何個か握らせる。

握らせたご飯粒の数をピンセットで分解して数えてみると、驚くべきことに、その誤差はゼロ。

あっても1粒か2粒程度なのだ。

米の俵を肩で担ぐ人も、ちょっとした重さの狂いにもすぐに気がつくという。

訓練の賜物以外のなにものでもない。

こうなるためには、何年、何十年の修行期間を要したのだろう。

何年、何十年も毎日同じことを繰り返しているということは、同じ動作を何万回、何十万回と繰り返してきたということだ。

それぐらいの量をこなして、初めて「身につく」「モノになる」といえるのではないか?

もちろん、スラスラ弾ける曲や、自身のあるパターンを何百回も繰り返し練習しても時間の無駄かもしれない。また、先ほど例に挙げたドラマーの練習姿勢が極端で、ストイックすぎるのかもしれない。

しかし、自分の苦手とする、数小節や、リフのパターンを練習する際は、少なくともスラスラ弾けるようになるまでは、サルのように反復練習を繰り返すべきだと思う。

あのリー・モーガンだって、ジャコ・パストリアスだって

クリフォード・ブラウンの死後、彗星のように現れたトランペッター、リー・モーガンは、若干18歳でリーダーアルバムを吹き込み、間髪を入れず何枚ものリーダーアルバムをレコーディングするという輝かしいデビューを飾った。

人は天才と彼を呼ぶ。

しかし、デビュー前のリー・モーガンは、毎日8時間以上トランペットの練習を続けていたという事実も見逃してはならない。

トランペットを始めたのが14歳。それから3年間、彼は毎日8時間のトレーニングをしていたという。

1週間でよい。

1つのことに毎日8時間、1週間続けて打ち込んだことってありますか?

エレクトリック・ベースの革新者、ジャコ・パストリアス。

今でも多くのベーシストの憧れと目標の対象にされるベーシストの一人だ。

彼の2枚目のアルバム『ワード・オブ・マウス』のB面の1曲目に、バッハの《半音階的幻想即興曲》が、エレクトリックベースのソロ演奏で収録されている。

ワード・オブ・マウスワード・オブ・マウス/ジャコ・パストリアス

圧倒的なスピード感と超絶技巧。誰もが舌を巻く。

さすが天才ベーシストと言われているだけのことはある。
だが、彼はこの曲を弾きこなすために、何年もの間、常にこの曲の譜面を持ち歩き、ツアーの合間を縫って練習していたことも忘れてはならない。

2年でよい。たった一つの曲をマスターするために、2年間毎日弾き込んだ曲ってありますか?

ビ・バップ革命の第一人者で、凄まじいアルト・サックスのテクニックの持ち主、そしてジャズ・ジャイアンツの筆頭に挙げれられるのが、バードこと、チャーリー・パーカー。

彼のサックスはヘタクソだった。らしい。

少年時代にジャムセッションに飛び入りしたら、ドラマーのジョー・ジョーンズに「もうやめろ」とばかりに、シンバルを投げつけられたこともある。

そんな彼も、一念発起して、サックスとレスター・ヤングのレコードを背負い込み、山ごもりをしてサックスの修行に明け暮れ、再び人前に姿をあらわした時には、以前の彼とは見違えるほど凄まじいテクニックを身に付けていた。

1週間でよい。何かに打ち込むために、外界からの情報をすべてシャットアウトする環境を設定したことってありますか?

リー・モーガン、ジャコ・パストリアス、チャーリー・パーカー……。

人は彼らのことを「天才」と呼ぶ。

たしかに天才なのかもしれないが、彼らが水面下で行った努力を知らずして、ただ能天気に「天才」という一言で片付けてしまうのは、彼らに対してあまりにも失礼ではないか?

どんなに才能を持って生まれた人間も、その才能やヒラメキを、楽器という肉体から離れた道具の操作と制御をして、人に感動を与える表現をするためには、人の何倍も努力をしていたのだということを忘れてはいけないと思う。

彼らの努力、そして冒頭に挙げた練習の鬼のドラマーのエピソード。

くじけそうになったら思い出すようにしよう。

クヨクヨする時間があったら、ベースを手にとり3回でも8回でも良いから、反復を繰り返し、苦手な箇所を潰す時間にあてるべし。

「ダメだ」と結論を出したいのならば、少なくとも100回繰り返すまでは、結論を保留するべし。

そして、たかだか数回の反復で何とかなってしまうほど、自分は大したヤツでは無いということを自覚すべし。大したヤツでも、少なくとも今の自分の何十倍もの努力を積み重ねてきているのだから。

記:2001/09/01(from「ベース馬鹿見参!」/ザ・ベース道)

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