橋本一子ライブ in「J'z Brat」と藤本敦夫『どこにもないランド』
橋本一子と藤本敦夫
いまさらながら真剣に思うのですが、橋本一子さんって、いちピアニストやコンポーザーや、ミュージシャンという枠でくくるのは、もう少なくとも私の中ではやめにしたいな、と思うわけですよ。
もうこれは冗談でも誇張でもなんでもなく、一子さんはまごうことなき音のミューズ(女神/音楽・舞踏・学術・文芸などを司る神)だと思うわけです、少なくとも私にとっては。
なぜかというと、これまで過去に、一子さんの様々なライブに足を運び、そのたびに異なるジャンル、音楽性を表出する一子さんに出会っているのですが、
あるときは打ち込み中心、
あるときは歌もの中心、
あるときはUb-xの超刺激的なポリリズムと、
その音楽性の幅広さと柔軟性、
表現の深さはもとより、最近では、一子さんが発する音の「気配」、あるいは「佇まい」だけでも、凡百のミュージシャンとな「空気の格」がまったく違うよな、と思わざるを得ないのです。
もっと具体的にいうと、一子さんのピアノの音を聴いている、ヴォーカルの声色を聴いているというのではなく、一子さんという存在そのものが発する空気を聴いている、いや感じているという感じ、といったほうが適切なのかもしれません。
空気が違うんですよ、本当。
一子さんが鍵盤を押す一音でもいい、マイクを通した呟きの一言でもいい、これらが中空に発せられた瞬間、“ふわっ”と空気が一子色に染まる、というより、ビックリするほどに空気の色が変わるんです。
このミラクル・ハッピーな現象は、実際にライブに立ち会わなければ、なかなか分からないことなのかもしれません。
やはりCDだけの鑑賞だけでは、封じ込められる音や雰囲気の情報量に限界があるわけですから、荒い空気の粒子が、音が出た瞬間に、その粒子を丸やかに、やわらかに変質させてしまうだけの音の磁場の形成力というのは、直近で、生で一子さんのパフォーマンスに触れてみないと、なかなかそのニュアンスは伝わり難いのかな? と思うのです。
どのアルバムを聴いても、テンションのきつい和音でガンガンに弾く過激な演奏があるので、一子さんのことを尖がったピアニスト、キーボーディストだと感じる方も多いと思うのですが(実際、尖ったアグレッシヴな面も一子さんの本質の一つですが)、CDで味わう尖った音と、同じ曲を生で聴く尖がり具合はまるで違うのです。
「包容力」というと、ありきたりな表現になってしまいますが、ライブで生のピアノの音を直に聴くと、一子さんが発する音の磁場というのは、どんなにエグい和音を弾いたとしても、あるいは、過激なアプローチをしたとしても、とても「ふぅわり」と柔らかく、あたかも暖かな空気が独特な磁場を形成してしまう。
それだけ、深く広い音が空気を包むのです。
これって本当に不思議な現象でして、なぜにあの細い腕から、あの細い指から、かような空気を醸し出すことが出来るのだろうか? といつもいつも不思議に思うのですが、「それは一子さんは音のミューズ(女神)だからなんだ」と、思い至ってからというものの、「なるほど、だからか」と一人、腑に落ちまくっている今日この頃なのです。
ピアニスト、というよりは、たまたまピアノという、木と弦とフエルトと金属パーツで構成された巨大なオブジェを媒介として、異次元からやってくるの優しげな音と空気を伝えるシャーマンなのだ、と理解すると、橋本一子という一筋縄ではいかないミュージシャンの謎も一気に解けた気分になるのです。
少なくとも私は、ね。
そんなわけで、2010年9月14日の火曜日、渋谷はセルリアンタワーにある「J'z Brat」に一子さんのライブに行ってきました。
今回の趣旨も面白い。
バイオリニスト、金原千恵子さんのストリングカルテットとのコラボレーションなのです。
ときに、橋本眞由己さんもヴォーカルで参加し、そのサウンド空間の広がりは無限大。
変幻自在なストリングスアンサンブルと、一子さんが発するピアノの美しい調和は、見事!という一言に尽きました。
ストリングスの音色は、限りなく生に近い音で楽しめ、後ろの奥のほうの座席に座っていた私にとっては、ちょっと音量が小さいかな? とも感じましたが、それはそれ、微細でニュアンスに富んだ弦楽器たちの表現と、美しく溶け合う音に耳を澄ます楽しみもありました。
ストリングスの演奏をメインに強調したいときは、一子さんは、ほとんどピアノを弾かない箇所もあったのですが、ときおり、ひっそりと弦楽器4人が発するサウンド空間に流し込まれるピアノの音色は、まるでピアノの音ではないほどクリーミーな柔らかさと同時に、ハープのような深みのある音色。
これまた、一子マジックを魅せつけられた思いです。
一子さんが、20年ぐらい前?だっけ、ずいぶんと前に作曲をしたというナンバー2曲でステージは幕を開けたのですが、現代音楽的な主題でありながらも、現代音楽にしばしば感じられる尖った要素は綺麗にフィルタリングされ、耳触りの良い音が会場内を包みこみました。
といっても、耳触りが良いというのは、あくまで一子さんの“空間調整能力”の賜物であって、決して曲や演奏そのものがマイルドというわけでもないのです。
よく聴くと、クロノス・カルテットを彷彿とさせる、かなりエッジの効いたアレンジであるにもかかわらず、どうしてだろう、このシャープさは、尖っていつつも深く広い包容力を秘めているのです。
アレンジや曲自体は、ジャズ以前にはクラシック教育を受けていた一子さんならではのクラシックの素養を多いに感じさせる内容だったので、クラシックも好きな私のもう一つの感性にもズブズブと浸透してゆくようなサウンドでありました。
眞由己さんが歌う楽曲は、あたかも久石譲の「もののけ姫」をより一層クラシカルに格調高くしたような響きとメロディでした。
アトランティスでもムー大陸でもいいのですが、はるか昔に繁栄したのだが、今は影も形もな失ってしまった、かつての文明国がかつて奏でていたであろう、失われた美歌が何かの拍子で偶然に、渋谷のセルリアンタワー内に舞い降りてきたのではないか? そんな錯覚すら覚えました。
そういえば、会場を去る際に、私はドラマーの藤本敦夫氏の新作『どこにもないランドを』購入しました。
これ、スゴいアルバムです。
というか、どこまでが真剣で、どこまでがフザケテいるのか、わけのわからんアルバム(?)です(笑)。
わけわからん(?)というと失礼ですが、なんていうのだろう、わけのあからんムズムズさ加減が、めちゃくちゃツボで、気持ちが良いのですね。
楽しいアルバムだということは確か。
歌もの中心のアルバムで、藤本氏の渋いヴォーカルがたっぷりと聴けます。
そして、なんだか不思議な懐かしさも感じるのです。
最近の録音のアルバムだということは確かなのですが、昭和47年に録音されたアルバムといわれても、納得してしまうかもしれない(笑)。
iTunesにCDを取り込む際、出てきたジャンルが、JazzでもPopsでもなく「Traditional」だったのも妙に納得です。もしかして狙ってる?(笑)
新しさと懐かしさが奇妙に同居したこのアルバムは、これからの季節は、コタツとミカンのセットで聴きたいですね。
その前に干し柿とお茶かな。
冬になったら、石油ストーブと干しイモの組み合わせも似合いそう(笑)。
アルバムには全23曲がテンコモリ。
とはいえ、1曲の演奏時間が短いので、飽きることがまったくない。
アルバムの構成は【日本語の歌】編、【洋楽風?】編、【ポリリズム!】編と分類されていて、アルバムを形成する流れはあるのですが、iPodでシャッフル選曲するとさらに面白い。
まさに音のビックリ箱になるからです。
クスリ笑いをしたければ【日本語の歌】編、【洋楽風?】編には、特にビートルズ好きさんにはツボにくる節とアレンジが満載、【ポリリズム!】編は、なーるほど!な解説入りで、音と喋りで納得させてくれます。
藤本敦夫氏はいわずとしれた一子さんにとっては欠かせぬ名ドラマーであると同時に、いやそれ以前に名パートナーでして、ライブの際は一子さんのMCに、しょ~もないオヤジギャグで絡んでくるのが名物の人でもあります。
藤本氏、観た目は、すんごくカッコいい。
渋くてダンディな方なんですよ。
……黙っていれば、ね(笑)。
しかし、いったん口を開いた途端、発せられるギャグは、凄まじいおやじギャグと、3年殺しとでもいうべき、後になって笑いがこみあげてくる、遅効性のユルい笑い。
ライブのMCコーナーでの一子さんと藤本氏とのやりとりを聴いていると、クスリ!と笑う箇所が、ライブ中に最低でも2~3回はあり、これもまたライブ鑑賞の楽しみの一つなのですが、これだけを切り取ってしまうと、単に藤本氏は、ライブの中の「おやじギャグ係」になってしまう(笑)。
しかし、実態はそのようなギャグ係のみならず、非常に才能に溢れた方でもあるのです。
いや、才能があり過ぎて、そういうふうになっちゃったのかな?
つまり、ドラムのみならず、ヴォーカルもダンディでエレガントだし、ギターも素晴らしいセンスの持ち主。
それ以外にもプログラミングからアレンジから、なんでもこなしてしまうマルチな才能をお持ちという、「才人」なのであります。あるいは「奇人」?(笑)
あ、今、パソコンのキーボードに“さいじん”と打ったら、最初に「祭神」と変換されたけれども、「祭神」という形容もけっこう似合っているかもしれませんね。
今回、会場で購入した『どこにもないランド』は、まさに藤本氏の才能の片鱗が封じ込められたアルバムでして、帯の言葉は菊地成孔、よしもとばなな。
で、ライナーを見ると、エグゼクティブ・プロデューサーとして橋本一子さんの名前がクレジットされているのですが、その横に(パシリ)と書いてある(笑)。
おお、あの一子様が、パシリっすか~!
と、女神様を使いっぱさせてしまう藤本氏の存在そのものも恐るべしですが、参加ミュージシャンの名前を見ると、石井AQ、橋本眞由己、谷川浩子など、いわゆる橋本ファミリー総結集とでもいうべき内容の本作は、聴きどころ満載なきわめて音楽性の高い1枚なのです。
ちょっと収録曲をコピペしてみましょうか。
1. ぶっとんだ!
2. ありんこ
3. ウサギ(カメ)
4. 超美人の脳内
5. Oh! My God Free Hand
6. なぜだかわからないのに
7. モーニングテーブル
8. 小川美潮
9. そっと目を閉じて
10. 窓辺のマドンナ
11. 愛してるよ!
12. どこにもないランド
13. Lovely Your Girl Friend
14. 山の女神
15. Don't Set Me Free
16. Just Want To Do
17. Morning Evening
18. 東京パラダイス
19. 踊る女神
20. ツール・ド・フランス feat.橋本一子
21. 未来の竪琴 feat. Piera Savage
22. ポリポリズム(Perform)
23. ポリズム(バキューム)
タイトルやアルバム全体からただよう、ゆる~い雰囲気からは、シリアスなジャズファンは敬遠してしまうかもしれませんね。
でも、臆せず手にとって聴いてみるといいよ。
個人的には、《ツール・ド・フランス、feat.橋本一子》が好きで、やっぱりこのナンバーが一番「一子色」が強いから、聴いていると安心できるのかもしれません。
ヨーロピアンな香りと、切なさがまぶされた佳曲でして、一子ファンなら、この1曲だけでも“買い”のアルバムですし、この1曲を聴くだけでも、「あ~、あいかわらず、超・一子さんテイストじゃん、なんで自分のアルバムに入れないの!?」と叫んでしまうこと請け合い。
とはいえ、このナンバーは、あまりに「一子色」が強いゆえ、アルバムの中ではちょっと色合いが違うナンバーなこともたしかで、「藤本色」が強いといえば、やっぱり《ぶっとんだ!》、《小川美潮》、《超美人の脳内》が、面白くて好きであります。
♪み~・し~・お~ み~・し~・お~ 永遠に
♪み~・し~・お~ み~・し~・お~ 大好き
嗚呼、最高(笑)
もう一つの隠れた傑作《Don't Set Me Free》は、昔のロックのテイストが好きな人だったら感涙の嵐なのではないでしょうか。
昔のロックじゃなくても、レニー・クラヴィッツが好きな人にもツボなテイストが満載な、涙・涙曲なのです。
唯一の不満は、もっと長い演奏、アレンジにして欲しかったです。
チャールス・ミンガスにはダニー・リッチモンドというドラマーが欠かせぬ存在だったように、橋本一子というピアニストには、藤本敦夫というドラマーは欠かせない上に、いまや切っても切り離せない名コンビといっても良いでしょう。
なにしろ、一子さんのキャリア初期よりクレジットには藤本氏の名前がありますから。
そんな凄い才能の塊と一子さんの音楽は分かち難いものがあり、一子さんの表現を深いレベルで理解し、増幅させることが出来るのは、まずは藤本氏をおいて他はないでしょう。
ずーっと、このコンビで活動を続けて欲しいと思います。
え? 同じ相手ばかりだとサウンドがワンパターンにならないかって?
残念でした~。
ワンパターンには決してならないのですよ。
二人の引き出し、キャパはとてつもなく広く、表現力もかなり深いところを極めているコンビが生み出すコンビネーション、サウンドは、ワンパターンになりようがありません。
昨日のライブでは、金原カルテットがメインゆえ、藤本氏の存在感は少し抑え気味なようでしたが、今後はどのような展開を見せてくれるのか、やっぱり目が離せないのであります。
さて、またまた『どこにもないランド』を聴きながら、ゆる~い気分になるか。
記:2010/09/16