ブルーノート物語(後編)
text:高良俊礼(Sounds Pal)
>ブルーノート物語(前編)
>ブルーノート物語(中編)の続きです。
ブルーノート スタッフ
ライオンの人柄とセンス、そして何よりも、その誠実で堅実な仕事ぶりを慕って「ブルーノート」に集まってきたのは、ミュージシャンだけではない。
「それ自体が現代アートとしての価値を持つ」と評される、秀逸なジャケットを手掛けた、カメラマンのフランシス・ウルフとデザイナーのリード・マイルス。
力強く臨場感豊かな“ジャズ・サウンド”の生みの親である、録音技師のルディ・ヴァン・ゲルダーといった個性的なスタッフ達も、ジャズマン同様「ブルーノート専属アーティスト」として活躍した。
彼らの業績は、レコード会社としては異例の“ジャケット写真集”がロングセラーになったり、ルディ・ヴァン・ゲルダーが直接リマスタリングしたCDの再発シリーズが反響を呼んだりと、音楽/美術/音響技術などなど色々な分野に影響を及ぼしている。
家族的な雰囲気
かつてブルーノートで録音を経験したジャズマン達は、口々に「ブルーノートは家族的な雰囲気の会社だった。ライオンは俺達の要望に出来る限り応え、プライベートな相談も親身になって聴いてくれた。」と回顧する。
ミュージシャンで黒人というだけで、社会からは差別的に扱われ、受け容れてくれているはずの音楽業界には、いいカモとばかりに稼ぐだけ稼がされて、当たり前のように稼ぎをピンハネされている。
そんな過酷な世界の中で、ミュージシャンに敬意を払い、人種に関係なくフレンドリーに接して利益を公正に分配するライオンのようなオーナーは、ミュージシャンにとっては正に父親のような存在だったに違いない。
ブルーノートの現在
1950年代には「モダン・ジャズ」と呼ばれる新しいスタイルのジャズが流行。
「ブルーノート」というレーベルの中では、数字に換算されるビジネスとしてのギブ・アンド・テイクだけではなく、もっとハートウォームな信頼関係があった。
オーナーはスタッフやミュージシャンの才能に、ワン・アンド・オンリーの価値を見出し、スタッフやミュージシャンは最高の仕事で応え、更にオーナーは彼等の才能に投資する。
結果、その循環はレーベル独自のカラーと、(目に見えないけれども、その引力は絶対的な)「良い雰囲気」を発して、リスナーの心を捉える。
後にロック・ミュージックの台頭などによるジャズの衰退によって、ライオンも会社としてのブルーノートを手放すことになるが、レーベルとしての「ブルーノート」は、彼のノウハウをそのまま受け継ぎ、70年以上も活動しているどころか、今も世界中の優秀な人材を発掘してデビューさせている。
記:2014/09/10
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)
※『奄美新聞』2008年7月11日「音庫知新かわら版」掲載記事を加筆修正