ジャズ1956年(日本は昭和31年)
モダンジャズの大きな転換期
1956年は、モダン・ジャズにとっては一つの黄金時代、もしくは、大きな転機を迎えた年だ。
もちろん、これは私のみならず、多くのジャズファンもそのことにお気づきのことだと思うが。
その理由・根拠として、以下の出来事があげられる。
マイルスがプレスティッジにおいてマラソン・セッション、すなわち『クッキン』、『リラクシン』、『ワーキン』、『スティーミン』の4枚のアルバム、いわゆる「ing四部作」の演奏を2回のレコーディングで吹き込んだ。
セロニアス・モンクの最高傑作の誉れ高い『ブリリアント・コーナーズ』が吹き込まれた。
ソニー・ロリンズの傑作、『サキソフォン・コロッサス』が吹き込まれた。
クリフォード・ブラウンが交通事故死。
セシル・テイラー、ビル・エヴァンスがシーンに登場。
この5つを持ってしても、56年という年は、円熟期と転換期だったことが推察される。
つまり、ジャズ・ジャイアンツが生涯の傑作、代表作を録音した年がこの年だということ。
彼らのこれまでの蓄積、試みが一気に花開いた年だったのだろう。
しかし、それと同時に、一つの黄金時代の終焉の予感も漂っている。
ハードバップの代表的トランペッター、クリフォード・ブラウンの死だ。
彼は交通事故で亡くなったが、車に同乗していた彼のバンド仲間、そして、バド・パウエルの弟でもあるリッチー・パウエルも亡くなっている。
もちろん、彼らの死が、即、ハードバップというジャズの一表現形態の衰退につながったというわけではない。
しかし、やがては、ファンキー、モード、フリーという新しい表現形態に移行、細分化してゆく前の段階の、ハードバップと呼ばれる表現形態のピーク時に起きた出来事なだけに、登りつめたら後は下るしかない、最初の下降線の始まりとしては非常に象徴的な出来事のように見えてしまう。
もちろん、1つの時代の終焉を意味するわけではなく、新しい息吹が芽生えつつあった年でもあることは、エヴァンスやテイラーのデビューからも分かることと思う。
この両ピアニスト、方向性こそまったく違うが、エヴァンスはやがて新しいピアノトリオの表現形式を編み出し、ピアノトリオの表現領域を拡大した。
加えて、その後のピアニストに計り知れない影響を与えたことは、皆さんもよくご存知の通り。
また、セシル・テイラーは、フリージャズの最も先鋭的で優れた闘志として、後進に影響を与えるばかりか、今もなお現役でバリバリと活動している。
このような影響力を持った人物が現れたのも56年。
まさに、ジャズの歴史の中においては、激動の年だったのだろう。
ちなみに1956年を昭和に直すと、昭和31年。
この年は、日ソ国交回復、日本が国連加盟をした年でもある。
私はその年にはまだ生まれていないが、西暦を昭和に直したとたん、非常に古い時代の話の出来事なのだと感じてしまうのは気のせいか。
1956年は、どんなことが起きた年なのかというと、
スーダン民主共和国が独立。
伊豆大島の三原山が大噴火。
女優グレース・ケリー(米)とモナコのレーニエ大公の婚約発表。
アメリカ探検隊の海軍機調査で、南極大陸が単一の大陸であることが証明される。
石原慎太郎の『太陽の季節』が第34回芥川賞受賞。
『週刊新潮』創刊。
ラオス民族統一戦線が結成される。
黒部ダム工事現場の作業員宿舎が雪崩で崩壊、死亡者21名。
売春防止法が公布される。
巨人軍の川上哲治が史上初の2000本安打を達成。
高村光太郎が亡くなる。
ユーゴのチトーがソ連を訪問し、熱狂的歓迎を受ける。
イギリス軍がスエズ運河から撤退。イギリス支配が終結。
チュニジア独立。
ユーゴのチトーがソ連を訪問し、熱狂的歓迎を受ける。
イスラエル軍がエジプトに侵入。スエズ戦争が始る。
ソ連軍がブダペストから撤退の協定に調印する。
イギリス、フランス軍がスエズ運河に進撃する。
ハンガリー事件。ソ連が1000台の戦車でブダペストに進駐、カダ政権をたてる。ナジ首相はユーゴ大使館に避難する。
日本コカ・コーラ・ボトリングが創設される。
イギリス、フランス軍がスエズ運河に進撃する。
……などなど。
世界情勢的にも激動の年だったのだなということが、上記の抜粋を見てもよく分かる。
新しいものが生まれ、古いものが滅び、新しい価値や認識が生まれる最中、さまざまな価値観が衝突しあう。
このような時代の最中に、モダンジャズは一つの全盛期を迎えてたのだ。
どうでも良いことだけど、南極って、この年になるまで大陸だと思われていなかったんだ(笑)。
間宮林蔵の樺太探検の南極版をアメリカがやっている年に、マイルスは、『クッキン』の《マイ・ファニー・ヴァレンタイン》をピーッと吹いたのかと思うと、どうでもいいことだが、なんだかシュールなものを感じてしまう。
記:2004/02/04