通になる!ジャズの聴き方楽しみ方―ジャズの魅力が手にとるようにわかる!!/澤田駿吾
2018/01/14
『通になる!ジャズの聴き方楽しみ方―ジャズの魅力が手にとるようにわかる!!』という本を読了した。
なにやら、私が以前、邱永漢氏のサイトで連載していたようなタイトルだが(⇒こちら)、著者はレッキとしたジャズギタリスト。
通になる!ジャズの聴き方楽しみ方―ジャズの魅力が手にとるようにわかる!! (パンドラ新書)
初心者にも分かりやすい内容をこころがけている入門書、だということは、分かる。いちおう、そのような意思をもって執筆、編集しているという方向性は感じられる。
まえがきにも書いてあるとおり、書店に並んでいるジャズ入門書を手にとると、どれもがコムズカシイ内容ばかりで、「俺がやってるジャズってそんなに難いか?」と著者は思ったそうだから。
でもね、この本、ミイラ取りがミイラになっちゃってるよ。
本人は分かりやすく噛み砕いて書いたつもりなんだろうけれども、結果的には、他の入門書と比較すると格段に易しい内容になっているかというと、そうでもない。
というか、ほとんど同じじゃないの?
でも、それは仕方ないことなんだよね。
ジャズの歴史の解説に多くのページを割いているが、歴史上、起こった事実は変えようもないから、どうしても事実をふまえた解説というのは、よっぽどの筆力が無いかぎり、多少の読みやすさ、読みにくさの差は筆者によって出てくるにせよ、結果的には似たりよったりな内容になることは仕方のないこと。
この筆者の場合は、解説を「~です、ます」調にすることと、極力余分な内容を省くことによって「カンタンさ」を出しているつもりなのだろうが、結果は他の入門書と大差なし、とオレは思うね。
ま、ジャズのスタイルや歴史の説明は、入門者にとっては「お勉強」になる内容だからいいとしても、後半のディスクレビューがいただけない。
字数が少ないという制約があるのかもしれないが、どのレビューからも音が聞こえてこないんだよね。
いや、ジャズのレビューは音が聞こえてこなきゃイカン!と言っているわけじゃないよ。
たとえば、中山康樹氏や後藤雅洋氏のレビューからは音なんか聴こえてこない。
でも彼らの批評が魅力的なのは、頭の痒いところをチクリチクリと刺激してくれる心地よさがあるから。つまり、音は聞こえてこなくとも、「なるほど、そういうことなら聴いてみようじゃないの」と思わせるサムシングがあるんだよね。
あるいは「そうそう、そうなんだよね!俺もそう思うよ」とシンパシーを感じさせる要素が多いから。
だから、必ずしも優れたレビューは音が聞こえなくちゃイカン!というわけではないんだ。
でもね、この人、ミュージシャンでしょ?
しかも、他の入門書が難しいから自分が書いてみたわけでしょ?
それなのに、○○賞を受賞した、○○年に録音された、といったような客観的なデータだけを羅列してレビューの字数が尽きてしまっているのはどういうことなんでしょ?
少なくとも、これらのアルバム評を読んで「よっしゃ聴いてみよう!」と、私は思いませんね。
いや、客観的事実の羅列に関しては、別にそれはそれでもいいんだよ。
客観的なデータは、私がメルマガなどの原稿を書くときには重宝するので、このようなデータ的レビューが手元にあると嬉しくないこともない。
しかし、少なくとも魅力的なアルバム紹介とはいいがたい。
少しジャズに詳しいオッサンのウンチクレベルで終わっていて、レビューそのもには魅力がないんだよね。評者の視点や意見がほとんど感じられないし、本当に聴いてもらいたいの?って思ってしまうレビューなのだ。
岩浪洋三センセイのほうがまだマシだ。
……あ、言っちゃった(笑)。
岩浪洋三氏の最近のこの本、編集も内容もイマイチだなぁと思っているんだけれども、でも、聴き手の想像力を刺激するか否かにおいては、まだこの本のほうがマシ(あ、言っちゃった)。
他の入門書がコムズカシイから分かりやすい入門書を書いたわけでしょ?
だったら、面白くなくてもいいから、もう少し読み手の想像力を刺激するようなレビュー、読み手に「聴いてみたい!」と思わせるレビューをお願いしますよ。
著者の本業はミュージシャンで、文章のプロでないことは分かっている。
それを差し引いて考えてもですね、このようなレビューにダメだしをしなかった、あるいは手直しをしなかった担当の編集者の責任もあるんじゃないかな?
そう思った1冊でした。
記:2009/03/23