絶対にジャズ化されて欲しくない曲は……
なんでもジャズ化すれば良いというわけではない
ポップスなどの一般曲がジャズ化されることによって、新鮮な感覚が吹き込まれ、新たな曲の魅力が引き出されることもある。
しかし、当たり前だが、ジャズ化することによって曲の輝きが失う曲だってある。
サイモン・アンド・ガーファンクルの《明日に架ける橋》は名曲、名唱だが、あの二人がああいうふうに歌うのだから良いのであって、ジョージ・アダムスが朗々とサックスで吹いたところで、なんの感動も生まれない。
なんだか、曲の「仕組み」や「骨格」だけが提示されたような気分になる。
この曲だけは、絶対にジャズ化して欲しくないなぁと思う歌は、私の中にはたくさんある。
このメロディ、このコード進行、このアレンジ、この歌手じゃなければダメなんだよ、それ以外のアレンジは、ご勘弁!という、見事にパズルのピースがガッツリとハマったポップス名曲はたくさんあるものだ。
森高千里の《短い夏》
その筆頭が、私が以前、大好きだった森高千里が歌う、それこそ数多い森高レパートリーの中でもベストに入るんじゃないかと思われる《短い夏》。
ああ、たまらん。
超イイ曲。
ホントだよ(笑)。
ジャズでは、《ニューヨークの秋》とか《エブリタイム・ウィ・セイ・グッバイ》、あるいは《エンブレイサブル・ユー》なんかが、今パッと思いついた中では大好きなスタンダードなんだけれども、もしかしたら、それらを凌ぐほど、私の中では名曲かもしれない(笑)。
いま聴いても、コード進行といいアレンジといい、完璧なのである。
森高が危なっかしく、しかし確信を持って歌っているが、それがバッチリとこの曲にハマっている。
名曲だし、名唱だし、迷唱だ。
これを、たとえば、ピアノトリオなんかで演奏されるだなんて信じられないし、あってはならないことなのだ。
…というか、そんな物好きいないだろうけど(笑)。
櫻田宗久の《愛の奴隷》
それと、いま、パッと思いついた範囲で書くと、《愛の奴隷》だね。
櫻田クンの。
デヴィッド・ラシャペルが携わったプロモーションビデオの映像や振り付けも秀逸だけれども、音楽でけでももちろん美味しい。
『ムネトピア』というアルバムにも収録されているよ。
彼は以前、何度か仕事でご一緒したことがあり、とてもカワイく、男の私でも食べちゃいたくなるほどの美少年かつ、性格も好青年でした。
下ネタのセンスも、私と通じるところがあり、なかなか下ネタで意気投合して、二人で、「ゾウさんチンチン!」だなんて言いあって盛り上がった記憶があります。
子供みたいですね(笑)。
彼にはまた会いたいな。
最近(といっても2年ぐらい前かな?)、彼は、ホモ雑誌のカメラマンとして活躍し、自らが男色であることをカミングアウトして活動をしていますが、うん、そういや、《愛の奴隷》が発売された頃も、すでに新宿2丁目のゲイバーに彼のポスター貼られていたからなぁ。
そんな、桜田クンの《愛の奴隷》も、聴き手の琴線を鷲摑みにする超名曲。
これも、ピアノレスカルテットとかで演奏された音を想像するだけで、く~、カッコ悪ぅ。
あのメロディ、あのコード、あのいなたいコーラスに、あの修整入りまくりの桜田クンの声がないと成立しない名曲なのであります。
うーむ、「BIG BOY」で浴びるようにジャズを聴いた反動からなのだろうか、80年代後半や、90年代初頭のポップス(それも、ヒットチャートには入らなかったようなもの)ばかり聴いてマス。
あ、そういえば、《短い夏》も、《愛の奴隷》も、筒見京平の作曲だ。
この人の曲作りは本当にうまい。
記:2007/01/26