ジュニア・マンスのライブに行ってきた。
2021/02/10
先日(7月31日)、ジュニア・マンスのライブに行ってきた。
私のベースの師匠、池田達也氏がベースとして参加することを知ったからだ。
そして、ドラムが大坂昌彦。
一時期、トランペットの原朋直とともに、「日本ジャズ維新の先頭を切る志士」と評されたこともある実力者だ。
彼が参加している演奏のCDは数枚持っているが、生で見たことはなかったし、私の息子が、ジャムセッションに連れて行き、私が一生懸命ベースを弾いているのに、ドラムの方しか見ていないほどのドラム好きなので、二人で見に行くには丁度良いなと思って、早速このコンサートの予約をした。
私は、ジュニア・マンスというピアニストのアルバムは、『ジュニア』(Verve)の1枚しか持っていないので、あまり熱心なファンとはいえないが、それでも、彼のピアノは嫌いではない。
個人的には、非常に淡白なピアニストだと思っている。
ブルース・フィーリングは溢れているのだが、それを全開にした「下品」なプレイは絶対にしない。
抑制を効かせた、あくまで都会的なブルース・フィーリングが持ち味のピアニストだと思っている。
ヘンな喩えだが、豆にたとえると、ボビー・ティモンズのピアノは糸を引く納豆だが、ジュニア・マンスのピアノは間違っても糸は引いていない。
しかし、味わい深く、噛めば噛むほど、とはチープな表現だが、そのような言葉が似合う滋味あふれるピアノを弾くジャズマンだと思う。
しかし、私が聴いている『ジュニア』というアルバムは1959年の演奏。既にこのアルバムの録音から40年以上も経ってしまっているわけで、この時期からしてかなり抑制の利いたピアノプレイを展開している彼のこと、それから数十年経ってしまった今、もしかしたらヨボヨボなピアノだったらどうしよう、という一抹の不安もあったことは確かだ。
そんなわけで、息子を連れて、亀戸のカメリア・ホールへ。
さいわい、ドラムとベースの前の最前列の席を確保出来た。
登場したジュニア・マンスは恰幅が良く、趣味の良い「おじいさん」だった。
深々と、そして柔らかく客席にお辞儀をする様が印象的だった。
登場したのはマンスだけ。ソロでブルースを弾き始めた。
趣味の良いブルースだ。最初から最後まで、丁寧に淡々と音を紡ぎだしている。派手な盛り上がりは無い。
しかし、気分的にノッてくると、「うーん」という低い唸り声がピアノのマイクを通じて聞こえてくる。
また最前列なので、彼の革靴が床をコツコツと踏む音もかなり大きく聞こえた。規則正しく「1・2・3・4」とリズムを刻んでいる。
2曲目もソロピアノ。そろそろ、ドラムとベースが登場するかな?と思ったら、3曲目もピアノ・ソロで「ジョージア・オン・マイ・マインド」をしみじみと弾いた。
ピアノ・ソロも悪くはないが、うーん、そろそろリズムが欲しい。
しーんとしたホールの中、唾を飲み込むのも気を遣う雰囲気なのだ。
そろそろリズム隊が参加した演奏を聴いてリラックスしたい。
この思いは息子も同じようで、そろそろ飽きが出始めてきたようだ。
なにしろ、2歳になったばかりの息子、このようなコンサート・ホールで「おとなしく」音楽を聴くのは初めてなのだ。
なにが心配かって、今まで私は散々ジャムセッションやら自分のライブや人のライブに息子を連れて行ったのだが、すべてライブハウス形式の店ばかり。
つまり、テーブルやカウンターなど好きなところに腰掛けて、演奏中も、飲み物を飲んだり、煙草を吸ったり、会話をしても良いような環境でしか息子は生の演奏に接していないのだった。
おまけに、私がたまに連れてゆくジャズのジャム・セッションなんかは、演奏者がカッコイイフレーズを奏でると「いえい!」というかけ声が飛び交うわけで、これを息子は習慣として身につけてしまったのだろう、しきりに「いえーい!」とか「アチョー!!」(←なぜ…)というかけ声を送る。シーンとした張りつめた雰囲気のコンサート・ホールの最前列で、「アチョー!」はないよなぁ……。
もっとも、一応は遠慮したつもりか、そんなに大きな声ではなかったのが救いだったのだが、それでも我々の半径2m以内に座っていたお客さんがたには、迷惑をかけてしまったに違いない。ゴメンナサイ。
私が口に指を当てて、「しーっ!」と制したら、少しはおとなしくなったが、今度は膝の上のリュックをスネア、自分の手をブラシにみたててリズムを取り始めた。
ジャズを聴く上では、かけ声も、体でリズムを表現することも悪いことではないし、むしろ良いことだと思う。しかし、今回は場所が場所だからねぇ。
「行儀の悪い」聴き方しか身につけていない息子に、いきなりコンサート・ホールの最前列は早すぎたかな、とも思ったが、要するに息子も私と同様、「リズム」が欲しいのだ。
ジュニア・マンスのソロ・ピアノも、それはそれで味があって悪くはない。
だが、やはりジュニア・マンスのソロ・ピアノは、セロニアス・モンクがコンサートの合間に一曲だけ「ジャスト・ア・ジゴロ」をさり気なく挟み、ステージの流れにメリハリをつけるような感じが丁度良いのではないかと思ってしまう。
もちろん、情念を抑制した節度のあるピアノは素晴らしいの一言につきる。
さすがに『ジュニア』の演奏と比較すると往年の溌剌さのようなものが失せ、弱々しい感じがするが、その分滋味に溢れたアーシーなプレイは、年輪を重ねた分味わい深くなっているとも思う。
しかし、この手のプレイ・スタイルで、立て続けにソロばかり聴かされると、お腹いっぱいの逆で、空腹感がつのってしまう。
吉祥寺のジャズ喫茶に、ピアノソロのリクエストは受け付けないし、かけないという方針の店があったが、その気持がなんとなく分かるような気がした。
結局、6曲をソロで演奏して、15分の休憩タイムに。
第一幕は「ピアノソロ・コーナー」だったわけだ。
「意表をつかれたなー、まるまる1ステージがソロだとはねー」という声があちらこちらから聞こえてきた。
15分のインターバルを挟んで、いよいよ第二ステージが始まった。
我が師・池田師と大坂氏がステージに登場。一曲目は《ウィスパー・ノット》。
丁寧に、慎重に音を選びながらベースを奏でている師の堅実なプレイは、いつもの通り。
そして、切れ味鋭く、レスポンスの早い大坂氏の冴えたドラミング。
息子と私は、もうジュニア・マンスのピアノはそっちのけで、ベースとドラムに目が釘付けになっていた。
息子はドラムばかりに興味が集中するかと思いきや、意外にもベースの方をじっと見ている。
最近私もウッドベースを購入して家でブンブン鳴らしているので、興味を持ったのかもしれない。
確か3曲目だったと思うが、「ブルー・モンク」が超スローテンポで始まった。
池田師も大坂氏も不安そうな顔でピアノの方をじーっと見ている。
作曲者のモンクの演奏は、たいてい、ワンコーラスはピアノのソロのみ、2コーラス目のテーマから、リズム隊、そしてサックスなどのフロント陣が加わる。
例にもれずこの演奏も2コーラス目からリズム隊が演奏に入り込んでいったが、かなりのスローなテンポだったためか、少しずつリズムの拍の刻みが倍テンポっぽくなってきた。
そして、面白いことに、ドラムもベースもコーラスの後半の9小節目あたりになると、必ず不安そうな顔でジュニア・マンスの方向を見ること。
次のコーラスもピアノソロが続くのか、それともベースソロに突入するのか、と様子をうかがっていたのだろう。
ということは、ソロは何コーラス演るといったことは厳密には決めずに演奏が進んでいるのだな、と思った。
最前列にいると、このような演奏者の表情や息づかいまでもが手に取るように分かるから面白い。
ピアノ・ソロの終わりは、ジュニア・マンスは「はい、私はここまでヨ」とばかりに高音部をグリッサンズして終わることが多かったので、それを目安にベースソロに移行する演奏が多かった。
ベース・ソロといえば、こんなこと言ったら師匠に怒られそうだが、どの曲のソロもとっても楽しかった。
きっと、やんちゃで陽気な性格も作用しているのだろうけど(怒られそうだな…)、盛り上げるのが非常にうまい。
テーマ、ピアノソロまでは神妙な演奏が淡々と繰り広げられているのに対して、池田師のベースソロになると、最初は神妙な演奏の雰囲気を引きずってはいるのだが、だんだんとフレーズが派手になってきて、時には倍テンポ風、ときには16ビート風のリズムのアクセントになったりしてと、展開の緩急が聴いていて非常に楽しかったし、弟子の直感なのか、次にアレが来るなと思ったら、本当に「アレ」なフレーズが展開されたりと、どの演奏も分かりやすく、かつ盛り上がるベースソロだった。
それが証拠に、ジュニア・マンスがソロを終えた時よりも、拍手の量が多かったぐらいなのだから。
このベースソロのコーナーを境に、だんだんと演奏が「静」から「動」へと移行してゆく。
ジュニア・マンスも時折、ベースソロにバッキングをつけながら「あはは」と笑っていたりする。
ベース・ソロのあとの4バースもなかなか良かった。
重心が安定していて、それでいて鋭い大坂氏のワザを楽しませてもらった。
手数が豊富なドラマーなんだなぁ、と漠然と感じてはいたが、それを立証するかのような、あまりトリッキーではないが、目が覚めるような鮮やかなドラムソロを堪能するこが出来た。
「A列車で行こう」でラストを締めくくり、アンコールで再びブルース。キーはB♭だった。
やはり、「ブルースの巨匠」と謳われているだけのことはある、ジュニア・マンスのブルースの演奏は本当に素晴らしい。
この演奏を最後に第二ステージも終了。
私と息子は、久々に会う師匠に挨拶をしたかったので、楽屋へ向かった。
廊下でバッタリと演奏を終えたばかりのジュニア・マンスに出くわしたが、意外なほどに背が小さいことには驚いた。客席から見上げた感じだと、随分と大きな体躯の持ち主だと思っていたのだが……。
「今日の演奏、素晴らしかったです、ありがとう」
声をかけようと思って、実際、喉から声が出かかった瞬間、横から付き人のような女性が登場し、ジュニア・マンスの腕をつかみエレベーターの方に連れ去られてしまった。
ほんの一瞬だけ、私と目が合い、ニヤッと笑顔になったが、すぐにエレベーターに吸い込まれていってしまった。
実に7年か8年ぶりにお会い出来た池田師は、昔と全く変わらない気さくな方で、いろいろとお互いの近況を話し合ったりした。
やはり、というかまさか、というか、今日のステージはリハがほとんど無かったそうで、演奏する曲も直前まではジュニア・マンス教えてくれなかったのだそうだ。当然どのような構成で進行するのかも。
池田師も大坂氏も、演奏が始まるまでは、不安そうな顔をしいていた理由が分かった。
ライブ・ハウスでの「ライブ」なら、そういうこともあるけど、今回はホールでの「コンサート」だからねぇ、こんなことは初めてだよ、それに大坂君は英語話せるからいいけど、ボクは英語話せないからねぇ、と池田師は苦笑していたが、それでも、きちんと水準以上のプレイをして客席を沸かせることが出来るのだから、さすがプロだと思った次第。
死ぬ前に(←失礼!)一度は見ておきたいと思っていたジュニア・マンスを近くで見ることが出来た上に、久々に師匠のベースも堪能出来たので、楽しく貴重な一日だった。
記:2001/08/04