2002年「W杯開幕」の日に国債二段階格下げ
2019/08/27
国際下落と今後の子育て
世の話題は猫も杓子もワールド・カップだが、W杯開幕の日、ムーディーズは日本国債二段階格下げ評価の発表をした。
ムーディーズ社の尺度では、日本国債の信用度はチリ、チェコ、ハンガリー、ボツワナよりもワンランク下。主要7カ国の中では最低で、6番目のイタリアよりもさらに3段階低い水準。
イスラエルや南アフリカと同じ評価だ。
政府は「国債の返済不能はあり得ない」と強く反論しているようだが、今回の格下げの発表は、世界の市場から見れば、日本の経済運営に対して、強い不安と疑念を抱かれているということなのだろう。
日本が援助している国よりも格付けが低いことなど、今回の格付けが妥当なのかどうかという疑問は残るが、はやい話が、現段階では、世界中の国々から日本はダメ国だと評価をされたに等しいということだ。
国債の評価が下がると、当然のことながら国債を保有している企業に損失が出る。
国債の多くは銀行、生保などの金融機関が保有しているが、ただでさえ不良債権、優良融資先の不足、ペイオフによる預金流出など、事業の見通しが芳しくないところに、今回の格下げときたわけだから、体力の無いところは破綻に追い込まれる可能性も高いだろう。
当然、我々の生活にもまったく無関係なことではないし、何らかの影響や余波をかぶることは必至だ。
国債下落に限らず、どんどんおかしくなってゆくこの国の先行きに不安を持つ人は多いと思う。
しかし、憂うことは簡単だが、それでも我々は日本という国で生活してゆかねばならないわけで(早々に見切りをつけて海外生活にスイッチする人は別として)、各人が今後の生活設計と身の振り方をもっとしっかりと考えねばならない時期が来たと捉えるべきだろう。
子供が産まれた時点から、いつも妻と話しあっていることがある。
親バカゆえの単純な心配だが、この子が成人する頃の日本はいったいどうなっているのだろう、と。
もちろん、現在よりも良い状況であることを望むし、そうなって欲しいと願っていることは言うまでもない。
しかし、今後の日本の将来を考えると、我々が謳歌した青春時代と同じような世の中の状況で、自分の子どもが思春期を過ごせるとは限らない。
そして、残念なことに、我々が学生の頃よりも、さらに悪い状況になっている可能性のほうが高いし、今後、より一層厳しい社会になると予測せざるを得ない要因のほうが多いのだ。
もちろん、だからといって、それが即、子供の不幸につながるとは限らないのだが、悪い状況よりは良い状況のほうが良いに決まっている。
したがって、子を持つ親は、そういう現状を鑑みた上で、将来自分の子供が大人になった時に、きちんと一人で生きていけるだけのパワーとポテンシャルを植え付けてあげることが最低の義務だと思うし、日本という国に頼らないで生きていく選択肢を提示してあげることも必要だと思う。
もちろん最終的な判断は子供自身がすることだが、大事なことは、親が子に何かを「してあげる」のではなく、
「したいときに一人で出来る状態」、
「したいことにチャレンジ出来る強さを持った状態」
に育ててあげることが肝要なのだと思う(そもそも、躾というものはそういうものだと我々は考えているし、これなくしての「お受験」や「お稽古ごと」など、本末転倒もはなはだしい単なる親の自己満足に過ぎない)。
逆に言えば、それぐらいの覚悟と気概の無い人間は、ますます辛くなる可能性の高い世の中、安易に子供は作らないほうがイイんじゃないか?
だって、子どもが可哀想過ぎるではないか。
すこし脱線したが、少なくとも、もう日本という国を当てにした生活設計を考える時代ではなくなったということだけは言えるだろう。
最近しきりに、様々なメディアが「自己責任の時代」というキーワードを唱えるようになったが、今回の国債格下げも、そのことを示唆する出来事の一つだと私は感じた。
W杯開幕の日に発表というタイミングも単なる偶然だとは思えない。
ひょっとして、この1ヶ月の間、多くの日本人がサッカーに浮かれている間、密かに水面下で、もっと重大で致命的な事態が進行するのかもしれない。
夢から覚めたら、もう手遅れな事態に進行していました。
……に、なっていないことを祈る。
記:2002/06/02