ベース 基礎練習を怠るな!

      2018/01/14

strech

周囲の楽器をやっている人に、日々の練習内容を尋ねると、ヘタな人ほど、「曲」の練習しかしていない。

反対に、うまい人ほど、「曲」以外の基礎練習をしているという傾向がある。

もちろん、例外もあるが。

また、ヘタな人ほど、イメージトレーニング云々と、イメージトレーニングの大事さを説く傾向もあるようだ。

イメージトレーニングは、もちろん重要だ。

でも、アナタ、自分のイメージとおりに、手・足・カラダがきちんと動いてくれるんデスカ?

普通は、なかなか思うように動いてくれないから、プロだって地味な基礎練習をやっているんじゃないんですかネ?

スポーツにたとえてみよう。

「曲だけ」の練習は、「試合」“だけ”をするようなものだ。

もちろん、「試合」をすることによってしか得られない感覚もあるので、「試合」や「勝負」をすることの効用はある。むしろ、積極的にトライした方が良いと思う。

しかし、どの分野のスポーツ選手でも、足腰作りや、柔軟、ストレッチのような地味なトレーニングをこなしているハズだ。

私は、人前ではピャラピャラとベースを弾いてはいるが、自宅ではあまり「曲」の練習をしていない。

いや、してはいるが、曲の練習よりも基礎練習の比率のほうがずっと高い。

そのような練習比率になってしまったのは、恐らく私がフレットレスベースを弾いているからだと思う。

いきなりフレットレスからベースを始めたこともあり、私の場合は、他のベーシストよりは、常に「音程」の問題に悩まされつづけているからだ。基礎トレーニング無しでは、とても「曲」など弾けたものではないと、最初の段階から強く認識していたからだと思う。

「正しい音程」で弾くということは、すなわち、正しい音を「作って」弾く、ということだ。私はベースを始める前は、ピアノも弾いていたので、ピアノとの最大の違いはここだな、と思った。

ピアノには88個の鍵盤がある。

つまり、あらかじめ、出せる音が88個用意されているわけだ。

あとは用意されたスイッチ(鍵盤)を押すだけで、誰もが音を出せる。

音が出るまでの過程はワン・アクションだ。

しかし、ベースやギターの場合は、指板を押さえて音を「作る」過程がはいる。

音を作って、音を鳴らす。

ツー・アクションだ(指板を押さえて音を鳴らすタッピングは例外)。

フレット付きのベースだったら、フレットの範囲内のどこを押さえても出てくる音は一緒だ。

ところが、フレットレスの場合、正しい音程を出すために押さえる場所は指板の中の一点のみ。

しかも、場所は同じでも、力の入れ加減や、指のちょっとした角度のつけ具合でも微妙に音程が変化してしまう。

だから、「ドの音は、ここ!」「レの音は、この角度!」「ミの音は、この力加減!」と、4弦の第一ポジションから、1弦のハイポジションの音まで、一つ一つ指に覚えこませる必要があるのだ。

で、この作業、思いのほかシンドイ。

一つ一つの音の押さえる場所や力加減が微妙に違うのだ。

しかも正しい場所を押さえられたとしても、今度は、「ド」から「ファ」に移動したフレーズの場合、いくら「ド」の音程が正しくても、着地した「ファ」の音が正しいとは限らない。

このような音の組み合わせやポジションの移動によるピッチの修正などにも時間をかけてしまう。

必然的に、時間がかかってしまい、「結果的に」曲に費やせる時間が少なくなってしまうような練習配分になってしまった、といったほうが近い。

ピアノや、フレット付きのギターやベース奏者には中々実感がわかないかもしれないが、他の楽器は、思いのほか「音を作る」という要素が多い。

サックスの場合は、キーを指で押さえるだけにとどまらず、音域によっては、口の締め方をかえなければならない。

特に、テナーよりは、アルト、アルトよりはソプラノと、音域が高い楽器になればなるほど、ピッチの調整が難しくなるそうで、高い音になればなるほど口を締めなければならない。

さらに、トランペットは、バルブが3つあるが、バルブによる操作以上に、唇で音を作る要素が増えてくる。

さらに、ヴォーカルになると、すでに、音程をコントロールするスイッチ類は皆無になり、頼みの綱は己の肉体のみとなる。

私の周囲の管楽器奏者は、暇さえあればロングトーンをやっているし、ヴォーカルは常に「あえあえいえあえあ~」と、発声練習を行っている。

このように、音を自分で作らなければならない楽器になればなるほど、そして、コントロールする要素が肉体に近ければ近い楽器を担当すればするほど基礎練習の重要さが分かっているんじゃないかな、と思う。

「レ」の音を出したいと思ったときに、カラダが正しく「レ」の音が出せるまで「れー、れー、れー、れー」(←レレレのおじさんみたいだ)と、一個一個の音階を染みこませていかなければならない(そうか!レレレのおじさんは、掃除をしながら発声練習をしていたのか!)。

アタマの中で「レ」の音を出したいと思ったときに、肉体が瞬時に「レ」の反応をしてくれる回路作りが必要なのだ。

さきほど、ピアノは用意されたスイッチ(鍵盤)を押すだけと書いたが、そのピアノでおいておや、「ハノン」の「ドミファソラソファミ・レファソラシラソファ」のように、「ド(はこの場所)ミ(はこの位置)ファ(はここを押す)…」といったような、出したい音の場所を指に覚えこませるエクササイズを入念にやる。

つまり、 「出したい音と出てくる音の一致」

これこそが基礎練習をすることの意義なのだ。

「イメージした音が出せない状態」は、まだまだ肉体の訓練不足だといえる。いくらイマジネーションだけ豊かでも、肉体がついてこなければ意味がないのだ。

「イメージトレーニング」というもの、スポーツの分野においてはかなり発達していて、オリンピックなど、実力が伯仲している選手同士が競合するなかでの勝負においては、イメージトレーニングの有無で勝敗が決することが多いそうだ。

オリンピックの選手は、国を代表して参加するほどの実力の持ち主だから、体は鍛えられていることは言うまでもない。

鍛えられたカラダの持ち主同士の勝負だから、後の雌雄を決するのは「マインド」の差ということにもなるのだろう。

しかし、そこまでのレベルの持ち主ではない凡人の我々、いくらイマジネーションが豊かでも、イメージ通りに肝心のカラダが動いてくれなきゃねぇ。

いつだってイメージと動きが直結するように、スポーツ選手は基礎トレーニングしているわけです。楽器奏者にもまったく同じことが当て嵌まるとは言えまいか?

もちろん、出したい音に100%肉体が反応してくれる人だったら、訓練の必要はないのかもしれないが。

セシル・テイラーというフリー・ジャズのピアニストがいる。

彼は、鍵盤の上をものスゴイ速さで指を疾走させる。それこそ手の残像が見えてしまうほどのスピードだ。まるで、ピアノを自分の肉体の一部にしてしまったかのように、完璧に制御するテクニックを持っている。

彼は、毎日膨大な時間を費やして練習していることは有名な話だ。

聞いた話なので、本当かどうかは定かではないが、彼が重点を置いているトレーニング方法は、一つの鍵盤、たとえば、「ド」という一つのの鍵盤を、強く弾いたり、弱く弾いたり、静かに鳴らしたりと、様々な強弱のニュアンスを変えながら音を出す訓練をしているそうだ。

これを、一番下の鍵盤から、一番高い音の鍵盤まで行うので、それこそ膨大な時間になってしまう。

あれほどのテクニックを誇るセシルですら、「一つの鍵盤を押す」というピアニストとしてはもっとも原始的で、初歩的な訓練を怠っていないのだ。

もちろん、楽器で飯を食っていない、趣味レベルで音楽を楽しんでいる我々が、そこまでやる必要は無いが、プロでさえも、初歩的なトレーニングを怠っていないという事実は頭の片隅に置いてもよいだろう。

肉体のトレーニングのことばかり書いてきたが、私は決してイメージトレーニングを否定しているわけではない。

私は、プラモデルを作るときは、まず、じっくりと時間をかけてキットをランナーから切り離して“仮組み”をしている。仮組みをしながら、全体のフォルムをチェックする。そして、この過程で、修正ポイントや改造ポイントを探し、完成した状態をイメージする。そして、そのイメージに少しでも近づけるために、工作を開始する。

同様に、楽器を弾く場合も、最初に「曲の完成形」をイメージしてから練習に取り組む。

そして、イメージと現実のギャップを埋めるために練習する。

そのためには「イメージ」することの効用は多いにあると思うし、イメージ無きところに練習のモチベーションは生まれ得ない。

イメージ・トレーニング“だけ”ではダメなんだよ、ということが言いたいだけ。

よく、楽器があまり巧くない人は、言い訳がましく「楽しければ、それでいいじゃないか」という。

たしかに、その通り。

しかし、そういう人には、こう言いたい。

上達したほうが、もっともっと楽しくなりますよ。

そして、アナタはまだ、楽しみ云々を語れるレベルに達していないんじゃありませんか?

記:2001/12/07(from「ベース馬鹿見参!」/ザ・ベース道)

 - ベース