北方謙三はノッカンドウを飲むと「棒」のような気分になると書いていたが、私の場合は「躁」な気分になる
昨日は、息子、友達の家にお泊りしてきました。
クラスの中では、「お笑いコンビ」を組んでいるそうですが、その相方の家にお泊りしたようですね。
この日のことは前々からそうとう楽しみにしていたようで、朝から興奮気味。
やったぜ、泊れるぜ、楽しみだぜ。
午前中にヤマハ音楽教室に迎えに行ったときも、このセリフを先生や友達やカウンターのお姉さんに繰り返していました。
でも、音楽教室のお姉さんや先生に「俺、お泊まりするんだぜ!」と自慢したところでねぇ(笑)。「はぁ、良かったね」としかリアクションしようがないとは思うんですが、それぐらい嬉しかったんでしょうね。
で、夕方から息子は友達の家にお泊りに出かけ、私と女房はイタ飯屋で晩飯。バーに行き、遅くまで酒を飲んでいたという(笑)。
最近、バーボンを甘く感じるようになったので、スコッチに触手が向き始めている私は、確実にオッサン化しているのかもしれないし、味覚が大人に一歩近づいてきているのかもしれませんが、とにもかくにも昨日の私は、ひたすらノッカンドウの12年を飲んでいました。
これはクセがなくておいしい。ヨードチンキ系の味がするもっとキツいラフロイグのようなスコッチもある中、比較的このお酒は飲みやすい。
小説家の北方謙三氏は、ずいぶん昔に、「これを数杯飲むと棒のような気分になる」と何かに書いていましたが、全然そんなことありません。
キツくないし、味わいもシャープでスッキリ。うーん、おいしい酒を今オレは飲んでいるんだ、という気分になります。
それに、そこのバーで出されるロックグラスのシンプルなデザインに、球体の氷とノッカンドゥの薄い黄色がとてもキレイにマッチしていて、飲むのみならず、見ているだけでも良い気分になってきます。
「棒」のような気分になるというよりは、楽しくて嬉しくて気分になる。躁鬱病でいえば、「躁」の状態ですね。「鬱」よりはいいかな?と思ってます。
もちろん、だからといってギャーギャー騒いだり、ワハハハハと馬鹿笑いしているわけじゃありませんよ。
生きている喜びをかみしめられるような、色々なことに感謝したくなるような、そんな感じかな?
ハッピーな気分でウイスキーを飲めることは素晴らしいことだと思います。
記:2007/09/02(from「趣味?ジャズと子育てです」)