文庫化された内田樹の『困難な成熟』は、すっきり読みやすい
書店で発見、文庫化されていた『困難な成熟』
内田樹氏の『困難な成熟』が文庫化されていたので、これを機会に読んでみた。
これは、「夜間飛行」が発行する内田氏のメールマガジンに寄せられた読者からの質問に対して氏が答えたテキストが書籍化されたもの。
もとより、内田氏の文章は読みやすいのだが、読者に語りかける手法をとることによって、さらに親しみやすい内容になっている。
平易な言葉で視点が変わる
しかし、読みやすいからといって内容は浅いわけではない。
これは他の著作でも同様だが、氏のテキストは、優しく平易な文体で「あなた達が認識している既存の世界をほんの数センチだけ左(右)に視点をズラすだけで、こうも映る世界が違いますよ」と語りかけてくれる。
そして、読者は小さな気付き、時に大きな認識の変化が起きるという寸法だが、この本においても、それは変わることはない。
責任について、社会について、正義について、ルールについて、公平・公正について、労働について、組織について、会社について、運と努力について、格差について、贈与について、お金について、大人について、嘘について、死について、教育について、子育てについて、愛国者について、トラブルについて……などなど。
普段意識はするけれども、それほど深く考える機会がなかった事柄に対して、「なるほどね、そういう考え方もあるんだ」「いわれてみれば、たしかにその通りだよな」と思わせる内容が満載だ。
個人的には、“正義が成り立つ条件”や“組織の最適サイズ”、“教育とは「おせっかい」と「忍耐力」である”が、「なるほど、言われてみればその通り!」だと思い、興味深かった。
あくまで読者の質問に応えるということが前提であるため、必要以上に深く考察の海に沈んでいかないところが、スッキリと読みやすい理由なのだろう。
微・村上チック
内田氏が村上春樹のファンであることは周知の事実。
ご自身のサイトにも、
僕は村上春樹の研究者ではありません。批評家でもない。一読者です。僕の関心事はもっぱら「村上春樹の作品からいかに多くの快楽を引き出すか」にあります。
と記されているように研究者ではなく、一読者の立場として作品に接しているのだろう。
一読者であり、ファンでもある氏は、その文体も微妙に村上チックなところが散見され、この本の「読者にこたえる」という形式も、かつて村上春樹氏が行った「プロジェクト」、『少年カフカ』からの影響なのかもしれない。
本質を鋭く突きながらも、高飛車に感じたり、イヤミに感じたりすることが無いのは、おそらくは村上チックな「微ユーモラス」な文体にあるのかもしれない。
厭味な野郎(笑)
ところで、この本の主張の骨子とは関係のないところで、私がこの本の中で、特に面白いというか、クスリとなった文章の一部を抜粋。
ときどき「オンとオフをきっぱり切り分けるのがオレ流」とか言うヤングエグゼクティブみたいな人(シャツの襟立てて、日焼けしていて、やたらにでかい時計をはめてるやつ)が男性誌に出てきますけれど、僕の経験ではそういうやつはだいたい「オンでもオフでもいつでも厭味な野郎」です。仕事ができるかどうか知らないけど、「厭味な野郎」であることに変わりはありません。厭味な野郎に仕上がったという段階で、こいつの生き方は間違ってるので、無視。
ははは、同感!
ワシもノーネクタイの白シャツを第2~3ボタンまで空けた日焼け人間(なぜかキャバクラ好きが多い)はニガテだぞ。
まあ、このようなテイストのテキストが至るところに登場するので、気軽に読める内容である上に、文庫化されてより一層コンパクトになったため、屋外で気軽にパラパラとページをめくることが出来るはず。
実際、私も先日カフェで一気読みをした。
カバンの中に納まる、気軽に得られる「気づき」のヒント、といったところでしょうね。
記:20017/12/02