硬派ジャズの名盤50/中山康樹

   

硬派ジャズの名盤50(祥伝社新書245)

「日本一のマイルス者」というイメージの強い中山さんだけど、マイルス以外のCDもけっこう聞いているんだなということを、この本を読んで改めて思い知った。

というか、大阪のジャズ喫茶でアルバイトをしていた人だし、『スイングジャーナル』の編集長だった人なので当たり前なんだけど。

しかし、本書のセレクションは意表を突く。

最初の1枚はアーチー・シェップの『アッティカ・ブルース』から始まるんだからね。

このアルバム、「いわゆるフツーの4ビート」の演奏が収録されたものではない。

ちょっとアザとい、というか狙い過ぎな感じがしなくもないが、中山さん流の「フツーの入門書とはちゃいまっせ!」という決意表明と受け取れなくもない。

もう、このあたりから、中山さんの無言の「いつまでもスタンダードばっかりのピアノトリオばっかり聴いてるジャズおっさんは読まなくていいからねっ!」という無言のメッセージとも受け取れるし、早いうちに自分の読者になるかならないかを「ふるい」にかけておこうという意思も感じる。

次いで、2枚目がベニー・グッドマンですからね。

本書では「意表をついていない」と書いているけれども、意表ついてますって(笑)。
というか、かなり自覚的なセレクションと流れなのではないだろうか。

今、まさに私が「アザとい」だの「意表を付いている」と書いているように、他のジャズブログや、アマゾン、雑誌のレビューが同様の内容を本書を特徴づけるトピックスとして取り上げやすいように提供しているんじゃないかと深読みをしてしまうほどだ。

本当にそうなのかどうかは分からないけれども、だとしたら、その「アザとさ」が、中山さん的であり、私はこういう「策」は嫌いではない。

なにせ、中山さんの本の面白さを決定づけるのは、「まえがき」などの前半に集中することが多いからね。

「まえがき」が面白い中山本は最後まで面白いことが多い。
時に「まえがき」で大風呂敷を広げ過ぎて、結局は尻切れトンボに陥ってしまうことも無きにしも非ずだけれども……。

「中山さん、意表をついてますな~」なんてことを言いつつも、私、ベニー・グッドマンの日本公演のアルバムは聴いたことがないので、エラそうなことを言えません。

最初の1枚がアーチー・シェップで、2枚目がベニー・グッドマン。
すごい「ふり幅」だ。

明らかに、初期の段階で読者の選別作業をおこなっていますな。
「これについてこれない人は、べつについてこなくていいよっ!」て。

でも、私はついていく。

で、結局のところ、本書で紹介されているアルバムの半分も所有していない自分に気が付く。

さらに所有していても、中山さんのレビューを読むと、新たな切り口で聞き直してみようという気分になるのだから、ある意味、硬派かつマニアなジャズに向けた聴き方指南書ともいえるだろう。

解説は、ちょっと理屈っぽいところもあるし、アルバムを取り上げる目的がアルバムの音楽の内容そのものよりも、日本の保守的ジャズファンをチクチクと遠まわしに突っつく意図が感じられるものもある。

要するに、この本は「ジャズのアルバム批評」と同時に「日本のジャズファン批評」の本でもあるのだ。
このことを認識した上で再読すると、耳に痛い(目に痛い?)ところも多いのだが、自らのジャズに対する「姿勢」のようなものと、硬直した自らの感性を顧みるひとつのキッカケになることは確かだ。

記:2011/10/13

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