左うでの夢/坂本龍一

   

左うでの夢(紙ジャケット仕様)
左うでの夢

ソルト・ダンス

夜中に突然、坂本龍一(以下、教授)の《ソルト・ダンス》が流れてきた。

iTunesがシャッフル選曲したためだ。

和む、落ち着く。
静かな空間を微量に震わせ、脳内を心地よくマッサージしてくれる。

なにげに私はこの曲が大好きなのだ。
聴く時間は深夜であればあるほど良い。

《ソルト・ダンス》が収録されているアルバムは『左うでの夢』。
教授、3枚目のアルバムだ。

1981年10月5日の深夜

私は、このアルバムは中学1年生の時、小遣いを貯めて発売日に買った(1981年10月5日)。

当時は、レコードとカセットテープの2種類が発売されていたが、私はカセットテープの方を買った。

歌舞伎を彷彿とさせる和風の化粧をした教授のポートレイト。
しかも、それがドアップにトリミングされているアルバムジャケットがかなりのインパクトだったため、本当はLPのほうがインパクトを愉しめて良かったのだが、レコードプレイヤーは、家の応接室にあったため、レコードだと、勉強部屋や深夜に聴くことができない。

だから、カセットテープの方を購入したのだ。

ちょうど『B-2 unit』の音の肌触りとエッジの立った独特な世界に馴染みはじめていた頃に『左うでの夢』を買ったため、今度は、どんな尖った音楽を聴かせてくれるのだろうと、期待に胸が高まっていた。

要するに、『B-2 unit』的な尖った音世界を無意識に期待していたわけ。

>>B-2 unit/坂本龍一

ただ、曲名の表記が《かちゃくちゃねぇ》や《サルの家》など、欧文ではなく日本語表記のものが多かったのが、「もしかしてユルい内容に変貌してるのか?」と気になったけれど。

たしか買った場所は、西日暮里の「ブックス・サングリーン」だったと思う。

「サングリーン」は、書店だったんだけど、その頃、確か1年ほど前からレコードやカセットテープの売り場も拡張していた時期なんだよね(現在は閉店しているはず)。

期待に胸をふくらませ、家に帰り、ご飯を食べ、風呂に入り、勉強をし(たふりをして漫画や絵を描き)、家族が寝静まった後、ひっそりと枕元のラジカセにカセットテープをセットして再生ボタンを押した。

なぜ、家族の皆が寝静まるまで聴かなかったのかというと、鑑賞を邪魔されたくなかったからだ。

始めて聴く記念すべき最初の鑑賞タイムは、最初から最後まで自分ひとりで聴く時間を独占したい。
誰かから声をかけられて中断されることは避けたかったのだ。

そういえば、この年に発売されたYMOの『BGM』も、同じく深夜に家族の誰もが寝静まった後に、一人でひっそりと枕元で聴いたものだ。

1曲目が始まった途端、かなり驚いた。
一瞬、買ったカセットテープを間違えたのではないかと思った。

初期YMOなどの刺激的な電子音のサウンド、もしくは前作『B-2 unit』の尖ったシャープな音世界を期待していた私は、ラジカセのスピーカーから流れてきた和太鼓や拍子木、三味線などが繰り広げる「和」のテイスト満載のサウンドに肩透かしを食らったのだ。

しかし、この雅楽チックなサウンドは、もしかしたらこれは単なるイントロで、しばらくしたら、電子音の世界が繰り広げられのではないかと期待に胸を膨らませながら聴き続けていたが、ヴァイオリンの音が挿入される他は、ほぼアコースティック楽器、それも和風の音ばかり。

もしかして、本当にカセットテープの中身を間違えたものを買ったのではないかと不安が胸をよぎった。

しかし、曲の後半で、
「あげるよ ぼくのかけら ありがとう きみのかけら」
と呟く声は紛れもなく教授の声だ。

カセットテープは、ケースとパッケージに間違えて入れられていたわけではなかった。
これが、新しい教授が作り出した音楽なのだろう。

それにしても、前作『B-2 unit』や、7ヶ月前に発売されたYMOの『BGM』とはえらい違いだ。

BGM
BGM

シャープ、攻撃的などというニュアンスは息を潜め、その代わりに、暖かく大らかなサウンドに変貌しているのだ。
例えるなら、難解な本を読んだ後に、幼児向けの絵本を読んでいるような気分とでもいうのかな。

教授のヴォーカル3連発

2曲目の《サルとユキとゴミのこども》のヴォーカルも、紛れもなく教授っぽさが前面に出ている。

そうか、まったくの路線変更をしちまったのかいな教授は。
半ばガックリ、しかし何故か不思議と心地よい世界に揺蕩う気分も半分あった。

その心地よい世界をもっとも体現していたのが、3曲目の《かちゃくちゃねぇ》だ。

シンプルで、ほんわりとした不思議世界。
これはなかなかハマる。

尖ったA面ラスト2曲

3曲連続、和風かつ教授のヴォーカル入りのナンバーが続いたかと思うと、A面の残り二曲は、ちょっとニューウェーブがかった曇り空なエッジの立ったナンバーだった。

同一メロディを執拗に繰り返す《The Garden Of Poppies》は、重く陰鬱、しかしカッコ良い。

そしてA面ラストの尖ってソリッドな《Relache》は、まずイントロのドラムのフィルインのカッコ良さで耳が釘付けになった。
高橋幸宏のドラムだ。

ちなみに、ベースは細野晴臣。
鉄壁のリズムセクションだ。

これも《The Garden Of Poppies》と同様、尖ったナイフのようなエッジの鋭い音色のリフが繰り返されるが、《The Garden Of Poppies》より一層リズミック。

昔は《Relache》のことを「リラーチェ」って呼んでいたんだけど、これ、英語じゃなくてフランス語なんだよね。

だから、読みは「ルラーシュ」。

「癒し」「くつろぎ」って意味なんだけど、あんまりそんな感じはしないかな。
むしろ、テンションが強い感じ。

タイトルの意図は分からないけれども、とにもかくにも、曲中に流れる電話の呼び出し音が良い効果を出している。

ちょっとYMOの『増殖』にも通ずるシャープさを感じた私は、A面のこのラストナンバーが、しばらくはこのアルバムの最もフェイヴァリットなナンバーとして聴き続けていた。

過激なギター

B面の1曲目《Tell'em To Me》は、これまた陰鬱な曇り空を想起させるかのようなヘヴィな肌触り。

繰り返されるマリンバと、もろロンドン!な(当時の私が勝手に思いこんでいたロンドンのイメージを具現化したかのような)ギターにはまいった。

ギターの主は、エイドリアン・ブリュー。
咆哮するギターソロが滅茶苦茶カッコ良い。

教授は過激なギタリストが好きだったのかもしれないね。

ファーストアルバム『千のナイフ』でも、教授は渡辺香津美に火が出るようなギターを弾いて欲しいと注文したそうだし、後の『未来派野郎』でも過激でノイジーなギターを弾く鈴木賢司を起用していたからね。

Living In The Dark

ダークで重たい《Tell'em To Me》終了後は、からっと明るい《Living In The Dark》が始まる。

ムーンライダーズのかしぶち哲郎の歌詞が二度ずつ繰り返されるため、そしてメロディラインも非常に太くわかりやすいため、これが潤滑油となって脳内に侵入してくる。

この染み込んでくる状態が非常に心地よい。

さらに、このナンバーもリズムセクションは高橋幸宏と細野さんなんだけど、本編のイントロが始まる前のドラムとベースの気軽な絡みが好きだ。
軽い肩慣らしみたいな感じがして

この歌詞の世界、どう言うシチュエーションなのかは分からないが、とにかくなんだか冒険に出ているような気分になる。

Salt DanceとVenezia

そして、B面の流れの中における小休止とも箸休めともいえるナンバーの《Salt Dance》。

開始後、しばらくはリズムとノイズだけが続くのだが、この暖かな肌触り、静かに全身を包み込んでくれるかのようなリズムは、ひたすら、ひたすら心地よい。

ほどなくして始まる優しく柔らかなメロディは、音色も柔らかく暖かい。

メロディを邪魔しない程度に背後でリズムを彩るギターやシンセのSEも効果的にシンプルな主旋律を引き立てていた。

この曲でフレッシュな気分になった途端、間髪を入れずに「希望の明曲」、《Venezia》が始まる。

もうこの名曲かつ明曲にはなにも言うことがないほどだ。初めて聴いたときから病み付きになったものだ。

特にサビの前のBメロに突入した瞬間に、急にアルペジオが全面に出てリズミックになるアレンジには鳥肌が立ったものだ。

「鎧を身につけたま太陽の日を浴びている(草原で馬を操り、ヒースの茂みで血を吐く)」のところね。

恥ずかしいくらい伸び伸びとわかりやすいメロディ、これアレンジ次第ではかなりダサダサな仕上がりになってしまいそうな曲であるにもかかわらず、秀逸なアレンジと演奏で、明るくカッコ良い曲に仕上げているのがサスガ。

サルの家

ラストの《サルの家》。

これ、最初は単に動物園やサルの鳴き声をコラージュしただけのノイズじゃんかと思ったものだ。

せっかく、名曲《Venezia》の余韻に浸りたいのに、サルのノイズがそれをブチ壊しにしていると感じた。

それどころか、このアルバムにとっては蛇足な曲だと思ったものだ。最初は。

しかし、いまではその時の考えとは180度違う。

このノイズのコラージュ、それも奇妙なグルーヴすら生み出しているこの楽曲こそが『左うでの夢』を締めくくるに相応しいナンバーだとすら今では思っている。

それに、聴きようによっては、まるで『B-2 unit』の《not 6 o'clock news》ではないか。

というわけで、『左うでの夢』は、全部の楽曲がフェイヴァリット!

記:2017/06/16

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