ジャズと会社勤め〜人生のレールってやつ
2016/03/04
近所の呑み屋の常連に、すごいドラムを叩くオジさんがいます。
彼のドラムがあまりにも素晴らしいため、大阪でクラブを数件経営しているママのハートをドラミングで射止めて、結婚までしてしまったというツワモノなのです(酒の席での話しなので、話半分で読んでね・でもドラム自体は本当に素晴らしい)。
そのおじさんと私は妙に馬が合います。
だからだと思うんですが、楽器を合わせても息がピッタリです。
よく深夜の店で、ドラムとベースのデュオのセッションをするんですが、ベースの音とシンバルが発するタイミングがピッタリと合うんですよね。
しかも、演奏が終わって7.8秒ぐらいの間を置いた後の最後のキメの一音も、シンバルとベースの低音が見事にボン!と合う。
約束ごとなどなにもない、フリージャズでの演奏でですよ。キメのポイントなどまったく打ち合わせていないにもかかわらず、妙に演奏の中に「キメ」の箇所がいくつも生じてしまう不思議。
これこそ相性なんでしょうかね。
あ、ちなみに、そのオジさんからは「うちの女房よりもアンタとのほうが相性が合う、結婚してくれ」とプロポーズされてます(笑)。
このオジさん、私が店に行くと、いつも「さっきまでどこいた?」と尋ねてきます。
私は外で取材や打ち合わせをすることも多いので、その都度、店にくる前にいた場所を言います。
「六本木です」
「そうかそうか」
「今日はどこにいた?」
「大門です」
「おおぉ、そうか、そうか」
といった具合にね。なぜか満足そうに頷くのです。うむ、頑張ってるなぁ~って。
先日も、今日はどこ?と聞かれました。
その日は終日デスクワークだったので、「いやぁ、一日中会社で仕事っすよぉ」と応えたら、そのオジサン、目を丸くして、
「は?会社、なんだそれは?」
私も意味が飲み込めず、「ま、いくら会社にいるのが嫌いで、外を飛び回るほうが好きとはいえ、今日ばっかりは出られませんでしたよ」と続けたら、「え? あんたサラリーマン?」
そりゃあそうですよ、何やってると思ったんですか!(笑)
「え、だってあんた、ミュージシャンじゃないの?ウソだろ?」ときたもんだ。
なんじゃそりゃ(笑)。
たしかに、家の近所のバーなので、いつも寝巻き姿で店にいる私。スーツ姿で店にいることは滅多にありません。
だから、カタギじゃないと思われても仕方ないか。
そして、ようやく事態が飲み込めました。
「今日はどこにいた?」というのは、「今日はどこで演奏していた?」という意味だったのです。
そんな、プロじゃないんだからオレはさ、アマチュアなの、アマチュア。ベースは好きで弾いているだけなんだってばさ。
しかし、オジサンは納得してくれません。
「なに、自分にウソついて生きているんだよ。あんたの目は音楽で飯を喰っている目だ!」
「違いますって、そんなレベルじゃないんですってば」
「じゃあ、音楽で飯を喰いたいって目をしている。」
「(笑)。そりゃあ喰えるほどうまくなりたいですけどね」
「なーんだ、てっきり音楽で日銭稼いでいる兄ちゃんかと思ったよ。だってオレとピッタリ阿吽(あうん)だもん。」
「それは、オジサンが上手いから、俺の呼吸に合わせてくれているからでしょ?」
「いや、違う。今からでも遅くない。あんたがベースで喰える場所、紹介してやる!」
「いや、いいですって。俺そんなにプロでやっていけるほどの腕ないですから。」
「巧さじゃなくて、あんたのベースには味があるんだよ。言葉とか譜面とか理論とか、そんなのクソくらえな音を持っている。」
それは、どうもありがとうございます。嬉しい誤解であります。
しかし、プロと誤解してくれるのは嬉しいんだけれども、私、プロになる気はないんだってばさぁ。
サラリーマンやって、好きなときに好きな曲だけを弾く生活していたいんだってば。嫌いな曲を我慢して弾くのが一番イヤなんですって。音楽が好きなだけに。
私が好きな食べ物はカレーライスですが、ある意味、一番嫌いな食べ物でもあるんですよ。好きなだけにコダワリがあります。だから、好きなカレーの味が自分の中で出来てしまっているのです。
よって、好きな以外のカレーはあまり食べたくないし、好きなだけにマズイ思いをしたくない。
この店のカレーライスは大好きだけれども、あそこの店のカレーライスは大嫌い、食べるぐらいなら腹すかせていたほうがまだマシ。…というようなワガママになってくるのです。
好きなだけに両極端になってくるんです。
音楽もそれとまったく同じで、好きな曲、やりたい曲だけを弾いていたい。嫌いな曲、やりたくない曲は我慢してまでやりたくない。
これって、アマチュアに許された特権です。
私のベースの師匠はジャズマンでした。しかし、ジャズのみでは喰っていけないので、ジャズ以外の様々なジャンルの音楽を演奏することで生計を得ていました。しかも、稼ぎの良い仕事ほど、自分がやりたいことから遠い地点にある音楽。
そういう現実を学生時代に目の当たりにして以来、私は音楽で飯を喰わずに、徹底的に趣味で楽しもうと決めたのです。
もちろん、それまではプロになれればカッコいいだろうなぁという漠然とした憧れを持っていました。
しかし、音楽学校に通い、様々なジャズマンたちの厳しい現実を知るにつれ、仕事は仕事、趣味は趣味。そのかわり趣味は徹底的に楽しもうと決めたのです。
なにより私は根性がないので、「なにもかも捨てて音楽一本!」という腹はくくれませんでした。
だって、毎日おいしいもの食べたいし、おいしい酒呑みたい(笑)。
年に1回ぐらいは海外行きたいし、良い楽器も欲しいし、CDも最低月10枚は欲しいし、本だってそれぐらいは買いたい。
遊ぶお金も一杯欲しい。
付き合っている彼女と結婚もしたかったし、結婚したら家も欲しかったし、子供も欲しかった。
そう、欲張りなのです(笑)。
何かを犠牲にして1つのものを得るんじゃなくて、何も犠牲にせずに、全部欲しい(笑)。
とても「音楽一本!」と焦点を絞ることは出来ないほど煩悩と物欲にまみれていたのです(現在でもそうだけど)。
だから、仕事は出来るだけ給料が良いところ(笑)、しかも趣味の時間を充実させるだけの時間的余裕のあるところがいいな。時間的余裕がなくても、趣味は無理やり充実させるぞ! と決めていました。
遊びや趣味のお金はあればあるほど良いから、仕事はなるべく一生懸命やることにする。
そのかわり、会社から一歩でも外に出たら、仕事のことは忘れ、好きなこと、やりたいことに全力集中させよう!
ベースはそこそこレベルで終わってしまうことだろう。でもしょうがない「音楽一本!」で生きるわけではないのだから。
一つのことを深く掘り下げず、広く浅くそこそこ充実させながら、その「そこそこ」の底上げを少しずつ上げてゆけれ良いや、と。
これが大学4年生あたりに思い描いた、「卒業後の漠然とした人生設計」でした。
んでもって、なんとなく、「そこそこ」の底上げを少しずつさせてきながら、現在に至っているような気がしています。
私の場合は、大学のときに漠然と思い描いたレールの上を無意識に走ってきたような気がしてなりません。
「敷かれたレールの上を走る」という表現は、なんだか受動的で良いニュアンスではないかもしれません。しかし、自分で敷いたレールの上を走るのは別です。
他人が敷いたレールはともかく、自分が敷いたレールの上を歩くことは、恥でも苦でもなんでもないと思っています。
記:2006/05/16