なんで皆さん「リンクフリー」っていうのかな?
周知のことかもしれないが“リンクフリー”とは和製英語だ。
“シュガーフリー”が“砂糖不使用”を意味するのと同じく、“リンクフリー”は“リンク無し”、つまり“当サイトはどこからもリンクされておりません”という意味になる。
「副詞」としての“free”には、もうひとつ“自由奔放に~する”という意味もあるが、“自由奔放に~する”と“ご自由にどうぞ”では意味が違うし、仮に“自由奔放”の“自由”だけを拡大解釈した上での“リンクフリー”ならば、“自由奔放にみさかいなくリンクをしまくっている状態です”という意味になってしまう。
“リンクはご自由にどうぞ”→“リンク自由”という過程で“リンクフリー”という言葉になったのだろうが、ようするに日本語を横文字に置き換えただけの安易さが感じられ、相当に格好悪いことだと思うのだが。
記:2000/10/28
追記
英語圏のウェブページではリンクに関してはどういう文句が使われているのかというと、実は何も書かれていないそうだ。
「不特定多数に公開されている以上、リンクは自由だ」という、考えてみれば当然なことが了解されてるので、わざわざ「リンクフリー」や「リンクの際は一言メールをください(ヒトコトもらって一体どうするんダ?)」のような断りはわざわざ入れないのが普通のようだ。
このような認識の希薄な日本においては、仲間内だけにページを公開しているつもりだからということで、知らぬお客の来訪をイヤがる手合いもいるが、不特定多数に覗かれるのがイヤならば余所のBBSに自サイトのURLを残すなと思うし、それ以前にそもそもサイトなど立ち上げずに紙やノートに日記なりエッセイなりを書け、と思うのだが、まぁ考えは人それぞれだからどうでもいいや。
記:2000/10/28
本質剥離
ものごとの本質を理解しないまま(理解しようとしないまま)表層だけ真似ることを「本質剥離」という。
良い例が、「眠れないときには羊を数える」。
これ、「寝る」とか「寝ろ」という言葉に「sleep(スリープ)」という言葉を使ってない日本人にとっては、あまり意味のないことだよね。
英語圏の人が、羊(シープ)を数えるのは、スリープとシープの発音が似ているから。
そんなこともわからず、ただ欧米人がやってるから真似してやってみようと、とにもかくにも真似をして取り入れてみるという意気込みは江戸末期から明治にかけての和魂洋才な方々の精神も感じられるので、素晴らしいことなのかもしれないが、結局、ことの本質や意味を理解しようという探求心なくして表面だけをなぞったところで、何の効果も意味もなさないという好例ではありますな。
記:2015/05/15