コルトレーンズ・サウンド/ジョン・コルトレーン

      2022/02/08

クリスチャン・ガイイの小説

フランスの作家、クリスチャン・ガイイの小説『ある夜、クラブで』を読むと、コルトレーンに関しての記述がある。

“テナーはいつものとおり、古いスタンダードのテーマを手荒くもてなし、テーマはもはや見分けがつかないものとなり、だがコルトレーンであることは聞き違いがなかった。古いメロディを若返らせてから、結局は息の根を止めてしまうあのやり方ときたら。”

コルトレーンの特徴を的確に言い当てているなと感心してしまう一節だ。

メロディを若返らせて、息の根を止めてしまう

ガイイによるこの一節を読むと、果たして小説中の登場人物が耳にしたスタンダードは何だろう? と気になって仕方がなってくる。

《サマータイム》?

それとも《アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー》?

私の場合は、このCDに収録された情熱的な《ボディ・アンド・ソウル》を思い出す。

“メロディを若返らせて、息の根を止めてしまう”という表現。

これは、曲のエッセンスを骨の隋まで吸い尽くし、しゃぶり尽くし、自分色に染めて吐き出すコルトレーンのアプローチということだろう。

だとすると、このコルトレーンっぽさがもっとも如実に現れた演奏こそが、この《ボディ・アンド・ソウル》だと思うのだ。

もし、コルトレーンがバラードの《ボディ・アンド・ソウル》をスローテンポで、しかも、多くのジャズマンが演奏していた既存のコード進行で演奏していたら?

おそらく、コールマン・ホーキンスのような深くしみじみとした太い演奏にはならなかったのではないかと。
そして、おそらくそのことにコルトレーン自身も気づいていたのではないかと。
あるいは、従来通りのやり方でやったところで、意味が無いと思ったのかもしれない。

そのどちらかなのか、あるいは両方なのかは分からないが、だから、コルトレーンは、《ボディ・アンド・ソウル》のテンポをアップさせた。

そして、既存のコード進行ではなく、ピアノの伴奏を《マイ・フェイヴァリット・シングズ》風、つまるところ、マッコイ・タイナーが得意とするモーダルな和音の反復に改造。

そうしたことによって、既存の《ボディ・アンド・ソウル》とはまったく違うテイストの演奏が生まれた。

コルトレーンらしい演奏であり、コルトレーンにしか出来ない作風の《ボディ・アンド・ソウル》の誕生。

大胆にモード奏法を取り入れ、どこを切り取ってもコルトレーン色。マッコイ・タイナーの重厚な和音の連打が、さらにコルトレーンを焚きつける。ほとんど、オリジナルなのでは?と思うほど、アグレッシヴで情熱的だ。

曲のエッセンスはもちろん残しつつも、曲の隅から隅までをむしゃぶり尽くすコルトレーン。演奏を終えてもコルトレーンはスタミナモリモリなのだろうが、曲のほうが精根尽き果ててしまっているという、熱い演奏だ。

しかし、運動した後の心地よい疲労感に襲われるこの演奏、私は結構好きだ。

夜は千の眼を持つ

邦盤には『夜は千の眼を持つ』というタイトルが付けられているが、私はこのアルバムの目玉は《ボディ・アンド・ソウル》だと思っている。

もっとも《ボディ・アンド・ソウル》のみならず、コルトレーンの迷いなく、思い切りの良いプレイを楽しむことが出来る好アルバムだ。

燃焼型のコルトレーンのソロが終わると、熱さを引き継ぎつつも演奏の温度の方向性を多少違う角度に向けるマッコイ・タイナーのピアノも良い。「カツ丼」における「お新香」の機能をバランス良く果たしている。

コルトレーンの顔がドロドロに溶解しているジャケットのこのアルバムは、パッケージのオドロオドロシさからは想像がつかないほど、熱く、まっすぐで、エキサイティングなコルトレーンを味わえる。

どの演奏も充実。かつ聴きやすい内容で、コルトレーン嫌いの人も聴いてみてアルバムだ。

記:2007/08/21

album data

COLTRANE'S SOUND (Atlantic)
-John Coltrane

1.The Night Has A Thousand Eyes
2.Central Park West
3.Liberia
4.Body And Soul
5.Equinox
6.Satelite
7.26-2
8.Body And Soul(Alternative Take)

#6,7-CD-Only Bonus Tracks

John Coltrane (ss,ts)
McCoy Tyner (p)
Steve Davis (b)
Elvin Jones (ds)

1960/10/24 #2,4,6,8
1960/10/26 #1,3,5,7

 - ジャズ