ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン/ヘレン・メリル

   

歌も演奏もアレンジも、そしてジャケ写も良い

ジャズヴォーカルの名盤には、大口を開けた歌手のジャケットが多いと感じているのは私だけだろうか?

代表的なものとして、ビリー・ホリデイの『奇妙な果実』や、クリス・コナーの『バードランドの子守唄』。大口ってほどでもないが、サラ・ヴォーンの『クレイジー・ミックスト・アップ』やアニタ・オデイの『アニタ・シングズ・ザ・モスト』も印象的な口の開け方、いや、歌唱姿を捉えている名ジャケットだと思う。

大口もそうだが、マイクが写っているジャケットもヴォーカル名盤が多いと感じてもいるのも私だけだろうか?

たとえば、ダイナ・ワシントンの『ダイナ・ジャムズ』や、ダイアン・リーヴスの『グランド・エンカウンター』、あるいは『ニアネス・オブ・ユー』などなど。

“大口開け”、あるいは“マイク映り”。

この二つの要素は、ビジュアル的にも、強烈に“ジャズ”を感じさせるものがあり、なおかつ、実際はそうではないかもしれないが、なんとなく“濃い内容そうだな”と相手に思わせるだけの雰囲気があるのではないかと思う。

“大口”も“マイク”も、「うーん、歌ってるねぇ」とダイレクトに感じさせる、分かりやすいビジュアルだからだと思う。

そして、この“口開け”と“マイク”の2つの要素が満たされている、ジャケットがある。

ヘレン・メリルの『ヘレン・メリル(ウィズ・クリフォード・ブラウン)』だ。ビジュアルからして、すでに名盤の貫禄充分なアルバムだ。

《帰ってくれればうれしいわ》の歌唱があまりに有名な、このアルバム。ジェケットを見れば自動的に《帰ってくれれば~》のメロディが思い浮かぶ人も多いと思う。

さらに、クリフォード・ブラウン(tp)の参加、クインシー・ジョーンズがアレンジャーとして参加していることも評価の底上げに貢献している。

なんでも、この2人は、彼女じきじきの指名だったそうで、そういった意味では、ヘレンは、プロデューサー的なセンスの持ち主だったのかもしれない。

「ニューヨークのため息」、あるいは「アメリカの青江美奈」と形容され、とくに日本での評価の高いヘレン・メリル。

その形容通り、彼女のデリケートな絹のような歌声は、聴く者のささくれた心を丁寧に癒すだけの柔らかい力がある。

ハスキーなヴォイスだが、同時に彼女の声の成分は他の白人ヴォーカルには求め得ないクリーミーな要素もあり、この声は、どちらかというとバラードの歌唱で威力を発揮する。

そう、このアルバムで言えば《ドント・エクスプレイン》、《ホワッツ・ニュー》、《イエスタデイズ》のようなスローテンポの曲だ。

発音も日本人で英語音痴な私にも聴き取りやすく、歌詞カード片手に聴けば、歌の心がひたひたと心に迫ってくる。

カーペンターズのカレン・カーペンターの歌の発音が聴き取りやすいという理由で英語の授業の教材になり、日本人に親しまれているのと同様、日本での彼女の人気は、発音の分かりやすさ、聴きやすさもあるのかもしれない。

上記3曲は、あくまで円やか。ピザの上のチーズのように、バックのオケにとろりと溶け、極上のムードを作り出している。

アップテンポの《ス・ワンダフル》も同様。

この歌はアニタ・オデイの名唱が有名だが、アニタのシャキッとした歌唱とは対象的に、ヘレンの声は溌剌としたリズムに柔らかく溶けるように歌っているのが特徴的だ。この声質ゆえ、いわゆる熱唱でも激しさが表にでず、むしろ柔らかさが先に立つのだ。

このように、輪郭はハスキーだが、中核はあくまで柔らかくクリーミーな持ち味のヘレンの声が、元気にはじけているのが、《帰ってくれればうれしいわ》だ。

他の歌を歌うときよりも、2割増しで元気に声を張り上げ、まるで、このアルバムのジャケ写のように表情で歌っていたに違いない。

このアルバム、最大の目玉曲とされている《帰ってくれればうれしいわ》だが、正直言って、私の場合は、いまひとつ好きになれないのですよ。

とくにイントロのアレンジが、まったくツボにこない。

大袈裟というか、安っぽく感じる。

ヘレンが、

♪ユービー・ソー・ナーイス
と入るまでの誘導は見事だし、このアレンジ以外はありえないとは思うんだけれども、ま、これは好みの問題でしょう。

ヘレンがテーマを歌った後に続くのは、ジミー・ジョーンズのピアノソロ。しかし、彼はメロディらしいメロディはほとんど弾かない。

ほとんどバッキングに近いようなブロックコードで曲の輪郭を提示するのみだ。

これは、ヘレンの歌世界を崩さぬための配慮か、それとも後に続くブラウニー(クリフォード・ブラウン)のソロの橋渡しとしての小休止なのか。

もし、これがクインシー・ジョーンズの指示によるものだとしたら、クインシー、なかなか分かっている。

たとえば、ヘレン・メリルが歌い終わった後にブラウニーがいきなりソロを取るとどうなるだろう?

あるいは、ヘレン・メリルが歌い終わった後、ピアノがパラパラと流暢なソロをシングルトーンで弾き始めたらどうなるだろう?

いずれにしても、演奏の雰囲気が壊れることはないだろうが、ソロ奏者に脚光が浴びるぶん、ヘレンの歌唱がかすんでしまう可能性がある。

メリルの歌の後に、ピアノのブロックコード中心のソロで小休止してから、新たにブラウニーのラッパを聞かせるという流れは、なかなか考えられた演出だ。

楽器の聴きどころといえば、ブラウニーのソロはどれもが絶品だが、ニヤリとしてしまう箇所が一つある。

それは、《イエスタデイズ》のトランペットソロ。

どこかで聴いたことがあるフレーズだなぁと思ったら、なんとこれはチャーリー・パーカーの《パーカーズ・ムード》のイントロではないですか。

もちろん、そのままの符割りでは吹かずにディフォルメはされているが。ブラウニー・プレイズ・パーカーの一瞬を見逃さないで欲しい。

ベースとチェロで3曲参加しているオスカー・ぺティフォードもなかなかいい味出している。特に《恋に恋して》のチェロのソロは、なかなか効果的。短いが簡潔で要点を押さえたソロだ。

それにしても、ヘレン・メリルって、ある意味凄いよね。

《帰ってくれれば~》1曲だけで、“帰ってくれればの人”という認識を一般に定着させてしまったのだから。

もちろん、このアルバムは彼女のキャリアの初期の吹き込み。その後も彼女は数多くのレコーディングを残している。

にもかかわらず、いまだ世間の認識は、“帰ってくれればの人”。

1954年。つまり、いまから50年以上前の、日本でいうと昭和29年に歌った歌のイメージが半世紀以上の長きにわたって定着しているのだ。

それ以降も、もちろん小傑作を出してはいるのだけれども、これを超える歌唱と認知度の“代表作”は出ていない。

ある意味、ジャズ界の“一発屋さん”なのかもしれない。

個人的には、《帰ってくれれば~》よりもグッとくる歌唱はたくさんあると思う。たとえば『ザ・ニアネス・オブ・ユー』などのほうが、全体的には彼女の歌を楽しめると思う。

しかし、やっぱり、あのジャケットのビジュアル・インパクトが《帰ってくれれば~》を不動の人気曲に定着させたんだろうな。

もし、ジャケットが、あの写真ではなければ、《帰ってくれれば~》は、これほどまでに人気をキープしつづけていなかったのかもしれない。

記:2006/11/22

album data

HELEN MERRILL (with Clifford Brown) (Emarcy)
- Helen Merrill

1.Don't Explain
2.You'd Be So Nice To Come Home To
3.What's New?
4.Falling In Love With Love
5.Yesterdays
6.Born To Be Blue
7.'S Wonderful

Helen Merrill (vo)
Clifford Brown (tp)
Donny Bank (fl) #1,2,4,5,6,7
Jimmy Jones (p)
Barry Galbraith (g)
Milt Hinton (b) #1,2,6,7
Oscar Pettiford (b&cello) #3,4,5
Osie Johnson (ds) #1,2,6,7
Bob Donaldson (ds) #3,4,5
Quincy Jones (arr)

1954/12/22 #1,2,6,7
1954/12/25 #3,4,5

 - ジャズ