ブルースのおかあちゃん、マ・レイニー
text:高良俊礼(Sounds Pal)
マ・レイニー
かの“ブルースの皇后”と呼ばれたベッシー・スミスに多大な影響を与え、かつ彼女の才能を見出だして世に送り、そのベッシー・スミスに影響を受けまくったのが、ビリー・ホリデイとジャニス・ジョプリンであり……。
と、アメリカの女性シンガーの系譜を根源までたどれば、どこかで必ずこの人にぶち当たるマ・レイニー。
ボブ・ディラン『追憶のハイウェイ61』の冒頭に収録されている《トゥームストーン・ブルース》の歌詞の中にも彼女の名前が出てくるので、もしかしたらボブ・ディラン経由で彼女を知ったという方も多くいらっしゃるかも知れない。
とにかく彼女は、その名の如く、アメリカン・ミュージックのでっかい“おかあちゃん(マ)”なのだ。
メディスン・ショウ
「ブルース」といえば、レコード初期の時代女性シンガーが、バックに洒落たジャズ・バンドなんかを従えて歌う、上品な「クラシック・ブルース」が主流で人気を博してた頃、彼女はずっと、“ミンストレル・ショウ”とか“メディスン・ショウ”の旅芸人一座のシンガーとして各地を巡る音楽人生を貫き通していたという。
“ミンストレル・ショウ”とか“メディスン・ショウ”とか言われても、ピンとこないかと思うが、要は「物売りの興行」である。
「さぁお立会いお立会いィ!これに取り出だしたるこの水は、ロッキー山脈の奥の奥で湧き出でる、万病はたちどころに治る霊験あらたかな聖水だよぉ!」
とか何とかもっともなことを言いながら、ただの色の付いた水なんかを売りつけたりするという、実にイカガワシい商売がメディスン・ショウなのだが、客寄せのための歌や音楽、そして滑稽なお芝居をする芸人一座は、この商売には欠かせないものであった。
芸人 マ・レイニー
南部の娯楽の乏しい地域では、こういった一座の興行が、高価なレコードやコンサートなんかよりも全然「日常に近いもの」であって、“どこそこのショーがくるぞぉ!”ってなると子供からお年寄りまで押すな押すなの大人気だったと云われていた。
レイニーは、そういった世界で大衆の人気を着実に掴んでいった。
パワフルで張りのある声、卑猥な歌も堂々と唄い切る気風の良さが醸し出す「一流芸人」のオーラは、録音された音源からも伝わってくる。
そしていつしか、ショウそのものよりも「マ・レイニーがやってくる!」というニュースの方が南部の人々が待ち望むものとなって、彼女の名前は南部から都市部まで轟くようになっていった。
そして彼女はレコーディング・スタジオという、全く新しい空間に足を踏み入れる訳だが、ここでも「芸人マ・レイニー」としての妥協はほとんどしていない。
音源 マ・レイニー
残された音源では、お約束のジャズ・オーケストラをバックにしたものももちろんあるが、主なバックは小編成のコンボや、彼女が“ショウ”で従えていたであろうストリングス・バンドやジャグ・バンドであり、深南部の、喩えるならば「土の香り」が彼女の声とサウンドからムンムン漂ってくる。
私はといえば、今、濃い目に抽出した苦い苦いコーヒーを飲みながら、「あぁ、ジャニスはこの感じに憧れてたんだろうなぁ・・・」とか思いながら、マ・レイニーのCDをリピートにして流している。音から漂う「土の香り」と、コーヒーの香りが言い塩梅に部屋を満たしてとても心地が良くなってきた。
記:2014/10/21
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)