マッド・ハッター/チック・コリア
ジャズ喫茶のお客観察
その昔、私がジャズ喫茶でアルバイトをしていた頃のお話。
ジャズ喫茶で、お客が少なく、やることがないときは、聴きたいアルバムをかける楽しみはもちろんあるが、お客さんには申し訳ないが、テーブルに座ってジャズを聴いている「お客さん観察」も楽しかった。
「あの人はリクエストするかどうか?」
「あのお客は、きっと青春時代にガトー(・バルビエリ)に涙したに違いない」
などと、もう1人の店員と勝手な「客予想」をして楽しんだりもしていた。
神経質そうな色白青年
ある日の夕刻、色白く、痩せ細った青年がやってきた。
店はガラガラだったので、この青年のことを観察すると、眼鏡をかけた彼は、少々神経質そうなタイプに見えた。
白い無地のTシャツに、エドウィンのジーンズ。背は高いが、スマートさを通り越して、ひょろひょろとした外見だ。
天然パーマなのか、人工パーマのかは分からないが、髪の盛り上がり、ボリューム感は、ちょうど、自主制作映画の『帰ってきたウルトラマン』を監督し、自らウルトラマン役として出演した頃の庵野秀明監督のようだった。
「雲ちゃん、もし、今のお客さんがリクエストするとしたら、何をリクエストすると思う?」と先輩店員が尋ねてくる。
「うーん、典型的なハードバップっすかねぇ?」
「いや、俺はビル・エヴァンス系のピアノトリオだと思うな。スティーヴ・キューンやポール・ブレイって変化球も考えられるな」
「白人ピアノですか……」
なんて勝手な推測を楽しんでいるうちに、そのお客、カウンターにやってきてリクエスト。
我々の予想に反して、彼のリクエストは、チック・コリアの『マッド・ハッター』だった。
チック対ハンコック
『マッド・ハッター』は、70年代のチックの作品で、「不思議の国のアリス」を題材にしたアルバムだ。
へぇ、こういう趣味の人だったんだ。
我々はちょっとビックリ。
とはいえ、私、このアルバムを聴くのがはじめてだったので、流れはじめたB面に耳を澄ますことにした。
先輩店員のウンチクによると、このアルバム、チックとハービー・ハンコックとの「対決アルバム」なのだそうだ。
ラストの《マッド・ハターズ・ラプソディ》がそうだ。
ハンコックがエレピでバッキングを演奏し、チックがシンセでシングルトーンのソロを弾く。
ピヨピヨしたアナログシンセの音色に、ひょこひょこしたチックのノリがピッタリとはまっている。
このチックのソロをエキサイティングに盛り上げるのがハンコックのエレピというわけ。
ラテンフレバーのリズムにのったハンコックのバッキングを聴いていると、この人は本当にバッキングが巧いなぁと思う。
グラント・グリーンの『フィーリン・ザ・スピリット』にサイドマンとして参加しているハンコックのバッキングは、精緻でありながら、まるでクッションのように柔らかいノリを放っているので私は大好きなのだが、このときのバッキングも同種のニュアンスを感じ、なかなか気持ちがいい。
細やかながらも、大局を見渡したかのごとくの大きなウネリもあるからだ。
もちろん、その後に続くハンコックのエレピのソロもエキサイティングだ。
もっとも、音色のせいもあり、シンセソロのほうが印象に残るかな。
スティーヴ・ガットの四角く引き締まったドラミングも、演奏を急き立て、演奏の盛り上げにも一役買っている。
へぇ、パーマ頭の痩せたお兄さん、なかなか面白い趣味してるねぇ、と思った。
多彩なアイデア
もっとも、改めてこのアルバムを買って聴いてみると、この《マッド・ハターズ・ラプソディ》の演奏がクライマックス、かつベストなナンバーで、他の曲に関しては、あまり好きにはなれなかかった。
アルバムのモチーフがモチーフなだけに、映画音楽的な曲もあるし、ヴォーカル入りの曲もあり(ゲイル・モラン)、それらは悪くはないのだが、残念ながら私の琴線にはあまり引っかからない。
もっとも、例外はあって、やはり4ビートものの演奏はなかなかだ。
具体的には、ジョーファレルがエキサイティングにテナーを吹くストレート・アヘッドな4ビート《ハンプティ・ダンプティ》。
ポスッ!ポスッ!と垂直に切り込むガットが叩き出す4ビートは、レガート感、後ノリ感は皆無なかわりに、スピード感とたたみかけるプッシュ力は強力。
ゲスト参加のハンコックのエレピも光るが、独特なタイム感とテクニックを持つスティーヴ・ガットというドラマーの良い面が引き出されたアルバムともいえる(もっとも彼の参加は3曲だけだが)。
最近、「ジャズであるか・否か」という意識を離れて、最近、改めて聴き返してみた。
すると、昔は好みではなかった4ビート以外の楽曲にも光るものがあることを発見した。
特に、リスナーを魔法の国に誘うかのような、ミステリアスさとロマンスが入り混じった映画のオープニングのような《ザ・ウッズ》のサウンドメイキングが気に入った。
チック流のライトな思わせぶりが光り、これから何か始まるぞ、という期待感を高めてくれる秀逸なナンバーだ。
私は『不思議の国のアリス』の熱心な読者でもファンでもないのだが、この作品の世界観をストレートアヘッドなジャズを混ぜつつも、オペラ、クラシックなど様々な要素を盛り込み、表現してみせたチックのアイデアと引き出しの広さには、ただただ感心。
まぎれもなく、チックの隠れた名盤といえよう。
記:2007/09/14
album data
THE MAD HATTER (Polydor)
-Chic Corea
1.The Woods
2.Tweedle Dee
3.The Trial
4.Humpty Dumpty
5.Prelude To Falling Alice
6.Falling Alice
7.Tweedle Dum
8.Dear Alice
9.The Mad Hatter Rhapsody
Chick Corea (p,key)
Gayle Moran (vo)
John Thomas (lead tp)
Stuart Blumberg (tp)
John Rosenberg (tp)
Ron Moss (tb)
Joe Farrell (ts,fl,piccolo)
Charles Veal (1st vln)
Kenneth Yerke (2nd vln)
Denyse Buffum (viola)
Michael Nowack (viola)
Dennis Karmazyn (cello)
Herbie Hancock (el-p)
Eddie Gomez (b)
Jamie Faunt (b)
Steve Gadd (ds)
Hervey Mason (ds)
1977/11月