1歳になった息子への手紙
2016/11/11
おたんじょうび、おめでとう。
今日で1才になるね。
ちちうえもははうえも、
じーじやばーばたちも、
おじさんやおばさんたちも、
みんな喜んでいるよ。
ちちうえにしてみれば、まだ1年しかたっていないんだなぁ、というきもちでいっぱいです。
なぜなら、君が生まれてくるもっとまえから、ちちうえは君のことをしっていたからなんだ。
君がははうえのおなかの中にいるときから、ちちうえはいつも君とおはなしをしていたんだよ。
おぼえているかな?
まいにちまいにち、ちちうえとははうえは、おなかのうえに手をあてて君にはなしかけていたんだ。
ちちうえがヘンなことをいうと、君はいつもおなかをドンドンとけっとばしたよね。それから、きみはいつもきまって「チュニジアの夜」という曲や、キューバのおんがくがかかると、ははうえのおなかをドンドンとけっとばしていたね。
君がはんのうするおんがくと言葉、それからおなかをけっとばすタイミングがとてもおもしろくて、ちちうえもははうえもいつも「おもしろいコだね」といって笑っていたんだよ。
そう、ちちうえは、君がおなかの外へでてくるまえから君とおはなししたりあそんだりしていたんだ。なかなかおもしろい子がおなかの中にいるんだな、早くでてこないかな、おもしろい君のかおをはやく見てみたいなと、ちちうえは君のかおを見れるのを楽しみにまっていたんだよ。
一年まえのきょうの朝に、ははうえがおなかがいたい、生まれそうといったので、ちちうえは急いでははうえをタクシーにのせて病院へはこんだんだ。
生まれるのは夜になりそうだとおいしゃさんにいわれたから、ちちうえは会社に行ってしごとがおわったら、もういっかい病院へ行こうとおもっていたんだよ。
そうしたら、おひるすぎにははうえからでんわがかかってきて、
「もう、うまれちゃった」だって。
きっとはやくこの世にでたくて、でたくてしょうがなかったんだろうね。
いそいで君の顔を見にいったんだけど、もう、そうぞうしていたとおりの顔でおもわず笑っちゃったよ。
看護婦さんからきょかをもらって君のことをだかせてもらったんだけれども、そのときの君は、こわれそうなぐらい小さくて、とってもかるくて、あったかかったよ。
うまれてきた君は、あとはしってのとおり。
ちちうえのだいじな本をびりびりにやぶくし、
ちちうえがベースをひいているとじゃまするし、
ちちうえがねると、おきてきゃーきゃーさわぐし、
としうえのおにぃちゃんをてだまにとって泣かすし、
れすとらんにいくと、おねえさんのスカートめくるし、
おもちゃやCDをてあたりしだいにゆかにばらまくし、
おおきなこえでさけびながら、ぴあのをたたきまくるし、
とにかく、ほんとうにげんきで、やんちゃでわんぱくなあかちゃんだよね。
でも、ちちうえはそれでいいとおもっています。
いつもははうえは君のことをほめているんだよ。よく君はははうえと、君とおなじくらいのあかちゃんのおかあさんの集まりにいっているようだけれども、君とおなじくらいのあかちゃんはみんな元気がないんだって。
きみぐらいにヤンチャなあかちゃんはめずらしいってまわりからもよくいわれるんだって。ちちうえは、それはとてもよいことだとおもいます。
ぜひ、おおきくなってもこのちょうしで、げんきにあばれまわってほしいとおもいます。
ちちうえは、予言者ではないので、みらいのことはよくわかりません。
でも、かくじつに言えることがひとつあります。
みらいのこの国は、いまよりも、ますますげんきじゃなくなるとおもいます。
りゆうはかんたんです。
ちょうこうれいかしゃかいがやってくるからです。
むずかしいかな?
こどものかずがへって、としをとった人のかずがふえるのです。
おとしよりが多いのに、それを養うわかいひとがすくないと、日本のけいざいにかっきがなくなってくるのはとうぜんだよね。
それとね、日本はいま、たくさんのしゃっきんをせおっているんだ。
かりたお金は、かえさなければドロボーだよね。
しかも、かりたお金はりそくをつけてかえさなければならないんだよ。
今年から、きちんと毎年お金をかえしたとしても、ぜんぶ払いおわるまでには、300年もかかるといっている人もいるほど、この国には、お金がないんです。
なぜ、こうなったのかは、せいじかや、おおくらしょうのせきにんも大きいけれども、大きくなったらべんきょうして、いろいろと考えてごらん。
とにかく、ちかい未来になると日本の経済はいきづまることはまちがいありません。こういうきびしくなりつつある世の中で、きみはおおきくなっていかなければならないんだよ。
でもね、どんなにきびしい世の中になっても、ぜんいんがつらくなるわけではありません。かならず、せいこうしている人や、楽しくまいにちをすごしている人はいます。
つらいのと楽しいこと、どっちが好きかな?
楽しいほうがいいよね。
おもしろいほうがいいにきまっているよね。
じゃあ、どうすればいい?
ざんねんだけど、こたえはありません。
おおきくなったら、君じしんがかんがえなさい。
でも、ちちうえのけいけんから言わせてもらうと、君のようにげんきで、パワーがあふれているタイプの人のほうが、楽しくすごせるんじゃないかな、とおもっています。
なぜだか、りゆうをはなすね。
ちちうえのまわりには、せいこうしている人や、楽しいかどうかはわからないけれども、じゅうじつした毎日をおくっている人がいっぱいいます。
みんな、ゆうしゅうなひとたちです。
それぞれのぶんやでぬきんでている人たちです。
とってもかっこいーし、すてきな人たちばかりです。
ちちうえは、かれらのあしもとにもおよばないけれども、いっしょにしごとをすることができてとても楽しいし、彼らからいろいろなことをまなんでいます。
かれらは、みんな「げんき」だし「たふ」なひとたちばかりです。
いじけている人は、ひとりもいません。
好きなことや、やりたいことにいっしょうけんめい取り組んでいるうちに、いつしかじしんがついてきて、そのみちのプロになったんだろうけれども、好きなことでも、それをつづけるのには、ぜったいにえねるぎーがひつようです。はんたいに、えねるぎーのない人はぐちばかりいって、なにもあくしょんをおこしません。
このさは大きいと思います。
もし、きみが大きくなっても、いまのようにパワーがあふれるげんきな人になれれば、だいじょうぶ、あんしんです。
じつはちちうえは、あまりこのことにかんしてはしんぱいしていません。
だから、いまのちょうしで、ぶんぶんあばれていいよ。
あまり、はめをはずしすぎると、そりゃぁげんこをとばすかもしれないけどね。
あとは、じぶんで好きなこと、むちゅうになれることをたくさん見つけていっしょうけんめいとりくみなさい。
べんきょうかな?
あそびかな?
それとも君がすきなボールなげや、がっきかな?
とにかく、おもしろいとおもったことにおもいっきりとりくんでごらん。
でも、わるいことはダメだよ。
「せれーの」という言葉があります。
イタリアの言葉です。
そっくりそのまま、いみがあてはまる日本語はないけれども、
<晴れた、澄みきった、のどかな、晴朗な>
といういみです。
せいこうしているひと、かっこいいおとこは、からだぜんたいから、えもいわれぬあかるさをただよわせています。
あかるい、というと、ちょっとかるいかんじがしますが、「せれーの」ということばは、もっともっとふかい静けさもたたえているじょうたいです。
いまの君がこのまま大きくなれば、この言葉のあてはまる男になっていることでだろうし、そうなってほしいな、とちちうえはおもいます。
さっきもいったけれども、君はそのままでいい。
そのままの状態でまいにちいっしょうけんめい生きて大きくなりなさい。
べんきょうもたしかにたいせつですが、「せれーの」じゃない人がいくらべんきょうしても、みりょくのあるにんげんにはなれません。
ことばやちしきをしっていることを「きょーよー」といいます。
でも、「きょーよー」があっても「ちせい」のないひとがおおいこともまたじじつです。
「きょーよー」しかないにんげんはつまらないです。みりょくがありません。
みりょくのない人間は、つまらないです。
おもしろくてみりょくのある人のほうが、たくさんの人をひきつけて、それだけたくさんおもしろいことにめぐりあえます。
いまの君は、たしかににんきものです。
いろいろな人から「かわいい」といわれているよね。
それはそれで、いいことなんだけれど、きみがまだちいさいから、あかちゃんだから、ということもあります。
おおきくなったら、かならずしもそうなるとはかぎりません。
じぶんでじぶんをみがくどりょくをしていかなければ、だれも君のところにいまのようにあつまってこなくなります。
きみにはてんせいのあかるさがあるから、あとは、これをべーすに、いろいろなことにいっしょうけんめいになりなさい。
君のしんぷるな名前のなかに、ちちうえはたくさんの意味をこめましたが、「せれーの」という言葉もあてはまる名前なんだよ。
いろいろと、たくさん君にいいたいことを言ってしまったけれども、まぁ、まいにち君に話しかけていることだから、またか、と思っているかもしれないけれど、まぁいいや。
ちちうえは、げんきでわんぱくな君のすがたを見れるだけで、それだけで楽しいきぶんになれるんだよ。
よる、おそくにしごとからかえってきて、君のすさまじい寝相を見るだけで、一日の疲れがふっとんでしまうんだよ、ほんとうに。
だから、いつまでもいまのように元気にすくすくと大きくなってくれれば、それでいい。
一歳のたんじょうび、おめでとう。
記:2000/06/01