ミンメイ・アタックの曲は《愛・おぼえていますか》も良いが《愛は流れる》だって悪くないゾ
「正史」と「映画」の歌の違い
歌をバックに、文化のないゼントラーディ軍に攻撃をかける「ミンメイアタック」といえば、やはり映画版の《愛・おぼえていますか》の印象が強烈です。
なにせ、あのクライマックスの数分間は、私の中の「映画名シーン」のベスト3にはいるほどですから。
しかし、たま~に、テレビ版のほうの「ミンメイアタック」を見ると、そこで使用されているしみじみとした《愛は流れる》も、これはこれで、味わいがあって良いもんだと思う今日この頃なのであります。
テレビ版のストーリーが「マクロス正史(んなもんあるんかいな?)」だとすると、映画版のほうは、「正史の編修・ダイジェスト版」ともいえます。
これは、ゼントラーディとの戦いが終結したしばらく後に制作された「戦記映画」という設定ですから。
だから、盛るところは盛られ、細かな部分のストーリーは端折られ、「作品」としてドラマティックにするためには、多少事実が変更されていたりもします。
たとえば、ロイ・フォッカーの階級や死に方の違いや、マックスの巨大化など)、映画に登場するバルキリーの操縦系統も、バルキリーの後継機であるサンダーボルトだったりします。太平洋戦争の映画を撮る際に、実機の零戦を使わずT-6テキサンの改造機を使って撮影をするようなものですな。
「マクロスの世界の中で作られた映画」としての『超時空要塞マクロス~愛おぼえてますか』は、このように痒いところに手が加えられたり改変されたりしているため、派手でゴージャスで分かりやすく、物語の進行もドラマティックでよいし(多少ラストの一条輝がヒロイック過ぎるが)、さらにラストは《愛おぼえてますか》や《天使の絵の具》など、今聴いても「神曲」の攻撃で畳み掛けられてしまえば、もう「マクロス世界の中における映画作品」としても申し分ない完成度なんだけど、ところどころ作画が荒くて、手抜き感の漂うシーンも少なくないテレビ版のマクロスの「愛は流れる攻撃」も、それはそれで悪くはないのです。
映画版の《愛・おぼえていますか》はマイクローン(地球人)とゼントラーディ人に共通した遺伝子の中に流れるメロディ(と歌詞)の覚醒を促すためのものでしたが、テレビ版の《愛は流れる》は、純粋な反戦歌でした。
よってミンメイアタックに使用される楽曲の選曲の趣旨も、本能に訴えかけるか、情に訴えかけるかと、そのコンセプトもずいぶんと異なるものだったのです。
それはそうと、テレビ版『マクロス』のオープニングアニメーションはパチンコでリメイクされているんだから、肝心のテレビで放送されるアニメのほうも、『ヤマト2199』のようにリメイクされないものでしょうか。
記:2013/04/13