【ブルースの歴史・7】ミシシッピ・ジャクソン・ブルース

      2021/02/20

>>【ブルースの歴史・6】ミシシッピ・デルタ編の続きです。

text:高良俊礼(Sounds Pal)

ミシシッピ・デルタ地帯

戦前ミシシッピのブルースといえば、聖地デルタに話題は尽きる。

が、地理的にはデルタ地域は広大な緑の中にプランテーションが点在し、街といえるようなものはほんの少しある程度。

たまたまチャーリー・パットンやサン・ハウスらがブルース・ファンの間で有名にしたが、何にせよ人口や街の規模が小さく、それ故にここでは例えば後年のメンフィスやシカゴのような、都市文化にブルースが根付き、共に発展していくような現象は見られなかった。

また、チャーリー・パットンやサン・ハウスらも、このデルタを拠点にしてはいたが、外に出て演奏する生活に明け暮れていた。

ジャクソン・ブルース

デルタのブルースマン達がまず目指し、第二の根城にしていたのが、デルタの街クラークスディールからおよそ100km離れたミシシッピの州都ジャクソンである。

ジャクソンは1920年代に鉄道の基幹となったことで急速に発展した新しい街で、丁度ミシシッピ各地から仕事を求めて集まってくる労働者や、南部の他の都市へ向かう人々が行き交い、にわかに活気付いていた。

ここでデルタのブルースマン達は演奏を行い、多くの影響をもたらし、デルタ産の「ブルース」が各地に拡がってゆく第一歩を刻むことになる。

また、デルタ・ブルースから受けた影響を独自に発展させたジャクソン・ブルースという独自の形態が生まれた。

ジャクソン・ブルースの魅力を一言でいえば、デルタの荒々しさとはやや趣を異にする軽快なビート感と、どことなくのどかな洗練を感じさせる味わいだろう。

代表的ブルースマン

この地を代表するブルースマンといえば、まずトミー・ジョンソンと、その弟分といえるイシュマン・ブレイシー、華麗なテクニックで両者を見事にサポートしたギター名手のチャーリー・マッコイ、そして南部では絶大な人気を誇ったストリングス・バンド、ミシシッピ・シークスだろう。

トミー・ジョンソン

トミー・ジョンソンは1800年代後半生まれで、デルタのドッケリー農場で働いていた頃にチャーリー・パットンと親交を持った。

その時にパットンからギターの手ほどきを受けたのかは定かではないが、ビートを強調するギター・スタイルには確かにデルタからの影響を感じられる。

トミーはそのスタイルに独自の改良を加え、軽快につっかかるようなギター・スタイルと、繊細な裏声を使うヨーデル唱法を生み出し、これがジャクソン・ブルースの基本形として語られるスタイルとなった。

彼のブルースは、実際にデルタにはないどこかのどかな風情と、滑らかな質感があり、同時に何ともいえない重苦しい憂鬱が充満している。

破天荒だったトミー・ジョンソン

私生活では重度のアルコール中毒で、粗悪な密造酒を浴びるほど飲み、それがなくなると工業用アルコールや、アルコールの含まれる靴墨なども喰らっていたという。

また、ロバート・ジョンソン以前に「クロスロードで悪魔と取引をした」という伝説を持っており、その破滅型の人間ならではの危うさのようなものは、聴く毎にヒリヒリと伝わってくる。

野太いイシュマン・ブレイシー

ジャクソン・ブルースの、単独のブルースマンとしてトミー・ジョンソンに次ぐ実力者、イシュマン・ブレイシーは、曲調やアレンジによって微妙にヴォーカルに変化を付けるトミーとは対照的に、どんな曲でストレートにザラついた声を張り上げる。

ブルースの形態でいえば最もプリミティヴなフィールド・ハラーにそのまま伴奏を付けたような、野太いスタイルで聴かせてくれる。
たとえばブルースの初期形態に興味を持つファン心理のようなものをとことんくすぐって刺激してくれるスタイルだ。

名手チャーリー・マッコイ

トミー・ジョンソン、イシュマン・ブレイシー、いずれの音源でも、名手チャーリー・マッコイのギターやマンドリンは欠かせない。

後にシカゴへ出て、エンターテイメント性の強いジャズ・バンド、ハーレム・ハムファッツのメンバーになることからもお察しのように、ブルースからラグタイム、ジャズまで幅広い音楽をこなせる、この時代のミシシッピでは貴重なマルチ・プレイヤーだった。

トミーの霞がかったような朧な輪郭のブルースも、イシュマンの豪快一本気なブルースも、チャーリーの華麗な単弦奏法のギターやマンドリンの伴奏が付けば、たちまち一段上のグレードにアップして、どこか華やかさが加わる。

人気者ミシシッピ・シークス

そしてミシシッピ・シークス。

チャーリー・パットンの叔父と言われるヘンダーソン・チャットマンがドサ回りをしながら英才教育をほどこした息子達(ボ・カーター、サム・チャットマン、ロニー・チャットマン)らと結成した家族バンドで、複数のギターにフィドルを基本編成にした「ストリングス・バンド」と呼ばれる、この時代の南部では最もポピュラーなスタイルで、酒場やジューク・ジョイント、または路上やピクニックと呼ばれる野外パーティーでは常に引っ張りだこだった。

また、ストリングス・バンドはメディスン・ショウやミンストレル・ショウと呼ばれる物売り興業の一座からも頻繁に声がかかり、当時のミシシッピ近隣の人々は、メディスン・ショウが音楽を鳴らしながらやってくると「シークスか!?」とワクワクしたという。

そんなシークスのレパートリーはブルースにとどまらない、バラッドと呼ばれる民謡やダンス・ソングや男女の他愛もない恋愛を歌った小唄など、とにかく人を楽しませ、和ませる音楽なら何でもござれで、彼らの曲は多くのブルースマンや、戦後のポピュラーソングの世界でもカヴァーされ、その影響力は今なお大きい。

おすすめ音源

ザッと代表的なミュージシャンを挙げただけでも、それぞれスタイルの全く違うブルースマンやバンドが出てくるジャクソン・ブルース。

じっくり聴くにはそれぞれの単独あるバムがベストだが、サン・ハウスやチャーリー・パットン、ブッカ・ホワイトなど、デルタの名手達の音源と聴き比べながらその独自のスタイルを楽しめる最高のオムニバスとして、戦前ブルースでは定評のあるYazooレーベルからリリースされている『Masters Of The Delta Blues』がベストだ。

ただ、これにはミシシッピ・シークスが収録されていないので、シークスだけは単品でじっくり聴こう。

「あ、この曲はもしかしてロバート・ジョンソンのあの曲の元ネタか?」「おお、ボブ・ディランのあの曲のオリジナルがこんなところに!」なんていう楽しい聴き方も出来る、こちらもジャケット・選曲共に素晴らしいYazoo盤をぜひ。

 

text by

●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル

記:2017/10/08

>>【ブルースの歴史・8】メンフィス・ブルースに続く

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