食用ムーミン live at 池之端水上音楽堂野外ステージ 2000/08/27
2020/01/24
アイ・リメンバー・クリフォード
六本木のライブハウス主催の屋外ライブが8月27日、上野・池之端の水上音楽堂で行われた。
出演者、出演バンドのほとんどが、この店の常連出演者だ。
私にも出演の依頼が来たが、正直言ってあまり乗り気ではなかった。
なにせ、参加費用が高いのだ。
二千人を収容できるハコなだけに、当然、会場のレンタル料が高い。このコンサートを運営する店が赤字になってしまっては意味がないので、出演バンドごとの領収料金が必然的に高くなる。それはそれで、仕方のないことなのだが。
一曲につき2万円ほどの出演料を払わなければならない。
ということは、5曲演奏すれば10万円!!
もっとも、その分、値段相応の枚数のチケットが配られるので、チケットを捌けば捌くほど、金銭的負担は軽減されるわけだが……。
出演料金の高さでノリ気はしなかったが、その反面出演してみたい気持ちもあった。屋外でのライブは気持ちが良さそうだし。
ということは、安く済むのなら出演してみたいということになる。
安く済ますには……。
「一曲だけしかやらない」という手がある。
でも、それじゃ味気ないな。
あ、でも、待てよ。
一曲を出来るだけズルズル、ダラダラと引き伸ばせば10分やろうが、20分やろうが、一曲なことには変わりがないわけだから、金額は一緒だ。
そうだ、その手で行こう!(笑)
一つの曲をズルズルダラダラと長時間演奏するとしたら、アップテンポの曲よりかは、スローテンポのほうが良い。
ということは、バラード。
長い時間演奏してもダレないバラードは?
そうだ。《アイ・リメンバー・クリフォード》だ。
ということは、ピアノトリオの「食用ムーミン」で出よう!
《アイ・リメンバー・クリフォード》という曲は、とてもテーマが長い。
小節数は、32小節と普通の長さだが、なにしろテンポがゆったりとしているので、1コーラス演奏するだけでも、時間がかかってしまうような曲だ。
テーマ、アドリブを2コーラスだけ演奏するだけで、かなりの時間になるだろう。
ベースソロを丸々1コーラスを設けて、さらに、テーマに戻るまえに1コーラスピアノのソロを入れ、最終的にテーマを弾く。
これだけで、優に10分以上はかかってしまうだろう。
さらに、場合に応じて、ピアノもベースもコーラスの長さを増やせば、とてつもない長さの演奏になる計算だ。
よし、この手で行こう!
そういえば、食用ムーミンのドラマーはバド・パウエルが好きだと言っていた。
『ゴールデン・サークル vol.3』に収録されているバージョンぐらいは知っているだろう。
アット・ザ・ゴールデン・サークル Vol.3At The Golden Circle Volume 3
“速いパウエル”を《二人でお茶を》だとすれば、“遅いパウエル”の代表格とされている演奏ば《アイ・リメンバー・クリフォード》だ。
パウエルファンでこの演奏を知らない人はいない。
バド・パウエルのこのバージョンの演奏が、私が知っている中では、最も速度の遅い《アイ・リメンバー・クリフォード》だ。
だから、このパウエルのバージョンを、我々の演奏の見本にすれば良いだろう。
遅い演奏は、ものすごい集中力と実力が必要とされるのだが、まぁいいさ、練習しまくればなんとかなるだろう。
《アイ・リメンバー・クリフォード》という曲は、クリフォード・ブラウンというトランペッターの死と悼むため、ベニー・ゴルソンというサックス奏者が作曲した曲だ。
つまり、追悼曲。
てことは、全員辛気臭い顔で演奏すると良いだろう。
しかし、顔の表情だけじゃモノ足りない。
そうだ、みんなで喪服を着て演奏しよう!
全員喪服で辛気臭い顔。しかも、ノリノリとは対極のバラード。
しかも涙を誘うような旋律。そして、ダラダラと長い演奏。
真夏の野外ライブといえば、Tシャツ姿で、イエーイ!で、ノリノリ(笑)なイメージが強いが、そのイメージとはまったく対極の演出を出来るのだから、なかなか痛快なはずだ。
よし!
「アイ・リメンバー・クリフォード」「喪服」「長時間」「辛気臭く」をキーワードに、池之端水上音楽堂の野外演奏に出演しよう!
ということを、椎名林檎のコピーバンドの練習中に、スタジオの中でベースを弾きながら考えをまとめた。
善は急げだ。
林檎バンドの練習の休憩時間を利用して、早速「食用ムーミン」のドラマーに電話をしてアイディアを話したら、面白そうだと話に乗ってくれた。
さすが、分かってる~!
次いで、ピアニストにも電話をし、とにかく「喪服の貴婦人」を演じておくれ、と拝み倒したら、あっさりとOKの返事。
よっしゃ、これで決まりだ。急いで店に電話をして、出演予定バンドとしてエントリーしてもらった。
ピアニストは、この曲をあまり知らないようだったので、リー・モーガンやベニー・ゴルソン&アート・ファーマーの共演盤など、テンポが比較的速めで、簡潔にまとまった演奏が入っているディスクを貸して聴いてもらった。曲の全貌をつかむには、簡潔にまとまった演奏を聴くほうが良いだろうから。
練習中には何度かバド・パウエルのバージョンの「アイ・リメンバー・クリフォード」のCDをかけてメンバー全員で聴き入った。思ったより、リズムが雑だなぁとか、ピアノも音の長さを結構イイカゲンに弾いているなぁ、などと寸評しあいながら、少しでも遅いテンポで「聴かせる」演奏の作り込み作業をしていった。
そして、いよいよ本番の日。
夏の真っ盛りなので、喪服姿での演奏は、かなり暑かった。
おまけに、マヌケなことに、私は黒いネクタイを持ってくるのを忘れてしまった。
喪服を持ってゆくことばかりに気を取られて、ネクタイのことはスッカリ忘れていたのだ。
慌てて周辺の店を探し回ったが、会場の周辺には、黒いネクタイを売っている店などあろうハズもなく、どうしようと途方に暮れていたら、ピアニストが黒い布を私にくれた。
彼女が持ってきた服は、自作のオリジナル黒衣装。その服の余った黒い布を持っていたのだ。
この布を使って、ネクタイを作って結んだ。ただし、長さが中途半端だったので、上着を脱ぐと、ネクタイが胸の途中で切れている状態になっているのが丸見えになってしまう。だから、出番がくるまで、ずっと黒い上着を着ていた。いやぁ、熱かったのなんの。
本番のステージでは、1歳になったばかりの息子もステージの上に立たせた。
ライブにおいては、もちろん演奏内容も重要だが、観客は耳だけで演奏に接するわけではない。
耳よりも、もっと印象を決定付ける上では重要な、「目」という器官を観客は使うのだ。
だから、ある意味、音楽だけだと片手落ちで、見た目の演出も“ある程度”重要だと思う。
しかも、今回はノリノリ(笑)な演奏とは対極のバラード。しかも長時間。
バラードの演奏は難しい上に集中力が必要なので、我々は演奏に没頭することになるし、アクションなんかに気を遣う余裕は皆無になるはずだ。
それどころか、今回のコンセプトは、「喪服」「神妙に」だ。
出来るだけ動かずに、哀しそうな顔をして演奏をするわけだ。
こんな辛気臭い連中の、辛気臭い演奏に長時間付き合ってられるかい!と客が感じたらマイナスだ。
だから、“飛び道具”としての子供。
CMにおいても、もっとも視聴者の視線をブラウン管に釘付けにするビジュアルは、“赤ちゃん・動物・爆発(炎)”なのだから、
うちの1歳2ヶ月の子供も、客の視線を“ステージ釘付け”にさせる機能ぐらいは持っているだろう。
というわけで、息子のパートを「班長」という役職に任命し、演奏全体のテンションを引き締める“触媒”役とした。
我々全員が黒い喪服だが、さすがに幼児用の喪服はなかったので、黒の甚平を着せた。
背中には暴走族じみた風神の刺繍がしてある甚平なので、ステージの上ではかなり映えた。
もちろん、子供には自分の役割など分かってはいない。
一応、「オマエもバンドの一員として、メンバー全員をあるときは鼓舞し、あるときは高まったテンションをクールダウンさせる重要な任務なんだからな。メンバーのテンションをオマエは全身でコントロールするんだぞ!」とは説明しておいたのだが、1歳の乳幼児にそんなことわかるはずもなく、私がかけていたサングラスを奪って「きゃっきゃっきゃ」とはしゃぐのみだった。
しかし、後ほど演奏風景をプレイバックしてみると、なかなか面白い効果はあったと思う。
最初は神妙に、ゆっくりなテンポで恐る恐る演奏を開始した我々だが、その時はジャンプをしたり、両手を振り上げて、オーケストラの指揮者よろしく、演奏全体を盛り上げているかのようなアクションを繰り返していた。
しかし、3人ともバラード表現に慣れていなかったのだろう、やはり“間”と“時間の重圧”に耐えかねてか、ある瞬間を境に、はじけたように演奏のテンポが倍テンポよろしくリズミックになってしまったのだ。
終始一貫して「ベターッ」と演奏するつもりが、誰が始めたわけでもなく、演奏のメリハリのつき方が非常にリズミックになってしまったのだ。
テンポが走ったわけではない。カラダで感じるテンポの感覚が倍テンポになり、それにともない、進む小節の捉え方が2倍になったのだ。
予想外のハプニングだが、まぁ、このほうがジャズ的な躍動感は感じられるし、私自身もこのようなメリハリのあるテンポのほうが演奏はしやすい。
しかし、当初の目的の「ダラーッ」とした演奏からは外れてしまったことも、また確かで。
我々の演奏が勢いづいてきたタイミングを契機にして、子供はステージの上にペタンと座り込んで、チュ―チュ―と指をくわえ始めた。
ただ単に、お腹がすいてミルクを飲みたくなっただけだと思うのだが、演奏のテンションが低いときには鼓舞するようなパフォーマンスを演じ、演奏がノッてきた段階から、演奏全体をクールダウンさせるかのごとくステージにヘタリこんだ息子は、ある意味、バンドメンバーの中では、一番当初の目的を忠実に遂行したのだと考えられなくもない。
もちろん、偶然の産物なんだろうけど、ステージ前の私のブリッフィング通りのリアクションを示してくれたことは評価に値する。
ピアニストの優雅なイントロが悲しく、リズミックに盛りあがった躍動感のあるフレーズがもの悲しかった。
ドラマーは終始一貫して、ブラシでサポート役に徹していたが、けっこう細かいところに気を遣ったドラミングだった。やっぱりワイヤーブラシのザワザワは良いねぇ。
私は、エレキのフレットレス。
あまり固い音にならないように気をつけて音色作りをした。
また、「グッと我慢、余計なオカズは極力弾かない!」をキーワードにして、頭の中で何度も反芻しながらベースを弾いた。
ドラムもピアノもステージの奥まった場所にセッティングされていた。
ベースのアンプは比較的前の方にあり、ピアノからの音の返しのモニタースピーカーがステージの真ん中、しかも前方にあったので、ピアノ、ドラム、ベースの位置を結ぶと、ちょうど正三角形になるようなポジションとなった。
つまり、ベースの私がヴォーカルよろしく、ステージの前方でベースを弾いたわけだ。
ビデオのプレイバックを見ると、歌のないヴォーカルがステージでベースを弾いているようだった。
そして、黒スーツに下駄、丸いサングラスをかけた私の姿は、限りなく怪しかった。
「葬式」というよりかは、チャイニーズ・マフィアのお祭りのような光景に見えてしまった。
嗚呼……。
記:2002/01/27(from「ベース馬鹿見参!」)