ライブレポート 1999/11/06「妄想ガンダーラ」ギター、ベース、パーカッションによる完全即興演奏
2016/03/10
1999年の11月6日(土)、六本木のバックステージでライブを行った。
事前の打ち合わせ無しの完全即興演奏。
決まっていることといえばタイトルが「妄想ガンダーラ」ということぐらい。
これは、パーカッションのC98が運営しているサイト名の「ガンダーラ」と、彼の「妄想日記」を掛け合わせただけの何とも安直な造語。
当初私はピアノで出演するつもりだった。
パーカッション(ボンゴ)のC98とのデュオで。
ところが、ライブの直前に幻のギタリスト・沈夢氏から参加の意志アリの電話がはいったので、急遽3人編成での出演となった。
彼はなぜ幻のギタリストなのかというと、デリケートかつナイーブな人なので、ギターの腕は相当なものであるにもかかわらず、あまりライブ活動をしない上に、私に会うとエネルギーを奪われるといって、一度会うと半年ぐらい会ってくれない人だからなのだ。
そんな彼から「出てもいい?」と電話がかかってくることは、25mプールの中に分解した時計の部品を入れ、プールの水をかき回すことによって元の時計に組みあがるぐらいの奇跡的な確率だ。
「是非出てください」と出演をお願いした。
彼がギターを弾くとなると、ぜひとも私はベースで出たい。
愛用のオールドのフェンダージャズベースとアナログディレイを携え、私はライブハ ウスに向かった。
約束の時間より5分ほど遅れて店に到着。
既にC98と沈夢はテーブルに座りビールを飲んでいた。
二人は同じテーブルにうつむき加減に向かい合って座っていた。
会話は無し。
まるでお通夜のように辛気臭い雰囲気だった。
「とにかく、何やってもいいけど、メリハリつけた感じにしましょう。」と簡単な打ち合わせ。
各人、セッティングを始める。
沈夢は見たこともない奇妙奇天烈なデザインのエフェクターを取り出し、奇妙な音を奏ではじめた。
旋律というよりは、ノイズ。
ジリ・ジリ・ジリ、ジリ・ジリ・ジリ。
その消え入りそうなカボソイ音はまるで死にかけのアブラゼミだ。
彼は今日はあまり旋律を弾かないな、俺の出方を伺いながらノイズで色添えするつもりなのかな、と漠然と考えながら私もベースをアンプを調整する。
弦をブーン、と一音はじく。
うーん、いい音だ。
オールドの良さは?とよく人に聞かれる。
とても一言では語り尽くすことは出来ないが、強いて言えば、どんなシチュエーションでもコンディションが「いつものまま」であること。
これが私がオールドに信頼を寄せている最も大きな理由だ。
そういやこの弦、2年以上も交換していなかったな、まあいいや、モッコリした音の方が俺好みだからなーなどと思いつつセッティング終了。
客もマバラにやって来た。
時計を見ると10時半を回っている。
演奏開始。
C98のパーカッションの規則的なリズムがイントロダクション。
続いて私が不規則に音を発する。
まだ、この段階では簡単な音合わせのような聴こえ方、まだ演奏と呼ぶには相応しくないのかもしれない。
そして、いよいよ沈夢が絡んできた!
チリチリ、チリチリチリ、チチチチチチ、リリリリ、チリ
まるでロシア製の性能の悪い電話機が壊れる寸前のような音を出す。
辛気臭さに拍車がかかってきた。
C98は相変わらずうつむいて、リズムを乱しちゃいかん、リズムをリズムを乱しちゃいかんといった顔つきで神妙にボンゴを叩いている。
リズムチェンジの気配はない。
しょうがない、俺が前へ出るか。
足元のアナログディレイのスイッチを踏み、少しだけエコーのかかった状態でネックのほぼ中央のポジションで旋律を弾きはじめた。
出来るだけ抽象的に。
沈夢は相変わらず、ジャングルの中で、ゲリラにいきなり背後から襲われて喉笛をナイフで掻き切られた兵士の断末魔のようなトーンをウダウダ鳴らしたり、首をちょっと傾げながら、中腰になりエフェクターのスイッチをいじっていた。
サウンドの局面の大きな変化はまだ起きていない。
まだちょっと淋しい感じだ。
客席の沈黙が重い。
しょうがない、ドンドン弾いちゃうもんね。
私はミドルからハイポジションにかけて、パラパラとよく分からない旋律を弾き始めた。
敢えてC98のパーカッションは聴かずに、等間隔の音列で弾いた。
こちらが合わせようとすると、彼も寄り添ってくるに違いない。
盛り上げるのはまだ早い。
とりあえずは、犯罪発生5分前のような何が起こりそうな雰囲気を持続させたい。
時折、病院のベッドでグッタリしている患者が突然発作を起こすように沈夢のギターが「ぺりん」と絡んでくる。
ぺりん、ぺりん。
飽きてきたので、ブレイク。
すると同じタイミングで沈夢とC98もブレイク。
3秒ほどの空白。
うーん、いい「音」だ。
この日最初の小さなクライマックス。
C98がポコ、ポコ、と不規則にボンゴを叩きながら、次の出方を探っている。私も少しだけ彼のパターンに合わせて、おもに3弦と4弦のローポジションを徘徊し、次の局面の糸口を探る。
リフらしきものがカタチを整えてきた。
アフリカの大地を連想させるようなパターン。
というよりも、ダラー・ブランドの『アフリカン・ピアノ』の左手のパターンに近い。
キーはBだ。
沈夢に目配せをし、このリフにあわせるよう合図を送る。
沈夢は自称「地底人」なだけあって、ステージの床を見てギターに没頭している。
だから目が合わない。
仕方がないので、少し指に力をこめて、執拗にこのパターンを繰り返す。
C98はすぐに反応して、このパターンに合わせてきた。
沈夢も少しだけパターンにあわせる。
だが、いまだつかず離れずだ。
なるほど、一気に盛り上げようとはしないハラだな。
オイシイところの小出しは沈夢の得意な手法だ。
彼のモッタイブリな性格がソロの組み立てかたによく出ている。
それでも少しずつ昂まってはきた。
なかなか、いい感じ。この日の演奏で最も音楽らしかった一局面だ。
ギターの音数も少しずつ増えてくる。
そうそう、弾けば弾けるのに、沈夢は最後までなかなか本領を発揮しない。いや、しようとしない。
私はまず結論から話すのを常套としているが、沈夢は結論をなかなか言わない。彼が結論を導きだす前に大抵の人間は彼に対する興味を失ってしまう。
「演奏でも会話でもまず、出来るだけ最初にインパクトを与えて人を惹きつける。」
こういう私の考えに対して沈夢はいつも「君はテレビ向きだねぇ」と鼻で笑う。
この根っからの性格の違いが、時としてスゴイ演奏を生むこともあれば、大失敗にズッコケルこともある。
今日の演奏はどうだろう?
またまた2度目のブレイク。ただし私のベースだけが若干の余韻を残す。
静寂に聴き入る暇なく、再び均等な音配列でベースを弾きはじめた。
聴きようによっては4ビートのラインに聴こえなくもない。
ハネの全く無い、テンポ240ぐらいのイーヴンなアーティキュレーション。
恐らく沈夢もそう受け取ったのだろう、4ビートのノリで高速フレーズを紡ぎだした。気分は殆どジャズ。
唯一乗り遅れたC98だけが取り残され、ポッポコポッポコと余韻を引きずっている。
C98はやがて叩くのをやめ、沈夢のギターを見ている。
うん、ボンゴの音は邪魔だと思っていたんだよ、ナイス撤退。
気持ちよい4ビート状態が数分続いたがやがて、この状態に飽きた私は、ハーモニクスを連発し始めた。
沈夢は少しテンポを落としたフレーズをゆったりと弾いている。
時々得意技の「ちょこまかノイズ」を交えつつ。
少しフェイクした感じだが、辛うじて「音楽」という形態を保っているギリギリのバランス感覚。
気が付くとC98もパーカッションを叩きはじめている。
前よりも少し大きな音だ。
今まではどちらかというと、ノイズ係的な役割だった沈夢も、ようやくリード担当としての自覚が芽生えてきたようだ。
今度は担当を逆転させよう。私がノイズ係として音を発したらどうなるか。
太いフラット弦をピックアップの上に無理やり押さえつけ、右手の中指で力強くはじく。
アフリカン・サムピアノの最高音部をはじいたときのような高音が「ピン・ピン」とはじける。
しかし、すぐに飽きた。ちょいと休もう。
ベースから手を離すと、C98が少し燃えてきた。
しばらくは沈夢とのデュオだ。沈夢も疲れたのか、C98にバトンタッチをしたげにあまり音を発しなくなった。
C98叩く、叩く。
ぼっぼこ、ぼっぼこ。
パーカッションのみの演奏が、逆に静けさを引き立てる。
沈夢は不機嫌な表情を浮かべつつも、口の端が少し上に上がっている。彼なりに上機嫌なのだろう。
時折、一音だけをわざとC98のパーカッションにかぶらないタイミングで発する。
なかなか、ヘンな感じでイイな。
ベースを弾きたくなる衝動を抑えつつ、もう少し彼らのやり取りに耳を傾けよう。
沈夢とC98のやり取りを聴いているうちに、私はチャールズ・ミンガスのアルバム『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』のB面《ホワット・ラブ》での、エリック・ドルフィーのバスクラと、ミンガスのベースの「会話」を思い出した。
もっとも彼らの会話はミンガスとドルフィーほど高尚なものでもなく、どちらかというと、青森県のおじいさんとおばあさんが津軽弁で交わす「どさ(どこ行く?)」「ゆさ(風呂へいく)」を彷彿させるものではあったが……。
いつしか私もベースで彼らの会話に加わり、そろそろ潮時かなと判断した瞬間、ベースをステージに置き、キーボードの椅子に座った。
彼らのやり取りをキーボード越しに眺めていると、C98がもう終わりなのかな?と少し不安げな表情を浮かべる。
沈夢は相変わらずランダムなフレーズを連発しているが演奏始まりのような瞬発力は見せなくなり、どちらかというと穏やかなフレーズに変化してきている。
潮時と判断したのだろう、二人同時に演奏をやめ、「妄想ガンダーラ」と題された即興演奏は終った。
次なる演奏はその場で勝手に考えたタイトル「潜水艦ガンダーラ」。
今度の私はピアノだ。
どちらかというと、私のピアノの独演会といった感じで、彼ら二人は私のピアノにノイズで色を添える程度だった。
イマジネーションの働きも三者ともに「妄想ガンダーラ」とは比べる術もなく安易な「定型」フリージャズに堕した感があった。
妄想ガンダーラ終了後、少しはマトモな「曲」もやろうと思い、マイルスの《オール・ブルース》。
私はベースを再び手に取った。
次いで先月亡くなったミルト・ジャクソンにささげる気持ちで《バグズ・グルーヴ》。
今度は私はピアノだ。
沈夢が素晴しいバッキングの腕を披露してくれた。
つつがなく演奏が終了し、そして11月6日の六本木バックステージでの「妄想ガンダーラ・ライブ」は幕を閉じた。
記:1999/11/10(from「ベース馬鹿見参!」)