菊地成孔の本と文章

      2018/01/11

スペインの宇宙食スペインの宇宙食/菊地成孔

菊地成孔の本が面白い。

さすが、山下洋輔のグループに在籍しただけあって(?)、彼の場合も、抜群に文章が面白い。
音楽以上に文章のほうが面白いという話も(笑)。

スピード感抜群の、インテリチンピラ的な文体は、まさに、ジャズ本来のいかがわしさそのものを体現している。

目からウロコの装丁の『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール』は、このスピード感と痙攣的勢いに眩暈をしつつ読了した。

『スペインの宇宙食』も、暴走気味、かつ神経質なナルシスティックっぷりが心地よく、ニヤニヤしながら読了した。

『憂鬱と官能を教えた学校【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史』は、とてもタメになった。
というか、こんなに深遠で巨大なテーマをよくもまぁ、こんなに分かりやすく、ユーモアと毒を交えながら、語り倒してくれましたって感じ。
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この本は、ジャズ・ファンは読む必要なないかもしれないが(でも読むと“耳の視野”が広がることは確実)、ジャズ評論というか、ジャズレビューのようなものを書いているような人たちにとっては必読の書だろう。

・印象批評
・映画・文学・食い物・哲学との対比
・個人的体験談と絡めて
・エッセイ風批評
・歴史的な位置づけ・分析

だいたい、ジャズや音楽の批評の切り口って、上記のごとくなんだよね。

しかし、彼の著書を読めば、上記のごとくな切り口以外の参考に絶対になるはず。

やっぱり、楽器演奏しない人は、演奏中のミュージシャンの心的メカニズムや、評論家とは違う音に対する眼差し、評論家とは異なる自分が出す音に対する責任感や意味性、演奏中に感じる他人の音のバイブレーション、そういったものって分からないでしょ?

だから、まぁ、私もへタッピながらも、楽器をやっているわけですが、楽器出来ないorやらない人の音楽レビューよりも、やっている人、あるいは、出来ればプロミュージシャンが書く、音に対してのクリティックのほうが参考になるし、タメになると思っている。

トランペットのハイノートの一撃は、それを聴いている第三者は、いくらでも文学できるし、哲学できるが、鳴らしている当人にとってのその音は、文学でも哲学でもなく、それ以前に、純粋に「技術」なんだよ。
だから、“音を出す側の人”の書いた本は面白いものが多いし、とても参考になる。
山下洋輔の書いた本は昔から楽しく読んでいるし、マイルスの自伝も何度読み直したことか。やっぱり評論家先生の文章よりも、山下洋輔のエッセイのほうが面白かったりするし、文章自体がスイングしているから、話題がジャズじゃなくても、強烈にジャズを感じてしまうこともあるんだよね。

で、菊地成孔も、音も心も生粋のジャズマンだと私は思うわけで、そういう人が書いた文章って、すごくリアルで生々しい。

少なくとも、いつまでたってもエリントンやハーレムジャズを引き合いに出して語るような評論家よりは嘘が無い(もちろん、エリントンやエリントニアンの音楽も私は好きだし、“そもそもジャズっつぅもんは”といった切り口も嫌いではない。好きでもないけど)。

だから、バークリー・メソッドの本は、かなり分厚かったけど、一気に読んでしまいましたね(本当は4日かかったけど)。

村上龍が「経済オヤジ」になってしまったいま、このような刺激的というか、挑発的というか、スピード感のある文章を読める体験は貴重だ。

ジャズを好きな人も嫌いな人も、
ジャズに興味のある人もない人も、
刺激と知的興奮を味わいたい人ならば、ナマヌルイそこらへんの小説よりかは、菊地成孔の本のほうがずっと刺激的でスピード感を味わえます。

やっぱ、ジャズって、
ちょっとインテリ、ちょっとヤバげ、ちょっと毒盛り、
ちょっとカッコつけ、ちょっと自虐、ちょっと猥雑、
かなりナルシストでエゴイスト、
かなりスケベ、かなり不健康。

そんなことが重なって、カッコイイ音楽として成立しているわけで(と私は思っている)、だからこそ、品行方正で頭の悪い私はジャズマンになりたかったけど、なれなかったのだなぁ。
と、我が半生を反省してみたりして(←クダラン)。

記:2005/03/10

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