十月の人魚/岡田有希子
典型的な8ビートのベース
♪ドッドド・ドッドド……。
ベース教室や、ベースの教本で最初に学ぶ、もっともオーソドックスな8ビートの基本パターンです。
8ビートを叩くドラムのバスドラのパターンとタイミングが一致した譜割りですね。
このリズム、私、苦手なんですよね。
いや、もちろん弾けるんですが、腰が据わって安定したパターんを延々と続けることが苦手なのです。
集中力がないことが大きな原因なのでしょうが、だからこそ、その反動として、このような超オーソドックスなベースのパターンを、どっしりと安定したリズムキープをしているベースを自分ではなく人が弾いているのを聴くのが好きなんですね。
2人のベーシスト
岡田有希子の《十月の人魚》。
同名タイトルのアルバムに収録されている曲を、先日久々に聴いたのですが、これ、Aメロの箇所のベースラインが、まさに「♪ドッドド」なんですよ。
太く安定したベースがたまらない。
ベーシストは?
ライナーを見ると、ベーシストの名は高水健二、岡沢茂の2名がクレジットされています。
うーん、どちらのベーシストがこの曲を弾いているのだろう?
ま、いずれにしても、この2人のベーシストは、日本のポップス界におけるベースの大御所。
昔、読んでいた『Bass Magazine』には、このお二人のベーシストのインタビューや使用機材などがよく紹介されていて、貪るように読んでいたものです。
どっしりと安定した低音が、岡田有希子が歌うこの曲のボトムを頼もしく支えています。
長山陽子・岡田有希子・渡辺桂子のアイドルトリオ
中学、高校時代の頃の私は、特に岡田有希子のファンというわけではなかったけれども、周囲にはファンが多かったですね。
彼女のデビュー当時、学研の『BOMB!』というちょっとエッチなグラビア雑誌の巻末に長山陽子と、岡田有希子と、渡辺桂子の新人アイドル3人が掲載されていたことを覚えています。
苗字の頭文字をとって「NOWトリオ」として紹介されており、これがきっかけで私は岡田有希子の存在を知りました。
今では脂がのった演歌歌手として活躍している長山洋子ですが、デビュー当時はアイドルだったんですよ。
『ザ・ベストテン』のような当時の歌番組には関心がなかったのでほとんど見ていなかったのですが、岡田有希子は新曲を出すごとにこれら歌番組に登場していたようなので、教室ではよく彼女の話をしているクラスメートがいたものです。
しかし、私は歌謡曲にはほとんど興味がなかったので、彼らの話題にはほとんどついていけませんでした。
アイドルになるために猛勉強のエピソード
私が興味を持ったのは、彼女が芸能界デビューするに至るまでのエピソードです。
アイドルになることを親から猛烈に反対されていた岡田有希子。
しかし、どうしてもアイドルになる夢を諦めきれない彼女を見て、母親が出した3つの条件が、「学内のテストで、学年で5番以内にはいること/模試の結果が学内で5番以内になること/第一志望の公立高校に合格すること」だったのです。
親からしてみれば、これで芸能界入りを諦めさせることが出来る上に、勉強にも真剣に取り組むだろうと一石二鳥のつもりだったようです。
ところが、彼女は必死に夜中まで勉強に励んで見事3つの条件をクリアし、親に芸能界入りを承諾したというエピソードを知りました。
へぇ、根性あるんだなぁと感心した私は、ではどういう歌を歌う人なのかなと思ってファンの友人から借りたレコードが『十月の人魚』だったのでした。
印象に残るサビのアレンジ
当時は、借りたレコードは(買ったレコードも)、カセットテープに録音してウォークマンで聴くことが習慣になっていたので、例にも漏れず、このアルバムもマクセルかTDKの54分テープに録音し、何度も学校への行き帰りの電車の中で聴いていたんですが、正直、ピンとくる曲がなかった。
その中で唯一耳にのこったのがタイトル曲の《十月の人魚》だったわけです。
ドッシリと腰のあるオーソドックスなベースに魅せらるようになったのは、ベースを習い始めてからなので、ずいぶん後のことなのですが、まずはメロディの良さ、特にサビの「♪ごめんねマーメイド」のメロディに魅了されました。
このサビに移行する瞬間、サビのメロディを強調するためか、音量が少しアップするのですよ。
特に、「おっ!」となったのが、ラストのサビの部分です。
「ごめんね」と一回サビの冒頭を歌った直後に、転調して再び「ごめんね」と歌い始めるわけです。
ここのアレンジがとても印象的でしたね。
と同時に、この一瞬があったからこそ、私は《十月の人魚》の虜になってしまったのかもしれない。
転調した間奏で挿入されるジェイク・H・コンセプションが吹くサックスも、この歌の「秋な感じ」を盛り上げていましたね。
この曲を作・編曲をしたのは、松任谷正隆。
さすが、プロの仕事をしています。
1986年4月8日以降
そして、このレコードを初めて聴いてから半年後、彼女は四谷の所属していたプロダクション・サンミュージックの屋上から投身自殺というショッキングな報道が流れました。
ただ、この日、この時間帯に私はちょうど当時付き合っていた彼女にフラれていたので、そっちのほうがショックではありましたが……。
しかし、ファンの後追い自殺も相次いでいるという報道や、中森明菜が歌っている背後に霊が映っていたというような噂が流れると、特にファンではなかった私も、だんだんと彼女の死の大きさをじわじわと実感するようになってきました。
そして、彼女が亡くなった後に聴く《十月の人魚》は、彼女がまだ生きている時に聴いていた時の印象とはガラリと変わり、聴いている時の気分、切なさが十倍増しに増幅されるようになってしまいました。
「十月」なだけに、秋が似合うテイストのナンバーなのですが、秋に聞くと、人によっては涙腺が緩みっぱなしになるかも。
もちろん夏の夕暮れに聴いてもピタリとハマる曲ではあるのですが、いやはやなんというか、彼女の生前は単に切なくて良い曲だなと思っていたナンバーが、1986年4月8日以降からは、聴くたびに必ず「ああ、彼女は本当に人魚になって海に還ったんだな」と心の片隅で思わざるをえない、特別な曲になってしまったのです。
記:2017/04/21