失敗作? オーネット・コールマン『フリー・ジャズ』の試み

   

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ダブルカルテットという特異なフォーマットで演奏されたオーネット・コールマンの『フリー・ジャズ』。

ダブルカルテットとは、すなわち、オーネット・コールマンのカルテット(ドン・チェリー、スコット・ラファロ、ビリー・ヒギンズ)と、ここではバスクラリネットに専念しているエリック・ドルフィーのカルテット(フレディ・ハバード、チャーリー・ヘイデン、エド・ブラックウェル)が同時に演奏するという録音当時としては斬新な試みだった。

無邪気なアイディア先行企画ともとれるし、後年、マイルスやコルトレーンが複数の打楽器や低音楽器を導入した時期があることも考えると、時代を予見したフォーマットとも取れる。

しかし、これを聴く上で忘れてはならないことは、意図的に滅茶苦茶になりやすいフォーマットで演奏しているのではなく、ちょっと油断すると、滅茶苦茶な演奏になりかねない、危ういバランスをあえて設定し、そこから様々な情報を引き出そうとする試みだということ。

ドルフィーやラファロをはじめとした一流の演奏家が、最初から破綻しそうな匂いがプンプン漂っているが、この「危険な綱渡り」をどう乗り切るか、そこから生じる緊張感から、どうジャズマンの潜在能力を引き出すのか、引き出せないのか、音と音同士のぶつかり合いの中偶発的な美しさが生じるのか生じないのか、それとも、大空振りの末、単なる楽器過剰の大騒ぎノイズで終わってしまうのか。

コールマンにとっては賭けだったかもしれないし、あるいは、コールマンが目をつけた面子であれば、演奏をギリギリのところで壊さず、危ういテンションを維持したまま、瞬間的に美しい音の結晶体を生み出せるであろう確信があったのかもしれない。

混沌としているのは、楽器の数がそれぞれ2台ずつだから。そのわりには、一本の線が確実にとおった、比較的整合性のある演奏といえる。

いずれにしても、コールマンの目論見は、おそらくは「成功」。

しかし、コールマンの目論見を理解しようとしない人は、偉大なる失敗作と認識した。

後年のマイルスの演奏をテオ・マセロがテープの切り貼りをしたように、この演奏も耳の良いプロデューサーがテープ編集や、リミックスをしたら、もっと濃縮された面白い作品に仕上がるかもしれない。

長尺演奏ゆえ、退屈、かつ冗長な局面もあるのだ。

しかし、キラリと光る「おお、なんじゃこりゃぁ!」な瞬間もあり、これらを編集すれば、新たな『フリー・ジャズ』として蘇生する可能性もアリ。

オーネット自身が『フリー・ジャズ、21世紀ミックス』みたいなことを手がけると面白いのではないかと思っているのは、私だけなのだろうか?

記:2009/02/02

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