ラブ・サイケデリコの魅力
2021/12/03
ラブ・サイケデリコの音楽は「コピペ(コピー&ペースト)」文化の産物だ。
なんて書くと、言い過ぎだろうか?
私やバンドメンバーの記憶力が悪い、練習量が足りないと言ってしまえばそれまでの話なのだが、どうにも構成の覚え難い曲が多いのだ。
彼らのサウンド・テイストは非常に明解だ。
「いかにも」な、昔風のロックなテイストと、印象に残るリフ、あるいはメロディライン。どの曲にも、必ずその曲を一発で決定づける、力強い「掴み」がある。
したがって、曲を構成する大きなパーツごとのメロディなりベースラインは、非常に覚えやすい。
覚えやすいAメロ、サビ、場合によってはBメロ。
これらいくつかの曲の断片が編集されて一つの曲が形成されるわけだが、この順序が非常に把握し難い。自分が演奏している「場所」を見失いやすい。
もちろん聴いている分には、曲の流れに不自然なところはまったく感じられない。
しかし、実際に演奏してみると、次のパートはAメロだったのか、Bメロだったのか、それとももう一回サビを繰り返すのかと迷ってしまう瞬間がたくさん出てくる。
彼らの編曲方法は、あらかじめ作曲しておいた印象的な数種類のメロディを、パズルのようにコピー&ペーストしながら組み合わせているのではないかという気がする。
デスクトップ上で試行錯誤をしながら。
もちろん、これは推測だ。
基本的にはギターと、特徴のあるヴォーカルが前面に出たサウンドのグループということは重々承知しつつも、これらが乗っかるベーシックなサウンドは「打ち込み」によるものだという先入観が働いていることも確かだ。
それが良い、悪いという問題ではなく、ただベースを弾いている分には構成を把握しづらいな、と思ってしまうわけで。
その最たる曲が、《ノスタルジック‘69》だ。
ドラムとギターがブレイクする箇所の多い曲でもあるので、構成の順序がうろ覚えだと、間違いが露骨にバレてしまう。
私は多くの場合、歌詞から自分が演奏している現在位置を測っているのだが、この曲は歌詞の繰り返しが多い。
だから、より一層間違えやすいし、間違えるとゴマカシが効き難い曲だ。
もちろん、このことは実際にバンドで演奏してみるまでは気がつかなかった。
醒めたロックンロール・テイストが魅力なナンバーなので、バンドの課題曲となり、実際ライブでも演奏したこともあるのだが、他のレパートリーと比べると格段に練習した回数の多かった曲だったと記憶している。
メンバー全員が認識している曲の構成が、時としてバラバラになってしまい、演奏を中断して、
「次はAメロだよ」
「え!?サビじゃなかったっけ?」
「じゃあ、最初からやると長いから、さっきのサビのところからやり直そうか?」
「えーと、さっきのサビって何回目のサビのことだっけ?」
といったやりとりを何度も繰り返したものだ。
何度も合わせているうちに、少しずつ慣れてきて曲の構成も覚えて、ライブでは無事、間違わずにこなせたが、先日、久々にバンドの練習をしたときには、思いっきり間違えてしまった。
譜面を追いかけながら歌っていたヴォーカル、私が間違った箇所のベース・ラインを弾いた瞬間、譜面を突き出して、「今やってるのは、ここだよー!!」と指差されてしまった。
とほほほ、完璧に構成を記憶していたつもりが、ちょっと演奏しないだけで忘れてしまうとは。
曲は格好良く、そしてベースライン自体もシンプルなので、ベースラインを弾くことに関しては何の苦労も無い曲なのだが、いまだに構成の覚えにくさで迷宮の中に彷徨いこんでしまったような錯覚にとらわれる曲ではある。
というより、私のもの覚えの悪さをイヤというほど思いしらされた曲というべきか。
と、個人的体験談はともかくとして、今聞くと、非常に密室的なサウンドですね。
そこがかっこいいのだけど。
なぜ、密室的さを感じるのかというと、きっとバンドの演奏になる前のデモテープ的なニュアンスが感じられるからなのだろう。
たとえば、ヴォーカル+ギター+ベース+ドラムという編成のロックバンドのギタリストが家で新しい曲を作曲したとする。
「今度の新曲さぁ、こんなイメージでやってみたいんだけど」
バンドのメンバーに曲の雰囲気をつかんでもらうために、パソコンに曲を打ち込み、自身のギターをかぶせ宅録。デモテープ作り。
そして、メンバーに聞かせる。
この段階のデモテープの肌触り。あくまで伝えたいのは曲の骨格。よってシンプル。
贅肉はそぎ落とす。それ以上の部分の肉付けはバンドのメンバーの感性に委ねる。
仲間に想像力を膨らませてもらう。
つまり、曲が血肉を得る一歩手前の段階。
ラブ・サイケデリコのサウンドのクールな肌ざわりは、ここらへんからきているのかも。
ベースラインもいたってシンプル。
良くも悪くも、このラインはギターの人の発想だなぁと思う。
悪くいえば、ベースへの愛が足りないとも感じるし、良く言えば、この必要最低限のシンプルさがギターとヴォーカルの生々しさをより一層引き立てるための、堅実な脇固めともいえる。
なにはともあれ、独特な肌触りのサウンドは、クールでかっこいい。
今聞くと、かなぁ~り禁欲的なサウンドに感じる。
今までありそうで無かったテイスト。二枚目はふるわないけれども、一枚目の『グレイテスト・ヒッツ』は、彼らの代表作として、永らく聴かれつづけることだろう。
記:2001/12/20