ドント・ストップ・ザ・カーニヴァル/ソニー・ロリンズ

   

吹くわ、吹くわ、気持ち良し

「ブロウ人(にん)」、ソニー・ロリンズの熱血ライブ版。

演奏の時間軸の中、適材適所なタイミングにメロディアスな「歌」を、あたかもマラソンランナーのように、自分のアドリブの持ち時間の中でペース配分をしながら、スケール練習のようなメカニカルなフレーズと、印象に残るメロディアスなフレーズをバランスよく織り交ぜながらバランスよく配列していたのがハードバップ期のロリンズの特徴、そしていまだに「ロリンズは今もいいけど、やっぱり50年代だよ」と多くのマニアに言わしめるだけの美徳があった。

ところが、何度かの引退&カムバックを繰り返し、まるで、吹っ切れたかのように、とにかく、吹いて吹いて吹きまくれなスタイルになったのが、主要レパートリーに《ドント・ストップ・ザ・カーニヴァル》を加えた頃のロリンズだ。

《中国行きのスローボート》の名演が光る『ウィズMJQ』や、勢いよくはじける『ムーヴィン・アウト』のような初期の演奏は、豪快で円を描くようなブロウながらも、彼なりの時間意識の中で吟味され、起承転結をも考えられたフレーズがタイミングよくリズム上に配列されていた。

ところが、「楽天快楽路線」をひた走るこのアルバムのロリンズのブローは、フレーズの前後の関係はあまり考えず、とにかく、今出したい音を「俺は吹きたい。だから吹く」と言わんばかりの勢いで吹くわ、吹くわ。

だから、演奏時間の長時間化もあり、ときに「クドさ」さえも感じることもある。

音色もより一層迫力が増し、ダーティで泥臭ささえ感じるようになった。

ライブで間近に見れば大迫力なのだろうが、やはり録音された音源を耳にしてしまうと、聴き手の環境条件が、たとえば名盤と呼ばれる『サキソフォン・コロッサス』と同一俎上になるわけで、やはり、随所にアラが見つかる。

しかし、そのアラさえも補って余りある迫力のライブ盤ということには間違いはない。

どこまで行っても快楽主義の「ブロウ人」ロリンズ。

と、快楽主義と書いたところで、彼のライバルでまったく正反対の路線を歩んだコルトレーンが頭に浮かんできた。

ロリンズが快楽主義だとしたら、コルトレーンは、禁欲主義的。…というのが、世間一般の認識だろう。

しかし、はたしてそうだろうか?

出てくる音はたしかにそうかもしれないが、果たして当の本人は……?

後期のコルトレーンは、『アセンション』のような大編成によるアンサンブルを試みたり、エルヴィン・ジョーンズに、ラシッド・アリも加えた2ドラム路線を図ったこともある。

さらに最後期には、自分のほか、ファラオ・サンダースというテナー奏者もレギュラーで迎え入れたりと、人数(あるいは音数)の拡大路線をはかり、演奏もどんどん長時間化していった。

何故、そのような方向に走ったのか?

諸説はいろいろあるのだろうが、顰蹙買うのを覚悟で、一言で言うと、コルトレーン自身「ハイ」になりたかったからなんじゃなかろうか?

三島由紀夫が実は生前切腹マニアで、実際、「切腹同好会」出席時に撮影した、苦悶の顔を浮かべながらも恍惚とした表情をした「切腹プレイ(本当に腹は切っていない)」の写真が残されているが、そう、なにも、コルトレーンのジャケ写の多くに見られる苦悶の表情は、100パーセント苦悶なわけではないと思う。

聴く人によっては拷問に近いフリーキーな楽器群が咆哮する中、コルトレーンは、苦悶と紙一重なえもいわれぬ恍惚&陶然としてしまうほどの快楽も身体の内側からじわじわと感じていたに違いない。

そして、このじわじわ感をもっと昇りつめたい、もっと長い時間持続させたいという欲求が、自然と人数拡大、演奏長時間化に向かっていったのではないかと思う。

聖者とされる彼ゆえ、後期のフリー路線は、悟りの手段、だったのかもしれないが、もっと俗っぽく言うと、快楽の発展&持続の手段だったのかもしれない。

快楽大艶会?の『アセンション』。

快楽の宴?の『メディテーションズ』。

快楽長時間プレイ?の『ライブ・イン・ジャパン』。

一方、ロリンズの場合は、もうちょっと健康的で(笑)、ハイになる手段は演奏の長時間化とともに、カリプソのリズムの大胆な導入にあったのだろう。

カリプソのリズムに乗り、延々と吹き続ける。

聴き手も気持ちいいが、演奏者であるロリンズ自身が一番気持ちいいはず。

うねるリズムの洪水にひたり(このアルバムのドラマーはトニー・ウイリアムス!)、ブロウすればするほど気持ちは高揚。ハイになる。

ネタが尽きれば、テーマの一部を引用し、繰り返し繰り返し、たたみかけるように吹き、単音をリズミックにモールス信号しても、リズムの懐の広さゆえまったく違和感がない。それどころかエキサイティング度は増すばかり。

コルトレーンの「ハイ」になる手段は、フリーキーかつノイジー路線への拡大路線だったが、ロリンズの「ハイ」になる手段は、カリプソ導入と演奏の長時間化だったのだ。

出てくる音はまったく違うが、いずれも、この2大テナー巨人は、自分の快楽の追求に正直、かつ貪欲だったんだろうな、と思う。

ストイックなだけではジャズ、やってられません。

カタチこそ違えど、ジャズマンは多かれ少なかれ、気持ちいいことが大好き。そうでなければ、とっくにやめているはず。

「性」にも様々なプレイがあり、快楽の種類も多種多様なように、ジャズにも様々な種類の快楽があるし、どっぷり浸かれば浸かるほど、様々な快楽を享受できることは間違いない。

「ジャズ好きはスケベな人が多い」と、以前何かの記事で読んだことがあるし、「ジャズ好きで夜更かし型の人は、他の音楽の愛好者よりも一ヶ月の夜のアレの回数が2割以上多い」というホントかウソだか分からない統計を目にしたこともある。

眉唾でもあるが、真実でもあるような気が、……しないでもない(笑)。

記:2009/03/11

album data

DON'T STOP THE CARNIVAL (Prestige)
- Sonny Rollins

1.Don't Stop the Carnival
2.Silver City
3.Autumn Nocturne
4.Camel
5.Introducing the Performers
6.Nobody Else But Me
7.Non-Cents
8.A Child's Prayer
9.President Hayes
10.Sais" (James Mtume) - 7:55

Sonny Rollins (ts,ss)
Mark Soskin (p,el-p)
Aurell Ray (g)
Jerome Harris (el-b)
Tony Williams (ds)
Donald Byrd (tp,flh) #5-9

1978/04/13-15

 - ジャズ