坂本龍一の「音楽」三部作~フロントライン/音楽の計画/ONGAKU

      2023/12/21

大好きな教授の3曲、俗に言われている「音楽3部作」について語った動画をアップしました。

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コメント

Fumiyuki Kawanoさんからのコメント。

私もフロントラインのシングルを買いました。音に関しては、あのイントロの、透き通った、どこか抜けた錆びた音が強く印象的で、しかも何気な古き日本のと言うか、中国か沖縄っぽいメロディが素晴らしいです。坂本龍一も高橋幸宏のソロでも、中国沖縄っぽいメロディが出てくる曲がありますよね。ほとんど同時期にウォーヘッドのシングルも買ってますので、それに比べて穏やかでききやすかったです。が、その分、長く聞くことはありませんでした。しかし、ウォーヘッドのほうは、最初こそ極端にちんぷんかんぷんな音楽だと感じました。あのステレオなボーカル、そしてあの超過激さは、衝撃的でした。こんな曲が音楽として成立してしまうなんて、と言う気持ちでした。
浮気なぼくらの音楽と言う曲に関してですが、私は、コード進行は詳しくないですが、でも、曲の流れに独特な良さを感じていました。あの、フワッとした暖かく、透き通った風のような音には、心地よい、何か、感動してくるものがありました。
おそらく、私が聞いた坂本龍一の最初のアルバムは、左腕の夢だと思いますが、ベネチアは、最高でした。延々と続く同じメロディにも関わらず、全く飽きさせない、あれは、一体何なのか、未だに答えが見つかりません。
余談ですが、後に禁じられた色彩のシングルを買い、そのジャケットをもって、床屋に行って、その写真の坂本龍一みたいにしてくれって頼んだら、ただのボウズ頭にされました。

ああ、懐かしいなぁ。すべてではないんですが、なんか感性というか感じ方が私となんだか同じ青春というか相似形というか。
『ウォーヘッド』は、私の場合はB面の《レキシントン・クイーン》がめちゃくちゃ好きでしたね。特に、後半のキーボードソロの、わざと音程をズラしたような音色が、ひょえ~!プロフェット!って感じで(笑)。あ、これと似たような音色は、KORGのシンセサイザーでも再現できました。Detuneというものを過激にかけると、ああいう音っぽくなるんだって発見できてものすごく嬉しかったことを覚えています。
そうそう、フワッとした暖かな風の音。
「錆びたパンフルート」、そうそうものすごく秀逸なたとえですね。そういう感じの音色です。デヴィッド・シルヴィアンとやっている《バンブー・ミュージック》でも似たような音色が使われていましたね。
おっしゃるとおり、たぶん、沖縄とか中国とかアジアを意識されていたんでしょうね教授は。芸大の小泉先生の講義にも熱心に出ていたそうですから、やっぱり若い頃から民俗音楽への興味がつきなかったんでしょうね。だから、『エスペラント』かぁ、だから《ニュー・タンズ》のケチャかぁ、なんて思ったのは、大人になって、小泉先生の本を読んでから気がついたんですが……(苦笑)。
《ONGAKU》の「フワッとした暖かい風」という喩え、ニュアンス、すごくわかります。『浮気なぼくら』は、もちろん他の楽曲も大好きなんですが、《ONGAKU》は、他の曲に比べると1枚飛び出ているような感じがします。これを「陽」とすると、次の《パースペクティヴ》は「哀」って感じかな?なんて。(両方とも歌詞が単純で深いですから)
『左うでの夢』の《ヴェネチア》、いいですね~!最初に聴いて、たぶん一番最初に好きになった曲だったと思います。次いで、《ヴェネチア》の前の《Salt Dance》。前半から後半までリズムだけの曲なのに、ノイズなどのレイアウトのセンスが良いからなのでしょうか、すごく聴けてしまうんですよ。そして、そこから《ヴェネチア》のイントロにいたるまでの流れがすごく良かったです。
髪の毛といえば、私の大学時代の友人に、やっぱり私と同じような教授好きがおりまして、彼の癖は、髪をかきあげることでした。教授と同じような動作なんで笑ってしまいました。とにかく、そんなところまで隅々と、色々なところから影響を受けてました。書き出すとキリがないので、このあたりでやめておきます(苦笑)。

Fumiyuki Kawanoさんからの返信。

私も、話だし書き出すと、きりがないんですが、おっしゃる通り、全てが一緒では、ないのですが、あの頃に彼らを聞いて、様々な影響を受け、音楽の道に進んだと言うことで、かなり似たリアクションが出てくると思います。私がキーボードに興味を持ったのは、もちろん彼らの影響です。当時私は、全くと言っていいほど何の楽器も弾けませんでした。それなのに、シンセサイザーを学びたかったので、青山レコーディングスクールに入いやぁ~、当時の音楽とそれにまつわるカルチャーに感化してしまったがゆえ、職業は違えど、将来の方向がある意味決定づけられたということに関しては私も同様です。
私の場合は音楽ではなく活字方面でしたけど……。
当時の私の愛読雑誌は『サウンドール』、『ビックリハウス』、『宝島』、そして音楽とは関係ないけど『Hobby Japan』だったんですけど、もうその頃の雑誌は、なんというか編集部や編集者の趣味性が表に出まくっていて、非常に誌面がグルーヴしていたと感じます。そういうムードがいいなぁって思って。特に『ビックリハウス』なんかは、半分以上「遊び」で作られた雑誌のように感じましたし、『サウンドール』なんかは、YMOに対するミーハー根性(?)丸出しで、YMOが散会したら雑誌自体も休刊しちゃうし(笑)。その中で『宝島』に関しては、文字が多く、中学生の私からしてみれば、ちょっと難しい雑誌に感じたのですが、それでも栗本慎一郎教授とYMOの「散会についての座談会」の企画などがあったりもしたので、ときどきはチェックしていました。そして、なんと大学卒業後、そこの出版社に就職してしまったんですね(笑)。もちろん大学時代に夢中になったジャズの本もたくさん出していた出版社だからという理由も大きいのですが……。で、しばらくは本や雑誌とは関係のない宣伝の部署で仕事をしていたのですが、30歳を超えたあたりで、なんと『宝島』の編集部に異動することとなり、まさか、かつて愛読していた雑誌編集部の椅子に座ることになるとは夢にも思っていませんでした。もっとも、その頃は雑誌の方針が変わっていて音楽雑誌ではなくなってはいたのですが(そして現在は休刊しています)。
しかし、これもまたYMOとその周辺のカルチャーに夢中になりまくっていた十代の頃に形成された強力な磁石が引き寄せた現象なんじゃないかとは思っています。やっぱり、青春時代に熱くなったことは直接的ではないにしろ、なにがしかの将来の方向性を決定する大きな要因になるんだなとFumiyuki Kawanoさんの投稿を読んで思いました。学したのですが、学科が定員満員だったので、やむなく、スタジオミキシング学科を選びました。二年間頑張りましたが、ちんぷんかんぷんでした。当時就職情報で、高橋幸宏がスタッフ募集していましたが、私は、二の足を踏んで、飛び付きませんでした。憧れの存在と、職業は違うと感じたからです。とにかく、音楽に関係する職につくことは、ありませんでしたが、ピアノを細々と少しずつ少しずつ、やりながら、現在に至ります。
話は変わりますが、坂本龍一の真似と言うのか、当時、高校生の友人が坂本龍一のくちびるの真似をしていました。独特のタラコくちびるを上唇で隠す仕草ですが、私も彼に感化されて、やり始めましたが、できませんでした。

いやぁ~、当時の音楽とそれにまつわるカルチャーに感化してしまったがゆえ、職業は違えど、将来の方向がある意味決定づけられたということに関しては私も同様です。
私の場合は音楽ではなく活字方面でしたけど……。
当時の私の愛読雑誌は『サウンドール』、『ビックリハウス』、『宝島』、そして音楽とは関係ないけど『Hobby Japan』だったんですけど、もうその頃の雑誌は、なんというか編集部や編集者の趣味性が表に出まくっていて、非常に誌面がグルーヴしていたと感じます。そういうムードがいいなぁって思って。特に『ビックリハウス』なんかは、半分以上「遊び」で作られた雑誌のように感じましたし、『サウンドール』なんかは、YMOに対するミーハー根性(?)丸出しで、YMOが散会したら雑誌自体も休刊しちゃうし(笑)。その中で『宝島』に関しては、文字が多く、中学生の私からしてみれば、ちょっと難しい雑誌に感じたのですが、それでも栗本慎一郎教授とYMOの「散会についての座談会」の企画などがあったりもしたので、ときどきはチェックしていました。そして、なんと大学卒業後、そこの出版社に就職してしまったんですね(笑)。もちろん大学時代に夢中になったジャズの本もたくさん出していた出版社だからという理由も大きいのですが……。で、しばらくは本や雑誌とは関係のない宣伝の部署で仕事をしていたのですが、30歳を超えたあたりで、なんと『宝島』の編集部に異動することとなり、まさか、かつて愛読していた雑誌編集部の椅子に座ることになるとは夢にも思っていませんでした。もっとも、その頃は雑誌の方針が変わっていて音楽雑誌ではなくなってはいたのですが(そして現在は休刊しています)。
しかし、これもまたYMOとその周辺のカルチャーに夢中になりまくっていた十代の頃に形成された強力な磁石が引き寄せた現象なんじゃないかとは思っています。やっぱり、青春時代に熱くなったことは直接的ではないにしろ、なにがしかの将来の方向性を決定する大きな要因になるんだなとFumiyuki Kawanoさんの投稿を読んで思いました。

筧淳一さんからのコメント。

81年当時の教授は、自分を取り巻く状況に苛立っていた。YMOブームにより望んでもいないのにスター、さらに言えばアイドル扱いされ、道を歩けば指を指されてサインをねだられる事態にアレルギーを起こしていたのだ。他の二人はバンド経験者でファンの扱い方もある程度慣れていたと思われるが、世間的にはまだ無名のスタジオミュージシャン上がりの彼にはファンとの距離感がまだつかめなかったのだ。加えてYMOの在り方に対しての細野さんの考えに納得出来なかったこともあり、バンドに在籍しながらもアンチYMOを作風で表明するという、凄まじい時期だったのだ。

まさにそういう時期の葛藤が歌詞に出ているような気がします。
お書きになられた状況が背景にあったからこそ、プロフェット5を蹴っ飛ばしてスタジオを出て行ったら、プロフェットの上に置いてあったコーヒーがこぼれて「プロフェットが火を噴いた事件」とか、アシスタントが、いつもの弁当屋さんのから揚げ弁当が売り切れていたため、別の弁当屋さんのかから揚げ弁当を買ってきたら、こんなもん食えるか!と床に放り投げた事件とか、メジャーなYMOを仮想的とみなして「アンチYMO」な作品というコンセプトで『B-2 unit』を録音したりとか、細野さんが「BGMには千のナイフ風の曲を作ってよと言ったら、だったらそのまま千のナイフでいいじゃん!?」と過激な音色の千のナイフをレコーディングしたりとか、まあその手の逸話には事欠かなかったようですね。BGMの時期が色々と葛藤がすさまじかった教授ですが、その後韓国に行き、元気を取り戻し『左うでの夢』で陽のパワーを放射する音楽を想像し、さらにご自信が最高傑作といわれている『テクノデリック』を録音したりと、良い方向に回復し、さらにクオリティの高い音楽を発表することで我々を楽しませてくれたことは嬉しいことですが、負のパワーが鬱積したいた時期の超攻撃的な教授の音楽も個人的にはなかなか味わい深いものがあり大好きです。

筧淳一さんからの返信。

カフェモンさん、思いがけず返信ありがとうございます!ぼくは小学生以来のYMOファンです。(年が大体バレますね)。去年からYMO40周年イベントが続いていますね。YMOはバンドというより、ソロアーティストが3人組んだユニットですから、いかにまとまるのが難しいかは想像にかたくないですよね。しかもあの3人ですから(笑)。だから教授は多分YMOが生涯で唯一加入したバンドになるんでしょう。当時もYMOを辞めてもYMO以上に面白い環境にはならないという消極的な理由で残ることになりましたからね。ですから今の細野さんと教授の良好な関係をみるにつけ、古参ファンとしては時が解決してくれるなら、年取るのも悪くないのかなと思います。

確かに、最近の和気あいあいとした3人のメンバーを見ると、心が和みますです。ほっこりしますね。そして、彼らもとしを取ることはいいことだ的な発言をされていますので、なんだかずっと、ほっこりとウォッチングし続けたいなと思っております。確かに、YMOはバンドというよりユニットだったかもしれません。方向性は違うけれども、それぞれめちゃくちゃ高い音楽性と才能を持った3人が集まった奇跡とも言えるユニットだったと思います。そして、未だ音というか、音楽そのものの勢いが衰えていないどころか、ますます音楽的な強度のようなものが、この時代だからこそわかってしまうという、途轍もない記録を彼らは残してくれたんだなと思います。と、書きながら、細野さんのフィルハーモニーのリマスタリングを聞いていたりします(笑)。

筧淳一さんからの返信。

これからは、YMOの名前にこだわらずに気軽に3人集まって欲しいですね。シアター六本木の時みたいにもうテクノポップじゃなくてもいいから。テクノだともっと嬉しいけど。僕がYMOから学んだことはやはり、人生にはユーモアが大事だということでしょうか。バンドの内実はともかく、YMOの音楽には常にユーモアがありました。陰鬱でシリアスだといわれがちなBGMでも、u.t.の間奏ではスネークマンショウもどきをやってマスシネ。テクノドンからの先行シングル「ポケットが虹でいっぱい」のジャケットには” Humor is a release”、つまり「ユーモアは解放である。」と宣言されてますから。またどこかでお会いできると思います。その時はまた語り合いましょう!

ユーモア!おっしゃる通りだと思います!こちらの眠っていた心を呼び覚ますような熱い書き込みありがとうございました!

TheYFO - MIX of YMOさんからのコメント。

Music Plan ピアノだと綺麗なんですね。きいてみたい。

なかなか雰囲気がかわって面白いですよ!

R Katoさんからのコメント。

とても面白かったです!
やはりこの三部作は教授の感情や環境の変化を、自らの高度な作曲技術に乗せて、またプロフェット5の暖かいサウンドを駆使して表現されているんですね〜。僕も大好きです!

でんちりさん
ありがとうございます!
まさに、おっしゃるとおりだと思います!

人間合格さんからのコメント。

Prophet-5、Jupiter-8等、小学生だった自分にはとても買えない高価なシンセは当時本当に憧れでしたね。お年玉を貯めてRolandのSH-101とフランジャーとディストーションを購入して弄り倒してました。

>RolandのSH-101とフランジャーとディストーションを購入して弄り倒してました。
おっ、わりと一緒ですw
私も、SH-101とフランジャー買いました。
さすがにディストーションは恐ろしくて手が出せなかったかわりに、Arionの安い5000円くらいのコーラスを買って、フランジャーと一緒に繋いで遊んでいましたw

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