黒声~里国隆という唄者
text:高良俊礼(Sounds Pal)
里国隆
シマを離れて東京での一人暮らしをするようになって数年経ったある日、私は何の前触れもなく突如、里国隆の唄と出会った。
秋とはいえ徐々に冷たくなっている外気が改めて「東京」を感じさせる午前、当時務めていたCDショップで、いつものように慌ただしく入荷処理をこなしていた時のことである。
他の様々なジャンルのCDと一緒に、何事もなかったように入荷してきた1枚のCD、それが里国隆のアルバムだった。
もちろん当時の私は里国隆の名前など知らず、東京でただ好きな音楽を聴き漁る毎日であったが、そのCDのジャケットを見て何気に「聴いてみようかな」と思い、購入に至った。
懐かしさを求める気持ちもあったが、何よりも音楽的な「何か」がありそうな気がしたからだ。
島唄
帰宅してじっくりとCDを聴いて、その予感は予想以上にリアルな形で的中した。
レコーディングされたものであるということをも忘れさせる、剥き身の荒々しい唄が何度も何度も胸に刺さり、琴線をわしづかみにして揺さぶる。
島にいた頃に何となく耳にしていた「島唄」とは、実はこんなにもリアルで音楽として威力のあるものだったのか。当時好きで聴いていた戦前ブルースの、タフで荒削りな衝動と全く違わぬ、とことんプリミティヴな音楽的感動は、私をスピーカーの前に釘付けにした。
黒声
彼の唄は、黒々とした奄美の精神そのものであると同時に、他の誰とも似ていない、あらゆる関係性から隔絶した「個」の唄でもある。
ギリギリの地平で響く、あまりにも痛切な歌唱。
その地の底から沸き出でるような野太く枯れた声を、かつて奄美の人々は「黒声(クルグィ)」と呼んで畏怖した。
彼の唄を聴く度に、遙か東京の地でリアルに感じた「シマ」が蜃気楼のように脳裏に浮かぶ。
記:2014/09/20
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)
※『南海日日新聞』2008年1月13日「見て、聴いて、音楽」記事を加筆修正