個人サイトはゲロである。
2017/04/24
人気サイト「バリゾウゴン」の藤生トキエ氏は、「Webサイトとは露出狂な人のオナニーショーである」と看破しているが、私は「ホームページ、ことに個人サイトはゲロである。」と思っている。
なぜゲロか?
簡単だ。
一人一人の人間が、様々なものを吸収して内面でブレンド&発酵されたものが、再び表に出てくるといった点では、ゲロもHPも同じぢゃぁないか、ということで。
以上だ。
ただ、それだけの共通点で強引に括っただけのこと。
ただし、これを前提に考えを出発させてみよう、ということでもある。
“掴み”としてのインパクトを出すために敢えて汚い言葉を使っていることは、察しのよい御仁なら充分ご理解いただけようが、ゲロ、ゲロと汚い言葉を連発するので不快感を催された方は、どうかこれ以上先を読まないで頂きたいと思う。
さらに不愉快指数が高まってゆくこと必至だと思うから。
個人サイトはゲロである。
ゲロは不快感を催すのは当たり前。
ましてや他人のゲロなんて普通はあんまり気持ちのいいものではない。
個人サイトはゲロである。
だから、星の数ほどもある個人サイトの中で気に入ったサイトにたどり着くことなんてマレなんだと腹を括れる。結果、ネットサーフィンをしていて、失望するということもなくなる。
個人サイトはゲロである。
それでも、作者発するゲロの匂いに惹かれるページに巡りあえれば、それは非常に幸運なことだ。
この前提に立てば、お気に入りのページを見つけたときの幸せをより一層かみしめることが出来よう。
たいがいお気に入りのゲロは、自分の内部で咀嚼されている素材と一致することが多い。
ゲロはクサい。
いや、クサいとまではいかずとも、匂いはする。
それぞれの個人サイトは強弱の差こそあれ、それぞれが作者特有の体臭とでも言うべき匂いを発している。要はその匂いを好きになるか、嫌いになるか、嫌いだけど気になる存在になるかのどれかだ。
強烈な匂いほど当然のことながら不快感を催す者も多い反面、くさやの匂いが慣れると病みつきになる人がいるのと同様、熱烈なファンがつくことも確かだ。
個人サイトはゲロである。
これは私自身を戒める事柄でもあるが、「自分のページって、自分が思っているほどそんなにイイもんでもないですよ、
しょせん自分が戻したゲロみたいなものなんだから。」ということ。
人は自分自身の発する匂いというものには、我慢は出来るし、愛着を感じることすらある。しかし、他人からしてみれば……?
私は、まずこの自覚から出発している。
個人サイトはゲロである。
しょせんゲロだから、いやゲロだからこそ、見せ方や伝え方をその人なりに工夫を凝らす。このちょっとした工夫は楽しいし、以前この「雑想」にアップした「ホームページ運営とはお店をやっているようなもんだね。」の考えに繋がることになる。
出発点にこの認識を持つか持たないかが、単なる「吐き散らかし」と「趣味の良いゲロ」の分岐点になるのだと思う。
工夫と切り口次第では、「品の良いゲロ」に見せることだって出来るかもしれない。
せっかくアップしているのだもの、やはり自意識の正直なところとしては、多くの人に見てもらいたいし、あわよくば褒められたいというのは誰しもが思うことだろう。
ケナされるのが好きな人。ケナされたいがために個人サイトを運営している人などいるのだろうか?
いらっしゃったら教えて下さい。
ご満足いただけるかどうかは分かりませんが、一生懸命ケナしてさしあげます。
それともう一つ。
既に耳(目?)にタコの出来てしまうぐらいよく言われる文句に「個人サイトなんだから好きにやればいい。その人の勝手なハズだ。」というものがある。
そんなこと当たり前じゃないか。個人の好きにやっていないサイトって、たとえばどういうサイトのことを指すのだろう?
好き勝手ではないページ。自己本位でもない個人ページというのがどうしても私には想像出来ない。
私はこーいう性格のこーいう人間です。自分ではこうだと思っているけど人からは変わったヤツだと言われます的なプロフィール。愚痴と自慢の入り交じった日記。好きな音楽や食い物や趣味の紹介。徒然なる(笑)エッセイ。詩を書いてみました。絵を描いてみました。音楽作ってみました。しょーせつ書いてみました。デジカメを買ったので写真撮ってみました。お気軽にどうぞ足あと残していっての掲示板。
差こそはあれ、だいたい上記の如くが個人サイトの王道的なメニューだろう。このページだってそうだ(苦笑)。
履歴書的でもあり、意地悪な言い方をすれば「オレ・ワタシ」の押し売りでもある。
つまり意地悪くさんざん「ゲロ」という言葉を連発したが、「オレ・ワタシ」全開のところに集まってくれた訪問者、ましてや掲示板にご意見、ご感想までを書きこんでくれるような方は本当にありがたく、そして貴重なお客さんなのだ。
自分の内部から発せられたゲロを好んでくれた人、これは立派に自分のファンなわけだし、そういう人がもっと喜んでくれるページを、再び訪問してくれるようなページを作ろう、と思うのが自然ではなかろうか?
短絡的な人は、それを「媚び」と誤解するけれど、決してそうではない。
褒められた。あるいは感想が寄せられた。嬉しい。じゃぁもっと彼らが喜んでくれるようなページを考えてみたり工夫してみよう。
向こうが喜べばこちらだって嬉しい。そういった自然発生的な欲求がある限りはページの更新やリニューアルは面倒かもしれないが、楽しい作業でもあるハズだ。
これの一体どこが「媚び」なのだろう?
個人ページなど、しょせんゲロ程度のそれほどご立派なモノではないのだから……。
だからこそ、好き勝手に。
思う存分に。そして楽しく。
これが個人サイトを運営する上での大前提だろう。
さらに冒頭に引用したオナニーショーではないが、誰かに確実に見られているという実感は心地よいプレッシャー、あるいは快感すらも感じるかもしれない。
個人サイトの運営は、趣味としては、非常に楽しい分野ではないだろうか。
そう、趣味なのだ。
だから、楽しくなければ意味がない。
楽しくなければ、やめるがよろし。べつに個人サイトを運営しているあなたがHPを続けなければいけない社会的使命などこれっぽちも無いのだから。
私は楽しいから続けている。楽しくなければとっくにやめていただろうし、今後も苦痛を感じた時点で、さっさとこのページを閉鎖することだろう。
じゃあ、行き詰まったら?
更新しなければいいだけのこと。しばらく休養するもよろし。もっとも両極端な人はすぐに閉鎖してしまうが(笑)。
「方向を見直す」などといった大袈裟なことは考えない。「ヘタな考え休むに似たり」と言うではないか。考える暇と労力があれば、他のことで楽しんだ方が良いに決まっている。
関係無い人から見れば、しょせん道端のゲロ程度のものなんだから。
それに、趣味ってだいたいが、そういったものでしょ。義務感が伴った時点で趣味は趣味じゃなくなる。と、私は思うのだがどうだろう?
いずれにせよ、たかだかゲロ。
しかし、されどゲロな個人サイト。
私は楽しく好き勝手にこれからも続けることだろう。
もちろん、いらしてくださる訪問者の方々の心地よい視線を感じつつ……。
見られつつも、好きなことをやる。これって結構冒頭の「オナニーショー」に通じるところも確かにあるな。
記:2001/02/21