スイングジャーナル時代の中山康樹/中山康樹

      2021/02/11


スイングジャーナル時代の中山康樹

中山康樹エピソード・ゼロ

私にとってのこの本は『スターウォーズ』で言えば「エピソード0」ですね、

私が中山康樹氏の文章に最初に出会い、衝撃を受けたのは『マイルスを聴け!』でした。

この本や、もう一冊の翻訳本『マイルス自叙伝』も私にとっては「衝撃本」でしたが、いずれにしてもこれら2冊の本は、『スイング・ジャーナル』を退職された中山氏が颯爽とソロデビューを飾った衝撃のデビュー作といっても過言ではないでしょう。

そう、私がジャズを聴き始めた頃は、既に中山氏は『スイング・ジャーナル』を退職されていたのです。

マイルスを聴け!

『マイルスを聴け!』は、斬新な視点と勢いある文章で、大いに楽しませてもらいました。

いまは、文庫版でバージョンを重ねて発行されていますが、当時は、径(こみち)書房という今はなき出版社から発売されていたバージョンが、やはり私にとっては忘れえぬ本です。

なぜかというと、その後、何度も改訂を繰り返されるにつれ、径書房の最初のバージョンに記述されていたギャグテイストの文章がどんどん姿を消し、同時に勢いも無くなってきているからです。

たとえば、『カインド・オブ・ブルー』のレビューの最初の一文は、「アートである。ブレイキーではない」なんですが、次のバージョンになると、「ブレイキーではない」の箇所が削除されているんですね。

私は、本書に書かれている「モーニンおっさん」という表現にも爆笑していたのですが、その流れを汲んだ「ブレイキーではない」の箇所が面白いのに、なんで削除してしいまうのだろうと残念な思いで一杯でした。

幸い、出版社に就職し、雑誌の編集者となった私は、中山さんとお会いし、お話することが出来るようになりました。

>>中山康樹さん 死去~中山さんの思い出/ボブ・ディランにノラ・ジョーンズ

その際、十数年間抱いていた「モーニンおっさん削除」に関しての疑問をぶつけてみたことがありました。

中山さんの返答は、ギャグ色は趣旨にそぐわなくなってきたとのことでした。

つまり、版を重ねるにつれ、ブートレッグの紹介スペースが増え、それにつれてディスクガイド色が強まりつつある中、アート性の高いアルバムとして『カインド・オブ・ブルー』を紹介するには、ギャグタッチの紹介文は不要と判断して削除したということでした。

たしかにそのとおりかもしれないと思ったものの、やはり作家デビューしたての頃の中山さんの傍若無人さが薄れていくのは少々寂しいと感じたものです。

『4』で始まり、『0』に戻る

話が脱線してしまいましたが、『マイルスを聴け!』は、現在の私のマイルス観にも大きな影響を与えた本であるということは確かで、後藤雅洋氏の『ジャズ・オブ・パラダイス』や寺島靖国氏の『辛口ジャズノート』とともに、何度も読み返したジャズ本の一冊でした。

ですので、『スイング・ジャーナル』の編集長を辞した、中山氏にとって第二の文筆家人生のスタートをきった『マイルスを聴け!』は、私にとっては『スターウォーズ』で言えば、「エピソード4」にあたるわけです。

『マイルスを聴け!』で、すっかり中山氏の文章に魅せられてしまった私は、その後、続々刊行される中山本を発売のたびに買っては読み漁っていました(当時は、今はなき「径書房」から出ていることが多かったような記憶が)が、これらの本が「エピソード5」や「エピソード6」にあたり、続々刊行される本を出来るだけリアルタイムで読んでいました。

『スターウォーズ』でいえば、新作エピソードが発表されるたびに、リアルタイムで映画館で鑑賞するファンのような心境に近かったのかもしれません。

そして、2015年に中山氏がお亡くなりになられ、もう中山氏の文章を味わえない、寂しいと思ったものですが、その思いが忘れかかったころに、ドドーンと出ました『スイングジャーナル時代の中山康樹』が。

これ、まさに「エピソード0」です。

もちろん、スターウォーズの「エピソード0」は、「エピソード4」以降を知らない人が最初に観ても楽しめる映画なのかもしれませんが、「エピソード4」以降の作品を先に鑑賞していたほうが、より一層楽しめると思っています。

「ははぁ、ここがこう繋がるわけか」などと、先に未来の出来事を知っているからこそ過去のエピソードがより一層際立った輪郭を持って迫ってくるのです。

アニメでいえば、『機動戦士ガンダム』やそれ以降の『ゼータ』から『逆襲のシャア』までの宇宙世紀の流れを知った上で『ORIGIN』を鑑賞する楽しさに近いかもしれませんね。

本書に掲載されている中山さんのテキストもそう。

ジャーナル時代の中山さんの文章を読むと、時にハチャメチャ、時に屁理屈をこねまわすかのような「中山文体」は、まだ確立されていません。

しかし、いたるところに、その萌芽は認められます。

もっとも書かれているテキストの趣旨は、あくまでミュージシャンやライブの「取材レポート」なので、ハチャメチャさや屁理屈を混ぜる余地は無いのですが。

しかし、表面的には淡々とした記述の連続でありながらも、時空を超えて、まるで読者を80年代のニューヨークやロスなどに居合わせているんじゃないかと思わせるだけの臨場感を感じさせるのは、それこそ、なみなみならぬ中山氏の「筆力」のなせる業なのでしょう。

これほどの筆力があれば、その後発刊される本の趣旨にあわせたキャラクター作りと、そのキャラに乗っ取った文体で読者を楽しませることなどお茶の子さいさいだったのだなということが、本書を読むとよく分かります。

そして、『マイルスを聴け!』以降、自他ともに認める「日本一のマイルス者」の地位を確立したのも、雑誌編集者時代から変わらぬ「マイルス愛」があったからこそだということも分かります。

勢いあったジャズシーンを見事に切り取っている

何度も海外で行われたマイルスのライヴ(あるいはコンサート)に足を運び、マイルスからのインタビューがかなわぬ時は、周囲のサイドマンから言葉をもらい、絶えず変化を繰り返してゆくマイルスの音楽像を出来るだけリアルタイムに伝えようとする姿勢は、客観的でいて、熱狂的なファンゆえの冷静な熱さをも感じさせます。

マイルスだけではなく、ちょうどジャコ・パストリアスからヴィクター・ベイリーにベーシストがチェンジした直後のウェザー・リポートも追いかけており、ある意味スターだったジャコが抜けた後の新生ウェザーが離陸した直後の聴衆の反応や、ザヴィヌルやショーター、そして新メンバーの意気込みなどがヴィヴィットに伝わってきて興味深かったですね。

マイルスにウェザー。
ジャコにギル・エヴァンスにウイントン・マルサリス。

思えば、1980年は、ジャズはまだまだ大きなウネリとともにダイナミックな変遷を繰り返していた時期だったのですね。

メンバーや演奏のアプローチが変われば、それが大きなニュースになる。
いや、ニュースソースになり得るだけの力があった。

かといって、それに比べて今のジャズは……などと言うつもりは毛頭ありませんが、そのようなジャズシーンに躍動感のあった時代に、世界を飛び回り、雑誌に健筆をふるいまくっていた中山氏の生き生きとした姿が文字を通して伝わってきます。

いや、もしかしたら、中山さんの筆力が、当時のジャズシーンが実際以上にダイナミックに脈打っていたかのように感じさせるのかもしれません。

私がジャズに興味を持つのが、あと数年早ければ、リアルタイムで編集長として大活躍していた中山テイストの『スイング・ジャーナル』に接していられたんだなと思うと、やはり今回シンコーミュージックから発刊された『スイングジャーナル時代の中山康樹』は、私にとっては「中山史・エピソード0」に値する貴重なアーカイブなのです。

正しくジャーナルのジャーナリストだった

『ジャーナル』が「ジャーナル」であった頃の貴重な記録であり、一人称を極力使わず(ごくたまに「小誌」、ニューヨーク日記では「ボク」という表現が1~2回出てくる程度)、徹頭徹尾「ジャズを伝える男」に徹した「ジャーナルな男」だった男、中山康樹。

この時期の中山さんが紡ぎ出すテキストは、スイングジャーナル社退社以降の文章とは一線を画する新たな魅力が封印されており、滅茶苦茶面白い。
一気に読んでしまいました。

「出来事」と「筆力」が融合し、ダイナミックな80年代の(主に)ニューヨークの息吹きまで時代を超えて伝わってくるかのようです。

これは、中山ファンならずとも、80年代の新伝承派や復帰後のマイルス、そしてウェザーリポートの音楽に心躍らせていたジャズファンにとっての必読書ともいえるでしょう。

中山氏が『ジャーナル』に残したテキスト、まだ残っているのであれば、ぜひ、『2』や『3』も出して欲しいものです。

記:2018/11/25

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