ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか/香山リカ

   

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露骨に嫌悪している内容ではない

「気持ち悪い」だなんてタイトルは煽りなのでしょう。

タイトルのみから判断すると、著者のSNS(ソーシャルメディア)に対する嫌悪感が露わになった本と誤解してしまいそうですが、内容は、戸惑いや疑問府を投げかけつつも、それほどSNSに対して「気持ち悪い」と言い放つほどの嫌悪感は感じられません。

嫌悪というより、感じられるのはどちらかというと「戸惑い」でしょうね。

SNS、あるいはインターネット登場以降、変貌しつつある人間どうしのコミュニケーション形態の変化や、それに伴う弊害などが、様々な事例をあげて考察している本である、といった方が正解でしょうね。

事例のショーケース

もっとも、様々な本や雑誌からの引用が多く、インターネットがもたらした「個人や社会の変化」のショーケースとして読むことも出来るのですが、肝心な筆者自身の考察があまり深いところにまで達していない、というよりも引用が多いぶん、あまり紙数が割かれていないところが残念といえば残念。

要は、最後のページに記されている、

「(ソーシャルメディアの特性と、それがもたらす弊害を確認するには)ある意味でいまが最後のチャンスであり、これを逃すとこの流れを止める機会はもう二度と訪れるのではないか、と思うのだ。」

ということなのでしょう。

もっとも考えたところで、一度便利なものを覚えてしまった以上、それ以前に後退することは難しいのが人間の性。
人の隠れた自己顕示欲を満たしてくれるメディアとしてさらに拍車をかけるか、あるいは目ざとい一部の人がSNSの進化と盲点を利用した新たな「稼げる」ビジネスモデルとして、セミナーや情報商材として儲けるぐらいなものでしょう。

また、ネットやSNSがもたらす「身体性が希薄な関係」に筆者は危機感、というよりは違和感を感じていますが、人工知能や、性能の優れた義足・義手など身体に代わるもの、そして体内に埋め込み式のチップの開発が進んでる昨今、21世紀の今後は、さらに人々の身体性が希薄になってゆく(生身の人間ならではの特権性が薄れる)ことは必然であり、もうこの流れは止められないでしょう。

つまり、本書が著わされた時期は、もうすでに「最後のチャンス」ですらなく、もはや「手遅れ(マイナスの表現をすると)」な時期にさしかかっているのではないかと思います。

日本人とネット

特に、SNSは、日本人にとっては、人が誰しも持っている「プチ自己顕示欲」をささやかに満たしてくれるツールなんのではないかと思っています。

親の仕事などで海外生活が長く、高校生や大学生になってから日本で暮らすようになった人の多くは、日本人特有の表と裏の顔に驚き(ホンネとタテマエのような)、戸惑い、そして日本人ってこういうものなんだという悟りと諦観の念に至っている人にも何人か会いました。ルース・ベネディクトが『菊と刀』で鋭く日本人を分析した時代から半世紀以上経っていますが、あまり日本人の気質、行動様式は、そう簡単に変化しないのでしょう、

というよりも、インターネットやSNSが拍車をかけているとも考えられなくもありません。
表で言えないことを裏で主張する、みたいな。

もっともFacebookのように、匿名でなく本名でないと登録できないSNSもあるので、インターネット=匿名と言うのは、だんだん過去のものになってきてはいるのかもしれませんが、匿名が実名になったらなったで、また違うカタチでの自己顕示欲を満たすツールに変わっていくのでしょう。

実際、若者の「Facebook離れ」が進んでいる背景には、中高年の「リア充自慢」の場と化しているという背景があるようですから。

ひたすら食べたもの、行ったところ、買ったものをアップしまくる事によっての自己顕示。
さらに、自分の性格やモテ度をプラスに盛ってくれる占い診断のようなものもあるので、自分に自信のない人や「見せたい自分」をきちんと他者にプレゼンテーションできない大人が、このような冗談の塊のような「性格診断占い」でせっせと自分自信を分析してもらい発表する。

実際、私の友人にも「あなたのモテ度は10000パーセントです」みたいな診断結果ばかりをフェイスブックに貼り付けて、「そうかなぁ?(笑)」などというコメントを嬉々としているアップしています。

私とネット

かくいう私自身のSNS、というよりインターネットとの付き合い方ですが、1999年からホームページをシコシコと続けており、音楽や映画の感想や、雑感などをシコシコとアップしています。
これも自己顕示欲の表れでしょう。

最初はホームページ、今はブログ形式のサイトで日々テキストをアップしていますが、自分としては、このページ「カフェモンマルトル」が充実していれば、それでいいやって感じです。

Facebookにも時々作ったプラモの写真などをアップしていますが、あまりこちらの方は熱心ではないかな。最初はアップしまくってハマったけれども、すぐに飽きてしまいました。

もう一つSNSといえば、あと、ツイッターもやっているのですが、こちらは完全に自分のブログ記事に誘引するためのメデイアだと割り切っています。ですので、つぶやきはほとんど投稿せず、ひたすらBOTを使って過去の記事に誘引するよう、1日数回投稿するように設定しているのみですね。

それと、ライン。
瞬間風速的にラインに登録したこともあ李ますが、その時のiPhoneの電話帳に登録している人の人数が多かったためか(900人以上)、ラインのアプリをインストールした途端、急速にスマホの動作が重くなってしまい、すぐにアンインストールし立って感じです。

連絡などのやり取りは、もっぱらメールか電話かショートメール。
そんな感じで日々暮らしております。

「戸惑い」の歴史は繰り返す

ま、確かにSNSなどに重度にハマりすぎてしまった人たちのことは、「気持ち悪い」と感じるかもしれないけれども、残念ながら身近にはそういう人がいないので、あまり実感湧きません、正直。

ツイッター、フェイスブックに次ぐ新たなコミュニケーションツール(インフラ)が生まれると、また人々のコミュニケーション形態も変わってくるのでしょう。

そして、そのことに対して戸惑いを覚える主に大人も出てくるでしょうし、その中の誰かが、きっとこのような内容の本をまた書くのでしょうね。

歴史は繰り返す、ということなのでしょう。

記:2014/06/26
加筆修正:2016/12/03

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