ソニー・ロリンズ vol.1/ソニー・ロリンズ

   

ブルーノートならではのテイスト

全体にわたって、ドッシリとした安定感を感じさせるブルーノート1542番の『ソニー・ロリンズ vol.1』。

なかなか重厚なイメージを放つアルバムだ。

この重厚さは、ベースがジーン・ラミーに、ドラムスがマックス・ローチという、手堅くブレないリズム隊だということももちろんあるだろう。

しかし、それ以上に、ブルーノートとプレスティッジというレーベルカラーの違いが如実に現れた結果だとも感じる。

『ソニー・ロリンズ vol.1』は、名盤『サキソフォン・コロッサス』(プレスティッジ)と同年に録音されたアルバムゆえ、当時の勢いあふれるロリンズの演奏のスタイルには大きな変化は見られないのだが、聴き手が受ける印象はずいぶんと異なるはずだ。

ワンホーンで豪放な演奏を繰り広げる『サキソフォン・コロッサス』。それから約半年後にブルーノートに録音されたこのアルバムは、ブルーノートというレーベルの手堅さも濃厚に漂ってくる内容だ。

セッションに近い形で、自由にジャズマンに演奏をさせるプレスティッジ。

一方、ブルーノートというレーベルは、リハーサルを重視するレーベルだということは多くのファンは御存知のことだと思う。

本番のレコーディングの前には必ず2日間のリハーサル期間を設け、そのリハーサルに対してもギャラを支払っていたブルーノート。

完璧主義者のドイツ人社長、アルフレッド・ライオンが2日間のリハーサルで参加ジャズマンたちに求めたのは、おそらくは演奏のまとまりと安定感だろう。

ジャズマンの個人技の応酬に終わり、演奏全体のまとまりを欠いた内容になりがちなジャムセッションの要素を排し、アドリブパートにおいてはジャズマンの即興性を重んじつつも、テーマにおけるアンサンブルは、思い付きや気分まかせにオブリガードなどを入れる程度の内容をライオンは良しとしなかった。

もちろんリアルタイムで観客が楽しむライブ演奏では、演奏のまとまりよりも、その場の勢いや熱気のほうが大事なこともある。

しかし、レコードという「再生芸術」に刻まれる演奏内容は、繰り返しの鑑賞に耐え得る、充実したアンサンブルが不可欠だとライオンは考えていたに違いない。

『ソニー・ロリンズ vol.1』に収録されたどの演奏も、アドリブパートにおいてのロリンズは豪放なテナーサックスをブワブワと吹いてはいるが、テーマのアンサンブルになると、他のメンバー、特にもう一人のホーン奏者のドナルド・バードとの協調性を重視した遠慮と、どこか大人しく畏まった印象を受ける。

このロリンズのテナーサックスの勢いの違いが、必要最低限のヘッドアレンジで録音されたプレスティッジの『サキソフォン・コロッサス』と、綿密なアレンジによってガッチリと固められたブルーノートの『ソニー・ロリンズ vol.1』の違いとなって現れていると私は感じる。

ブルーノートらしいナンバー

特に顕著なのが、このアルバムの重厚なムードを決定づける冒頭の《ディシジョン》だろう。

一聴、何の変哲もないFマイナーのブルースだ。

たとえば、同じくブルーノートから出ているケニー・ドリューの『アンダー・カレント』に収録されている《グルーヴィン・ザ・ブルース》と同種の、ミドルテンポで演奏される典型的なマイナー・ブルースだ。

よくあるマイナー・ブルースの1曲かと思いながらテーマを聴いていると、次第に騙し絵を見ているときのような感覚に陥る。

テーマのスケール(小節の長さ)が微妙に長いのだ。

特に、ブルースが好きで、ブルース独特の感覚が骨身にまで染みている私が、この曲のテーマを聴くと、心地よくも奇妙な宙吊り感覚に陥る。

その理由は、通常12小節で演奏されるブルースが、気がつくと巧妙に小節数が1小節多く引き伸ばされていることが大きい。

しかも面白いことに、不真面目な態度でBGMがわりにこの曲を聴いていると、その違和感には気付きにくいのだが、じっくりとテーマのベースラインを追いかけていると、「あれ? あれれれれ? 今、何やってるの? どこの位置にいるんだっけ?」と、いつのまにか、騙し絵の中に引き込まれている自分に気が付くのだ。

よく聴かないと気づかない理由の一つとして、「パラッ」「パラッ・パラッ」とテーマのモチーフとなる短い2音が随所に挿入されていることがある。

メロディの要所に「パラッ」が巧妙に配置されているため、曲の景色の移り変わりが曖昧になり、12小節という区切りの良いテーマの長さではなく、中途半端な字余り感の漂う13小節という長さに違和感を感じなくなる不思議さがある。

このテーマの処理、つまりは説得力のある演奏の一体感は、まさにブルーノートらしい。

単なるマイナーブルースで処理せずに、「せっかくリハーサル期間があるのだから、一捻りあるブルースを演っても面白いのではないか?」「せっかくだから、もう一工夫してみよう」という発想。

ロリンズやサイドマン達が、はたして本当にそう考えたのかどうかは分からないが、いずれにしても、リハーサルにもギャラを支払う「ブルーノートというシステム」が生み出した、捻りのあるブルースのアレンジとアンサンブルの集大成が《デシジョン》だと感ずる。

少なくとも、レンタルしたスタジオの時間内に一曲でも多くの演奏をレコーディングしてしまおうという、プレスティッジ的な環境下のもとでは、「テーマのアレンジに一ひねり加えてみよう」という発想は生まれにくいのではないだろうか。

もっとも、このマイナーブルースの《デシジョン》は、アドリブパートに入ると通常通り12小節のマイナーブルースに戻り、ロリンズ以下、トランペットのドナルド・バードも、ピアノのウイントン・ケリーも、マイペースなソロを繰り広げている。

凝るのはあくまでテーマのアンサンブルのみ。アドリブ・パートまで作りこんでしまえば、ジャズ特有のスポンティニアスな要素が殺がれてしまうことは、制作側もジャズマン達も分かっていたのだろう。

地味な勝負曲

ところで『ソニー・ロリンズvol.1』は、すべての曲が《デシジョン》のように凝ったテーマを演奏されているのかといえば、そうではない。

ブルーノートのアルバムによくあることだが、アンサンブルを重視したナンバーや、新しい切り口を展開したナンバーは、アルバム冒頭、あるいは2曲目に持ってくることが多い。

そして、残りの曲はどうなのかというと、参加ジャズマンたちが普段から演奏し慣れているナンバーや切り口の曲を配し、必ずしもアルバムすべての曲が練りに練った曲ばかりではないこともブルーノートのバランス感覚といえる。

たとえば、リー・モーガンの『サイドワインダー』や、ハービー・ハンコックの『テイキン・オフ』。冒頭を飾る曲はジャズロック調だが、アルバム全編にわたってジャズロック調のナンバーが続くのかといえば、そうではない。

また、ジョン・コルトレーンの『ブルー・トレーン』も、重厚なホーンアンサンブルのブルースナンバーが冒頭に配され、コード進行が激変する難曲《モーメンツ・ノーティス》が2曲目に配されてはいるが、アルバム中のすべてのナンバーが凝りに凝ったコード進行やアンサンブルの曲というわけでもない。

上記のような例を挙げれば枚挙に暇がないのだが、ブルーノートの場合は、新しい切り口、アンサンブルの充実したナンバーをアルバムの前半に持ってくる傾向が多く、残りのナンバーはお気楽なジャムセッションナンバーとまでは言わないが、ジャズマンが気軽に演奏できるナンバーを配する傾向が強いのではないかと感じる。

つまりはアルバムの中の「勝負曲」をきちんとわきまえ、アルバムの「顔」として冒頭、あるいは2曲目に配していたのだろう。

『ソニー・ロリンズvol.1』においても、いささか地味ではあるが、おそらくは「勝負曲」はアルバム冒頭の《デシジョン》だった。

そして、この「いささか地味」な《デシジョン》の印象が、そのまま『ソニー・ロリンズvol.1』というアルバムが持つ、「いささか地味な」印象に直結していると私は感じる。

演奏自体は悪くはない。

それどころか、どの演奏も非の打ちどころがない。

それでいて、他のブルーノートの諸作、たとえば『vol.2』や、『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』や『ニュークス・タイム』に比べると、いまひとつ「華」がないのは、このアルバムの「勝負曲」が《デシジョン》だということがあるのかもしれない。

たしかにこの曲は、小節数を巧妙に増やすなど、アレンジ面には工夫はされているが、テーマの旋律は、メロディというよりはロリンズが得意とするモールス信号フレーズがモチーフとなったような、細かなフレーズの断片の集積という感が否めない。

これもまた、このアルバムの地味さ加減に直結する。

《デシジョン》のみならず、いや、極論してしまえば、唯一のロリンズのオリジナルではない《グロカ・モラを思う》以外のナンバーは、テーマの魅力、楽曲としての魅力がいささか乏しく感じる。

メロディアスではないから良くないというのではなく、急ごしらえで作られたかのような簡素なニュアンスがどうしても漂うのだ(もっとも、この簡素さが慣れてしまえば逆に魅力にもつながるのだが)。

冒頭曲に関しては先述したとおりだし、《ブルースノート》にしろ《プレーン・ジェーン》にしても、ロリンズがアドリブでよく繰り出す手癖を一筆書き的な楽曲にリシェイプしただけのような簡素さだ。

つまり『サキソフォン・コロッサス』における《セント・トーマス》や《モリタート》に値するナンバーが無いことが、同じ時期に録音された演奏にもかかわらず『サキソフォン・コロッサス』が放つオーラに比べると、どうしても地味に感じてしまう一員なのだろう。

もっともブルーノートらしいアルバム

しかし、だからといって、このアルバムにはこのアルバムなりの良さや特徴はもちろんあることは言うまでもない。

先述した重厚なイメージ、そして手堅いリズムセクションに、豪放で天然なロリンズと、アドリブのアプローチから音色まで良い対比をなすドナルド・バードというトランペッターとの組み合わせの妙だ。

最初は地味に感じるかもしれないが、このアルバムならではの「地味渋(じみしぶ)」な魅力に気がつけば、不思議とこのアルバムにしかないサウンドテイストを求めてしまうことだろう。

ソニー・ロリンズというジャズ・ジャイアンツを代表する1枚だとは間違っても言えないが、ブルーノートの中でのロリンズのリーダー作の中では、もっともブルーノートらしいアルバムといえるかもしれない。

ロリンズを聴いていることは間違いないのだが、ブルーノートというジャズを聴いている気分にもさせてくれる不思議なアルバムが、この『ソニー・ロリンズ vol.1』なのだ。

記:2011/01/04

album data

SONNY ROLLINS VOL.1 (Blue Note)
- Sonny Rollins

1.Decision
2.Bluesnote
3.How Are Things In Glocca Morra?
4.Plain Jane
5.Sonnysphere

Donald Byrd(tp)
Sonny Rollins (ts)
Wynton Kelly (p)
Gene Ramey (b)
Max Roach (ds)

1956/12/16

 - ジャズ