茎(STEM)~大名遊ビ編~/椎名林檎
正直に告白してしまうと、最初は、椎名林檎のニューシングル『茎(STEM)~大名遊ビ編~』のサウンドの輪郭と世界観は、私の場合、何度聴いてもなかなか掴めなかった。
少なくとも、ファーストアルバム『無罪モラトリアム』の曲のように、聴いた瞬間から曲の世界が把握出来るほど、『茎(STEM)~大名遊ビ編~』に収録されている3曲はキャッチーではない。
このサウンドの理解の手助けとなったのは、同日発売の短篇キネマ 『百色眼鏡(ヒャクイロメガネ)』だった。
この映像に見とれているうちに、次第に独特な世界観に抵抗なく入り込めるようになった。
映像の力は強い。
ジャズがチンプンカンプンだった頃の私も、今はなき渋谷のジャズ喫茶「スイング」で上映されていたドキュメント・フィルムや、ライブ映像を繰り返し鑑賞しているうちに、音だけでは理解しづらかったジャズのサウンドが、いつの間にかしっかりと自分の中に入り込んできたのだから。
特に、何が起こっているのか、音だけだと想像し難いフリージャズの鑑賞は、映像のおかげで随分と助けられた。
まさに、今回の椎名林檎の新譜もそのような感じだ。
音だけだったら未だチンプンカンプンな状態だったかもしれない。
独特な映像世界に慣れ親しんでくるのと同時に、次第に彼女のサウンド世界が、なんの抵抗もなく受け入れられるようなモード(気分)になっているのが分かった。
もっとも、「彼女の音楽がわかった」などとオコガマシイことを言うつもりは毛頭無いのだが。
あくまで、サウンド世界に没入するためのパスポートをようやく映像の手助けを借りて得たといった感じだ。
このサウンド世界は、さながら迷路のようだ。
迷路は、迷い込んだら容易には抜け出せない。
そして、迷い込んだまま、抜け出せないでいる自分がいる。
そして、迷いこんだ状態を、ある意味楽しんでいる自分もいる。
記:2003/01/30