ライブレポート 2001/11/18 タフタフ ゴスペル&ブルース ライブ
「たふたふ」というバンドは、かれこれ6~7年前に私が組んでいた、ジャニス・ジョップリンや、戦前ブルース(カントリー・ブルース)、ことにメンフィス・ミニーのコピーを中心に演奏をしていたバンドだ。
活動期間は短かったが、ライブは3回ほどやった。
ヴォーカルとギター担当の女性と、私がエレキベース。
この二人が核となる編成で、一回だけだが、もう一人、リードギターの男性がサポートに加わってライブをやったこともある。
丁度、私が結婚の準備で忙しくなってきたことが境目となり、だんだんと練習もライブもやらなくなってきて、自然消滅に近い形で活動をしなくなった。
その後、私はアンサンブルのレッスンをやめ、逆にヴォーカルの女性は、ジャズの先生にヴォーカルを習い始めた。
結婚後、なんとか生活ペースを再構築しはじめた私は、「たふたふ」よりも、「ブルトン・アプレゲール・テケレッツ」という、テクノとフリージャズを混在させたバンドの活動のほうに力を入れるようになっていた。
お互い、自分なりにやりたい音楽に熱中していたので、彼女とはしばらくは音信不通でいたのだが、一年以上前に、なにかのキッカケで、たしかメールかなにかで近況報告をしあうようになった。
彼女は現在、ゴスペルの先生にヴォーカルのレッスンを受けているという。
それどころか、女性6人のゴスペルチームのリーダーを務め、毎週毎週、日曜日になると軽井沢の高原教会へ行き、結婚式などで、そのゴスペルチームで歌っているのだという。
それに備えて、毎週、週に二回はゴスペルチームの練習をスタジオでこなしているそうだ。
昼間は仕事があるのに、よくもまぁ、あんなに小っこいカラダで精力的に動き回っているなぁ、と感心していたところ、いつも出演させてもらっている六本木のバックステージから、11月18日にはレディス・ヴォーカルだけのイベントをやるので、誰か歌のうまい女性と一緒に出てください、という依頼があった。
ふと、「たふたふ」のことが頭に浮かび、ダメもとで、彼女に声をかけてみた。
久々に再結成して、昔演奏していた曲で、いっちょ出てみよう、と。
忙しそうだからダメだと思っていたのだが、OKの返事が来てビックリ。
ただし、現在一緒に練習をしているブルースギターの先生と一緒に出演したいとのこと。そのギターの先生という人は、ギターの教則本を何冊も書いている人なのだそうだ。
おお、そんな方と共演させていただけるなんて、なんて光栄なんでしょう。
というより、こんなワタシでもイイんですか?と、逆にこちらが恐縮してしまいそうな凄い人を引っ張ってきたものだ。
バンド名も「たふたふ」だと弱そうなので、「タフタフ」に変え、ちょっとだけ強そうにパワーアップした気分でライブに挑むことになった。
私は、昔に演奏した曲を、練習無しで演奏出来れば良いと思っていたのだが、ヴォーカルは、どうやら「昔」の曲よりも、「今、現在」に歌いたい曲があるらしい。
特に、今回の連続テロ事件と、アメリカの空爆にはかなりの憤りを感じているらしく、彼女は毎年この時期になると、ニューヨークとフランクフルトに出張をしているのだが、ニューヨークへ発つ前日にテロがあり、フランクフルトに発つ前日にアメリカの空爆が開始され、結局どちらにも行けずじまいだったので、なんだかやりきれない気持ちになっていたらしい。
したがって、テロ直後に、アメリカで放送禁止になった《イマジン》はどうしても歌いたかったらしく、また、エリック・クラプトンの《ティアーズ・イン・ヘヴン》なんかも歌いたかったようなので、デモを送ってもらい、自宅で練習、そして、ライブの1週間前には、スタジオで2時間ほど音合わせをしてからライブに臨むという、およそ私らしくもない綿密かつ入念な準備で当日に臨んだ。
それにしても、ブルースの先生のギターは、うまい。
一聴、地味なんだけど、ハマリ過ぎなほどにツボにハマっている。
私は今回、ウッドベースで出るので、普段やっている基礎練習はすべてキャンセルして、ライブの練習のみを練習時間のほとんどに当てた。本当、自分にしては随分入念に準備をしていたと思う。
で、当日、ライブをやり、無事終わりましたですよ。
一曲目は、《ジーザス・ラブズ・ミー?》。
教会でよく歌われるゴスペルの曲だ。
いきなりアカペラで始まり、私がアルコで少しずつ入ってゆく。後半へ進むにしたがって、少しずつ盛り上げてゆくという構成で演奏した。
二曲目は、《ドント・ターン・ザ・カード》。
我々が大好きな、カントリー・ブルース・シンガー、メンフィス・ミニーのブルースだ。この曲は「たふたふ」時代に散々やっていたので、なんの問題もなく出来た。
とくに、本場っぽいブルース・ギターの色添えが加わると、なんとも言えず、ディープなサウスの香りがプンプン。気分がよいので、私は2コーラスほどベースソロを取らせてもらった。
三曲目は《ティアーズ・イン・ヘブン》。
エリック・クラプトンの曲だ。
女房がクラプトン好きで、家にある『アンプラグド』のCDを何度も聴くことなしに聴いていたので、曲の雰囲気や構成は知らず知らずの間に頭の中に入っていた。
したがって、この曲も、特に問題なく演奏出来た。
若干、ベースのピッチが甘かったことが反省材料、かつ今後の課題として受け止めることにする。
四曲目は《イマジン》。
ただし、ジョン・レノンのバージョンではなく、忌野清志郎の『カヴァー』のバージョンのカバーだ。
つまり、日本語バージョン。
清志郎の歌い方とは違って、淡々と呟くように彼女は歌っていた。
それにあわせて、ベースもギターも控えめなバッキング。
繰り返しの多い曲なので、どこから始まって、どこで終わったのかも分からないほどの取り留めもない、空に漂う雲のようにポッカリと掴みどころの無い演奏になったと思う。
ライブ終了後は、お客さんから寄せられた感想によると、この曲が一番良かったという声が多かった。
ラストが《スイート・ホーム・シカゴ》。
まぁ、お約束というか、ブルースの定番というか。
私はひたすらベースでランニング、ギターは控えめにバッキング。その間にヴォーカルが自由にMCをしたりメンバー紹介をするという構成。
私はEのキーのブルースは正直、苦手なのだが、それでも一生懸命ノリを出すよう、ひたすらランニングをしていましたですよ。だんだん、手の平がゴリゴリと痛くなってきたけれど、我慢我慢。
うーむ、慣れないキーのランニングはツライなぁ、エレキだとラクなのになぁ、何故俺は今ウッドベースを弾いているんだろう、そうだよな、俺が今弾いているのはウッドベースだよな、どうしてウッドベースはウッドベースなんでしょうねぇ、なんてことを考えているうちに、演奏終了。
演奏時間が思ったよりも長く、ベースを弾いているのが、正直辛かったのだが、後ほどお客さんから、「グルーヴをするって大切なんだな、ってことがこの演奏で分かりました」というメールがヴォーカルのところに届いたらしいので、ちょっと嬉しい。
以上5曲で、「タフタフ」の演奏は終了。あっという間の30分間だった。
私は、数年前にビデオカメラを購入して以来、ライブの模様や、時にはスタジオでの練習も、出来る限りビデオカメラで撮影するようにしている。
理由は、客観的に自分、あるいはアンサンブルの音を把握したいから。
録音した自分の声を聞くと、「これって、本当に自分の声!?」と訝しく思う人も多いと思うが、楽器の演奏もそうなんですね。自分が良かれと思って演奏している時の気分と、あとでプレイバックしてみたときのギャップには物凄いものがある。
それと、「音量」に誤魔化されることも多い。
ライブハウスで大音量で気持ち良く演奏していても、家に帰ってテレビに繋ぎ、小音量で再生してみると、うひゃぁ、となること受けあい。小音量だとなかなか誤魔化せないし、余分な情報が削ぎ落とされ、音楽の骨格の部分しか残らないので、技量の無さは残酷なぐらいハッキリと分かってしまう。
特に、ヴォーカル。
ライブで聞いたときの感触と、家でボリュームと落として聴いたときの落差がものすごい。
会場では気分が高揚していて、全く気がつかなかった音のハズシや、声の裏返りなどが、残酷なまでにクッキリと分かってしまう。
もちろん、音をハズすことが即ダメというわけでもなく、場が盛り上がっていれば、それで良しという考えも否定するわけではない。
しかし、向上心のある人は、常に自分の課題を見つけることは、大切なことだと思う。
そのためにも、ビデオ、もしくはMDなどに音を記録することは、楽器をやっている人には、とても効果的な方法だと思う。
で、例に漏れず、今回も、来てくれたお客さんに頼んでビデオで撮影してもらったわけです。
家に帰って、早速プレイバックをしてみた。
うちのヴォーカルは、演奏が盛り上がり、声のテンションが上がってくる箇所でも、音程が一糸も乱れていない。
サスガだと思った。
ダテに、訓練を受けているわけではないな、と思った。
そう、彼女、ステージ前には必ず腹筋とか、脚のストレッチとか、主に下半身の柔軟体操をマメにやっているのだ。ヴォーカルのトレーニング方法に関して、私はよく分からないけど、腰や腹に力を入れやすくする準備運動なのだと思う。
腰、といえば、私のベースの音、ビデオを再生してみたら、なんだか全然腰の無い音だったので、ちょっとガッカリ、というか反省。
一音一音力を込めて弾いたつもりなのだが、まだまだ楽器全体を鳴らしきっていないような「か細い」音だった。まだまだ精進が足りないと思った。
そう、我々の次に出演した店の女の子のステージ、80年代に流行った歌謡曲を打ち込みのサウンドに合わせて歌っていたのだが、なかなか面白かったし、歌詞の内容や曲調に応じて声にも表情をつけていて、その場で見ている分には、非常に楽しかったのだが、家で録画をした映像と音をチェックしてみると、もう声がボロボロでかなり悲惨だった。表情やメリハリをつけようと自分なりに声に変化をつけているんだろうなぁと思わせる箇所が、ことごとく、音をはずしまくっていた。
楽しいステージだったし、パフォーマンスにも「力」があるのだから、後は基礎力を地道につけてゆけば、もっと凄い表現者になるのにな、と思った。
本当に、人間の声は、訓練されているか、していないかの差は、こういうところで如実にあらわれてしまうものなのだな、と思った。
「こう表現したい」という欲求があっても、カラダがついてきてくれなければ、表現は成立しない。
だから、自分のカラダそのものが楽器となるヴォーカルは、普段からのトレーニングが大事なのだろう。
楽器は、お金さえ払えば、高級な、性能の良いものを買えるが、自分のカラダは交換の効かない代物だから、常に鍛えておかないと、いざというときに言うことを聞かなくなるのだろう。
しかし、80年代歌謡曲の彼女の場合はマシなほうで、もっと悲惨だったのが、最後のステージを飾ったバンド。
ドラムとベースの打ち込みカラオケにあわせて、ギター、キーボードと、二人の男が伴奏、浜崎あゆみの出来損ないっぽいメイクをした女性がオリジナルを歌うというバンドだった。
演奏内容やメンバーのあか抜けない雰囲気はともかくとして、ヴォーカルが音程をはずしまくり、それも大音量で聴いていても露骨に分かってしまうほどのハズシっぷりは正直かなり参った。
いや、別にアマチュアが好きにやっているんだから、ピッチがどうたらと言うのは野暮だと思うので、これ以上は書かないが、ステージマナーというかMCがムカついたので一言書かせてもらう。
ヴォーカルの喋りのイントネーションが、「まだ、そういう人種がまだいたのね」ってぐらいの「でぇ~」、「だしぃ~」といった尻上がり言葉。
まぁそれは私一人が、この女バカだ、半径1mは空気が汚そうだから近づくの止めようと思う程度で済むから別にいいんだけど、「私ぃ、なんだかさぁ、気分的に、ぜぇんぜん盛り上がってないんだよねぇ、今日もぉ~熱が37度あってぇ、本当はさぁ、歌いたくなかったんだよねぇ、だからさぁ、みんなでぇ、私のことぉ、盛り上げてよぉ、たのむからさぁ」ときたときにゃぁ、さすがに客席がシーンとシラケてしまい、うちのヴォーカルなんざ、「んなん、テメェで盛り上げるんだよぉ、あんたヴォーカルだろぉ、甘ったれんなぁ、私だって一人で一生懸命盛り上げるように頑張ってるんだぞー!」と小さい声で叫び、私は歌いたくない人の歌なんて聴きたくもないし、盛り上げてやる気などさらさら無いので、店を出て、そのバンドの演奏が終わるまで、近所の牛丼屋で牛丼を喰っていた。
そろそろ終わる頃だろ、と思って店に戻ったら、最後の一曲前のMCだった。
我慢をして最後の一曲を聴き終わったあとは、ジャムセッションタイムとなった。
「タフタフ」のメンバー3人でステージにあがり、昔さんざん人前で演奏をしていたジャニス・ジョプリンの《ミー・アンド・ボギー・マギー》と、《タートル・ブルース》を演奏した。
《タートル・ブルース》は、私はエレキベースに持ち替え、左手でベースを弾きながら、右手でピアノソロを弾くというハッタリ奏法で客席を沸かせて楽しんだ。
記:2001/11/20(from「ベース馬鹿見参!」)