竹内まりやを聴きたい夜・森高千里が染みる夜
昨晩の私は、なんとなく竹内まりやを聴きたくなりました。
そもそも、私が竹内まりやの歌に興味を持ったのは、
中森明菜経由でした。
今も昔も中森明菜の歌にはまったく興味の無い私ですが、彼女がプロデュースした『不思議』と『クリムゾン』という2枚のアルバムに限っては、歌としてではなく、サウンドとして聴けるアルバムなので、高校時代より愛聴しています。
なかでも、静謐でモノトーンなイメージの強い『クリムゾン』の中のいくつかの曲は竹内まりやのカバーなんですよね。
《駅》とか《Oh No,Oh Yes》がそうですね。
つかみはいいが、しだいに飽きてくる《駅》に対し、《Oh No,Oh Yes》はいつ聴いても飽きない。
しんみりとしみてくるよさがある。
だから、原曲も聴きたくなり、竹内まりやにたどり着いたわけです。
それともうひとつ。
自殺した私のジャズの先生が、死ぬ前にポロリと、
「最近は年かな、竹内まりや ばかり聴いている。涙が出てくるんだよな。」
と漏らしたことが強烈に記憶に残っているのです。
「あんな単純なコード進行の中で、心の琴線に触れる最高のメロディを彼女は作る。ジャズやってる人間には出来ない芸当だよ」ともおっしゃってました。
以来、ふーん、そんなもんかね、などと思いつつも時折、竹内まりやの『リクエスト』を取り出しては聴いていました。
長い間、「いい曲」以上のものは感じられなかった私でしたが、不思議ですね、
最近は、曲によってはめちゃくちゃ染みてくるものもあるんです。
ちょっと、照れるけど、飲み屋のカウンターでホロリと聴いてみたい。
そう思わせる何かがあるのです。
もちろん、曲によるけど。
だから、昨日は近所の飲み屋に竹内まりやの『REQUEST』をもっていってかけてもらった次第。
この店の常連で、緒方 拳にそっくりな滅茶苦茶渋く、若い女性にモテモテなおじさんも、「俺も好きなんだよなぁ」と言って、CDにあわせて歌っていました。
なんだか、ちょっと嬉しかった。
そういえば、もうひとつ、「この年になって染みてきた曲」を思い出しました。
森高千里の《私がオバさんになっても》です。
若いころは、「森高流のユニークな切り口ソング」以上のものは感じていなかったのですが、ついこの間、コレを聴いたら、なんだか泣けてきた。
可愛い、と同時に、ものすごく真摯。
この真摯で切迫した感情を男にどう表現していいのか分からないもどかしい感情が、逆にストレートで子供っぽい言葉になって出てきてしまっているところが、すごくイジらしい。
さらに、派手な打ち込みのカラフルで底抜けに明るいサウンドに乗って歌われているから、余計に哀しい気持ちになってきてしまう。
だから、昨日は急に森高のこの曲を思い出して歌いたくなった私は、カラオケで歌いました。じーんと湧きおこる感情を抑えながら。
ただ、タイミング悪いことに、店には数名のオバ様たちがいらっしゃったので、彼女たちは、自分たちに対してのイヤミを歌っているのだと受け取られてしまったかもしれません。
違うんだぁ~、俺はただ、その瞬間、その歌を歌いたいから歌っただけなんだぁ~。
なーんてこと言っても、場のシチュエーションや空気を読めない野暮天といわれてしまえば、それまでなんですが。
私が歌い終わったら、「男のほうが老けるの、早いんだから」という小さな声が聞こえてきました。まずい!気にしてるぜっ、と思ったがもう後の祭り。
既に老けているオバハンに、んなこた言われたかねーぜ
と、喉元まで出かかった言葉を飲み込み、ニコニコしながら椎名林檎の《やっつけ仕事》で場を繕いましたとさ。
年齢とともに、音の感じ方が変わるんだなぁ、と痛感する曲がここ最近多いです。
記:2006/05/02