「罰」をうける西内まりや~『突然ですが、明日結婚します』
「罰」をうけるヒロイン
今さらですが、もう新しい月9ドラマの『貴族探偵』が始まってしまいましたが、そういえば書き忘れていた『突然ですが、明日結婚します』について。
最初に2話ぐらいまで観て、申し訳ないけれども「ああこのドラマあんまり面白くないな(ぶっちゃけハズレだな)」と思いつつも、気付けばHDに最終回までの全話が録画されていたので、思い切って一気見してしまいました。
感じたことは、これはハリウッド映画の女性観としてよく引き合いに出される「アメリカン・ミソジニー」の路線を日本流になぞっているな、ということ。
要するに、主人公の女性、すなわち西村まりやは「罰」を受けているんです。
誰もが羨む境遇だが……
容姿端麗、男からモテる、仕事も収入も申し分ないというわけではないけれども、現状特に不満はない。
「やり甲斐」のある仕事を任せられることだってある。
もちろん、彼氏だっている。
いちおう、彼氏は有名人です。
センスの良い服とバッグ、アクセサリーをお洒落に着こなして仕事やデートに出かけてます。
そんな女性がいたら、同世代の女性から見ると……?
妬みの対象となることでしょう。
だから、「完璧」から大きな引き算をするわけです。
主人公にペナルティが施されるのです。
ヒロインは罰を受けるのです。
仕事も交友関係も満たされているけれども、彼女にはただひとつ大きな欠点があった、みたいな。
そんな大きな欠点(ペナルティ)を持っていても、彼女のような生活(人生)を享受したい?と視聴者に投げかけれるわけです。
その良い例が、映画『プラダを着た悪魔』の主人公であるアン・ハサウェイでしょうね。
誰もが憧れるファッション誌の編集部に勤めることになった、お洒落、オトコもいる。
しかし、仕事が忙しい上に、なんといってもカリスマ編集長の人使いが荒く、心身ともにズタボロ。
それでも、あなたは、この映画のヒロインのようになりたい?
そう鑑賞者に投げかければ、ある人は「今の生活のままでいいわ」となるでしょうし、「私だったらもっと巧く立ち回れるのに、主人公は要領悪いよね」となるかもしれません。
少なくとも、嫉妬を根源とする攻撃はなくなります。
たくさんのプラスがあるけれども(羨ましい状況かもしれないが)、それを相殺して余りあるマイナスも見せてあげる。
プラマイゼロ。
それか、むしろマイナス。
そうすることによって、視聴者は嫉妬することなく、登場人物に共感したり、自分と重ね合わせたり、時には応援さえもするようになるのです。
なんといっても、『プラダを着た悪魔』のキャッチコピーは、「恋に仕事にがんばるあなたへ贈る ゴージャス&ユーモラスなサクセスストーリー」ですからね(笑)。
西内まりやの場合
話は月9に戻ります。
では、『突然ですが、明日結婚します』のヒロインである西内まりやの場合はどうでしょう?
両親と弟の暖かい家庭で暮らしています(途中で「お試し同棲」はしていますが)。
金融系の企業に勤めているため、仕事は大変ながらも収入は悪くなく、しかも、やり甲斐のある仕事を任せられています。
仕事が出来る上司(山崎育三郎)から告白もされているし、仕事でもプライベートでも何かと気にかけてもらっています。
気心許せる仲の良い友達もいます。
その中の女子友同士は、行き着けの寛げる店のカウンターで、おいしいものを飲んだり食べたりしながら、気軽に恋バナ(恋話)に花を咲かせています。
そして、彼氏もいます。
名波竜(山崎隆太)というニュースキャスターです。
イケメンです。
有名人です。
すでにここまでの段階で、全ての女子が努力しても運が良くても、なかなか手に入らない状況をすでに彼女(西内まりや)は「持って」います。
しかし!
……彼氏には結婚願望がありません。
という設定なんですね。
主人公の高梨あすか(西内まりや)には結婚願望、大アリです。
だから、誰もが羨む境遇でありながらも、「ひとつだけ」決定的に相容れないものがあるという設定に、視聴者はヤキモキするという構造なんですね。
石原さとみ&やまぴーのドラマでも
誰もが羨む境遇でありながらも、「ひとつだけ決定的に欠けている」という設定は、特に色恋沙汰が絡むストーリーにおいては、よくあるお膳立てのフォーマットといえます。
彼氏は東大卒、イケメン、英語もペラペラ、真面目。
だけど、お寺のお坊さん。
嫁ぐとしたら寺に嫁がなければならない……、な、石原さとみと山下智久の『5→9~私に恋したお坊さん~』などは、わかりやすい例でしょう。
ほかにも、誰もが羨む状況にありながらも、どうしてもこの一点だけは納得できない、この欠点さえ無ければ(克服できれば)すべてが完璧なのに!と視聴者に思わせるドラマを数えれば、枚挙に暇がありません。
そして、「どうしても納得できない箇所」を設定する際に、多くの場合、女性のようにペナルティ(罰)を課される場合が多いんですね。
西内まりやの場合もまさにそうでした。
自分は結婚願望が大アリなのに、相手は「結婚は死んでも嫌だ」と言い、結婚を前提に交際してくれない。
それどころか、物語後半では、パパラッチのような芸能カメラマンに追い掛け回されたり、週刊誌にスクープされ、目張りはされているものの自分の写真が雑誌に載ってしまいます。
有名なテレビ局のキャスターと付き合っている⇒羨ましい
でも、そういう人と付き合うことによるリスクもある⇒追い掛け回される、人目を気にしてマンションの出入りをしなけらばならない
それでもいいんですか?
それ相応の対価を払う必要があるんですが、いいんですね?
視聴者の溜飲を下げるため、あるいは共感を呼ぶためには、単に恵まれている箇所の描写のみならず、それを相殺するだけの罰をヒロインは受ける必要がある。
だから西内まりやも、劇中では、相応の罰を受けているんですね。
もちろん、そのペナルティの内容はユルいものですが、ドラマそのもの世界観は、小学校高学年から中学生ぐらいの女子が憧れるような内容なので、これぐらいの湯加減で丁度良かったのでしょう。
アメリカン・ミソジニー
ちなみに、冒頭で記した「アメリカン・ミソジニー(American Misogyny⇒アメリカ人の女性嫌悪)」という言葉は、神戸女学院大学名誉教授で思想家でもある内田樹氏が唱えている言葉です。
著書『映画の構造分析』(晶文社)で、そのことについて詳しく触れられているので、興味のある方は読まれてみてはいかが?
アメリカ映画を観る新しい視点が生まれるかもしれませんよ。
そして、この視点でもう一度『突然ですが、明日結婚します』を見直せば、面白い発見があるかもしれません。(ない?)
記:2017/05/01