レニー・トリスターノのライヴ映像を入手!
さきほど、神保町の書泉グランデに行ってきました。
映画HPの管理人のPuffさんからの情報により、トリスターノの980円のDVDを買うためです。
ほんとに、店頭の前のワゴンに置いてあった!
ほんとに、980円だった!
がははは、笑うしかありません。
あのトリスターノが、あのトリスターノの動く姿が(あまり動かない姿が)、映像で観れるだなんて!
ああ、怖い(笑)。
顔をひきつらせながら、怖笑いするしかありません。
わはは(汗)。
ちなみに、トリスターノとは、レニー・トリスターノという盲目のジャズピアニストで、クール・ジャズの大御所です。
弟子にリー・コニッツや、ウォーン・マーシュ、ビリー・バウワーなどがいて、一時期、トリスターノ一派をなしていました。
ジャズのアドリブを、勢いと情動に任せず、理性的に展開するための理論的なガイドラインと思想を築き上げた人で、完璧主義者な人です。
彼のピアノは、一聴、普通のジャズなピアノの響きにも聞こえます。
しかし、聞き込めば聞き込むほど、空恐ろしい執念と情念が音の隙間からメラメラと噴き出していることが分かります。
なぜ、私がこのような音楽が好きなのかというと、一時期、ジャズテクノっぽいことをやっていたからでしょう。
自宅で、リズムパターンをシンセかパソコンに打ち込みます。このリズムパターンにあわせて簡単な和音か低音のラインを打ち込みます。
これに合わせて、鍵盤で即興演奏をします。この即興演奏はハードディスクに記録しておきます。記録された私の即興演奏を一度、データ化します。
リズムのタイミング的におかしなところ、さらに和声的にイマイチだと思う響きを、モニター上で少しずつ修正してゆきます。
この作業をこなすと、即興の勢いと、編集の眼差しが加わった妙に理性的なテイストの両方が一つの演奏に封じ込められるので、自分的には非常に興味深いサウンドになるのでした。
トリスターノの音楽もなんとなくそれに近い気がしてならないのです。決して音楽的な情動は否定してはいないのですが、必ず、その情動を数値化する冷徹な眼差しがある。
もちろん、自分が作ったへっぽこサウンドと、トリスターノが生み出したサウンドには雲泥の差があるのですが、音楽に対する取り組み方が、昔の自分の姿に重なってみえるのかもしれません。
トリスターノと、その一派における“外側冷ややか・内側ドロドロ”なサウンドテイストは、私や奄美大島の約1名の方の間では、ながらくブームになっており、時おり、掲示板やメールで、
「トリスターノってさぁ、ニヒヒヒ…」
「てれれれれれれ、たららららら…あっはぁーん」
などと、本人同士しか通じ合わない、傍から見ると、禁治産者同士の会話としか思えないやり取りを繰り返しております。
クール派の音楽って、理性的な、いや、理性的過ぎる音楽ゆえ、この音楽の芯の部分に侵されてしまった人間は、理性を失うしかないのです。
ああ、早く家に帰ってトリスターノの映像観たい。
ニヘラ、ヒヘラ……(涎)
記:2006/04/26