バレンタインデーに思ったこと~チョコ渡し禁止の中学校
2018/01/08
息子の中学ではバレンタイン禁止。
校内ではチョコの受け渡しはNGで、持ち物検査までされるそうです。
だから、渡すとすれば朝。
学校の近くなどの登校途中になります。
それも渡されたら、その場ですぐに食べないと持ち物検査にひっかかってしまう。
あるいは、放課後。
いったん帰宅してから家に訪問するか、どこかで待ち合わせをして渡す。
学校外で渡す(もらう)としたら、この2つしか方法がありません。
結局、息子は他校も含む十数人の女子から「チョコ渡したいんだけど」メールが届き(昨日は夕方から夜にかけて、iPhoneが鳴りっぱなしだった)、今日、明日、明後日と何度かに分けて貰いに出かけるそうです(面倒くさそう)。
そんなんだったら、過剰な取り締りなどせず、ある程度の受け渡しは目をつぶるほうがいいのにと親としては思うんですけどね(チョコもらうために出かける暇あるなら、テスト前なんだから勉強せいって感じ)。
過去のアメリカの禁酒法がマフィアを増長させたという事例を持ちだすまでもなく、過度な取り締りはアンダーグラウンド化を助長させてしまうと思うのですが(たとえば放課後にわざわざ男子生徒と女子生徒が会うほうが、学校が懸念する「不純異性交遊」に繋がる可能性が高いですよね)、どうなんでしょうね。
おそらくは運動会のかけっこのゴールは「みんな一緒」的発想の延長で、「モテる男子とモテない男子」の格差を子供たちに実感させてはいけない(=みんな一緒)という考えが根底にあるのかもしれません。
でも、言うまでもなく「みんな一緒」は幻想です。
「一緒じゃない」というところからスタートし、だからこそ自分はどのフィールドで能力を伸張させようかと考えさせるほうが健全だと思うのですが(「かけっこダメなら勉強で勝負/勉強ダメだけど音楽を頑張ろう」など)。
むしろ「一緒じゃない」という現実に蓋をするほうが不健全な大人に成長する可能性が高いと思います。
人それぞれの差異をリアルに実感させないまま(現実を大人が蓋をしたまま)、子供が大人になり、社会に出た直後にいきなり蓋を外される。
これが今の日本の若者がたどる流れなんじゃないかと思います。
だからこそ就職しても3年、いや最近は1年で会社を辞める若者が増えているのではないか?
大人になるまで「みんな一緒」。
「みんな一緒」、「平等」と教育されまくる。
ところが「みんな一緒」なわけではない現実に気がつく。
みんな一緒なはずなのに、俺と一緒なはずなあいつのほうが営業成績がいい、俺と一緒なはずのあいつのほうが出世している
⇒おかしい
⇒嫉妬・足の引っ張り
エネルギーが不健全な方向に向かう。
そういう残念な大人を大量生産しているのが、現実に蓋をし「みんな一緒」幻想を育てている現在の日本の教育だと思うのですが。
ちなみに息子が通う中学では中間や期末テストの順位の発表や張り出しもしないそうです。
つまり「みんな一緒」教育は、「頑張って結果を出した生徒」に対しても「褒めない」「努力を認めない」ことにも繋がっているのではないかと思います。
頑張りを認めてあげないと、「頑張っても頑張らなくても、どーせ一緒さ」と考える子供が続出しても不思議ではありません。
「ニート、フリーターの増加は嘆かわしいことだ」
「最近の若者は無気力だ」
などと他人事のような評論家になる前に、なぜそうなったのか、誰がそうさせたのか、そうさせないためには自分たちは今何をすべきなのか
などを教育者はもっと考える必要があるのではないでしょうか。
2013-02-15 09:45?