ズート・アット・イーズ/ズート・シムズ
テナーもソプラノも極上の味わい
ジョン・コルトレーンがアトランティック・レコードに『マイ・フェイヴァリット・シングズ』を録音し、以降、曲によってはテナーサックスからソプラノサックスに持ち替えるようになった。これに触発されてか、他のテナーサックス奏者もソプラノに持ち替えることが多くなった。
テナーサックスもソプラノサックスもキーは「B♭」。
つまり音域こそ違えど、運指は同じなので、テナーサックスを演奏する要領で演奏出来るという利点がある。
これは、アルトサックス奏者がソプラニーノやバリトンサックスに持ち替えるのと同じ理屈だが、そういえば、アルトサックスから別の音域の楽器への持ちかえるサックス奏者は、テナーからソプラノに持ち替える人ほど多くはない(アルトサックス奏者の渡辺貞夫は以前、曲によってはソプラニーノを吹いていたことや、サヒブ・シハブのアルトとバリトンの持ちかえは有名だが)。
もっとも運指が同じ楽器とはいえ、エレキベースからウッドベースへの持ちかえがスムースにいかないのと同様、やはりテナーサックスとソプラノサックスも、楽器のサイズが変われば、それに伴う楽器操作と、そこから生まれる表現にも違いが生まれることは当然のこと。
たとえば、音程。楽器のサイズが小さくなったぶん、テナーサックスに比べると、ソプラノサックスは音程のコントロールが格段に難しくなる。
サックスを咥えるときの口の形をアンブシュアというのだが、管楽器はサイズが小さくなればなるほど(音域が高くなればなるほど)、アンブシュアに求められる形や、口のコントロール技術がよりシビアになってくる。
また、あるサックス奏者から聞いた話だが、テナーにはテナーの、ソプラノにはソプラノのアンブシュアがあるため、たとえばソプラノのアンブシュアに慣れてしまうと、唇がテナーのアンブシュアになかなか戻らないのだという(だから、スティーヴ・レイシーやデイヴ・リーブマンなどのソプラノオンリーの奏者がいるのも頷ける)。
つまり、同じサックスという楽器でありながらも、当然のことながらテナーサックスとソプラノサックスは、完全に別な楽器なのだ。
テナーにはテナーならではの楽器奏法と、それに伴う表現内容があり、同様にソプラノにもソプラノならではの表現があるため、いくらテナーでは豊かな表現力を持つからといって、その演奏者がソプラノに持ち替えても素晴らしい音表現をするとは限らないのだ。
それは、先述したコルトレーンの『マイ・フェイヴァリット・シングズ』の演奏を聴けばよく分かると思う。
その前の作品『ジャイアント・ステップス』では、泣く子も黙るほどの圧倒的な音数と勢いで、コルトレーンのテナーサックスは猛進していた。
ところが、ソプラノにチャレンジした《マイ・フェイヴァリット・シングズ》の初演を聴くと、そこかしこにたどたどしさを感じる。
もちろん、コルトレーンの表現意図が、テナーを演奏時とは別な方向に向かっているということもあるのだろうが、全体に漂う音の佇まいは、慣れない楽器を慎重にトレーニングを重ねながら、なんとか手中にしようとしている過程のようでもある。
もちろん、その少々危なっかしくも慎重な雰囲気が、なんともいえないストイックな雰囲気を醸し出していてそこに私は魅力を感じるのだが、要は、雄弁なテナー奏者も、ソプラノに持ち替えたら即、テナー同様の表現力を得られるというわけではないということだ。
ところが、テナーサックス奏者のズート・シムズはどうだろう?
ソプラノも吹いている作品『ズート・アット・イーズ』を聴いてみよう。
結論からいえば、ズートの場合はテナーからソプラノへの移行が非常にスムースになされていると言ってもよいだろう。
テナーを吹いてもズートの世界、ソプラノを吹いてもズートの世界。
「あれ? そういえばこの演奏はソプラノだな」と、鑑賞途中で気がつくこともあるほど、テナーで形成されたズートならではの力の抜けたスイング感が、そっくりそのままソプラノの表現に移し替えられている。
さらに、ソプラノサックスの音色だからこそ得られる雰囲気も獲得しており、高音域ならではのセンチメンタルな哀愁感も、従来のテナーでの表現にはなかった新しい世界観といえる。
きっと、この哀感が日本人にはツボなのだろう。あるジャズ喫茶のマスターの話だと、リクエストされるズート・シムズのアルバムは、テナーを吹いている一連のアルバムよりも、全曲ではないが、ズートがソプラノにトライしたアルバム『ズート・アット・イーズ』のほうが多いのだという。
時折、このアルバムをはさむと、お客さんからの注目度が高いという。
ズートが吹くソプラノの音色は透明かつ伸びやか。音程もしっかりしており、非常に心地よい。
まるで、自分が鳴らすソプラノの音色を楽しんでいるかのように、テナーではあまり吹くことの無いロングトーンのフレーズも織り交ぜながら、伸びやかに朗々とソプラノを操るズート。
極上のゆらぎと寛ぎ感をいつだって提供してくれるズート・シムズだが、テナーサックスの場合は、のほほんとしたゴキゲンっぷりが前面に出てしまいがちなところ、ソプラノに持ち換えてプレイをすると、テナーでののほほんっぷりには微妙な抑制がかかり、微妙なせつないニュアンスが滲みでてくるのだろう。
だからこそ日本人のジャズツボを刺激するのかもしれない。ジャズ喫茶名盤だというのもうなずける。
もちろん、ズートのソプラノサックス以外にも、ハンク・ジョーンズのピアノの好サポートも聴きどころの一つで、何度聴いても飽きさせてくれない大きな要因は、ハンクのピアノワークによるところが大きいのだと思う。
ベーシスト、ミルト・ヒントンのサポートも手堅く、ものすごく大雑把な言い方だが、このアルバムには「ジャズな気分」が満ち溢れている。
聴きやすく、かつ奥行きのある名盤だ。
記:2010/03/29
album data
ZOOT AT EASE (Famous Door)
- Zoot Sims
1.Softly, As In A Morning Sunrise
2.In the Middle Of A Kiss
3.Rosemary's Baby
4.Beach In The A.M.
5.Do Nothin' Till You Hear From Me
6.Alabamy Home
7.Cocktails For Two
8.My Funny Valentine
Zoot Sims(ss,ts)
Hank Jones (p)
Milt Hinton (b)
Louis Bellson (ds) #1,3,5,7
Grady Tate(ds) #2,4,6,8
1973/05/30 #1,3,5,7
1973/08/09 #2,4,6,8
YouTube
動画でもこのアルバムについて語っています。